藤山常一
日本の技術者
藤山 常一(ふじやま つねいち、1871年3月10日(明治4年1月20日)[1] - 1936年1月4日)[2][3]は、日本の技術者。日本におけるカーバイド製造の祖とされる人物である。
経歴
編集佐賀県出身[2][注釈 1]。藤山種廣の長男として生まれる[5]。弟には機械工学者の田中不二がいる[3]。
1898年に東京帝国大学工科大学電気学科を卒業した。1902年に仙台で野口遵とともにカーバイドの製造に着手した[2]。1908年に欧州から戻り、渡欧中に研究完成した石灰窒素の製造法の特許を取得し、日本窒素肥料を設立し取締役に就任した[4]。1912年に北海道に王子製紙苫小牧工場の隣接地に北海カーバイド工場を設立し、王子製紙の余剰電力でカーバイド、石灰窒素等を生産した[6]。
1915年には北海カーバイド工場を継承し、三井系有力者の出資により、電気化学工業(現在のデンカ)を設立した[2][4][7]。1919年には専務に就任したが、1927年に経営悪化の責任をとり退社した[2]。
特許
編集注釈
編集出典
編集- ^ 『現代人事調査録』帝国秘密探偵社、1925年、フ38頁
- ^ a b c d e 「藤山 常一」『20世紀日本人名事典』 。コトバンクより2024年5月25日閲覧。
- ^ a b 「藤山常一」『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』 。コトバンクより2024年5月25日閲覧。
- ^ a b c 大阪発明協会 編『帝国発明家名鑑』日刊工業新聞出版部、1937年、233頁 。
- ^ a b c 藤山常一 - 『人事興信録』第8版(1928年7月、リンク先は名古屋大学大学院法学研究科の「人事興信録データベース」)
- ^ “「電気化学工業発祥の地」記念碑”. 産業技術史資料データベース. 2024年5月閲覧。
- ^ “100年の歩み”. デンカ株式会社. 2024年5月25日閲覧。