野村 与曽市(のむら よそいち、1889年明治22年)10月15日 - 1975年昭和50年)1月12日)は、日本実業家電気化学工業社長や日本カーバイド工業会会長、電気化学協会会長等を歴任し、カーバイド石灰窒素工業の発展に尽力した。

来歴・人物

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滋賀県愛知郡東押立村大字大沢生まれ。東押立尋常高等小学校を経て、1909年東京府立第四中学校(現東京都立戸山高等学校)卒業[1][2]。1913年東京高等商業学校(現一橋大学)卒業[3]、北海カーバイド工場入社。1915年電気化学工業青海工場長[4][3]。1936年電気化学工業常務取締役[5]。1946年電気化学工業専務取締役・特別管理人[6]。1949年電気化学工業代表取締役副社長[7]。1951年電気化学工業代表取締役社長[3][4][8]。1955年電気化学協会会長[4]、日本カーバイド工業会会長[3]カーバイド石灰窒素工業の生産合理化等に寄与したとして、1959年に藍綬褒章を受章[9]。1965年勲二等瑞宝章受章[10]。1968年電気化学工業代表取締役会長[4]。1970年電気化学協会名誉会員[4]

親族

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宇野収は甥[11]

脚注

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  1. ^ 東京府立第四中学校一覧
  2. ^ 「野村与曽市」,『私の履歴書 経済人 10』日本経済新聞社 編 日本経済新聞社, 1980.10
  3. ^ a b c d 野村 与曽市(読み)ノムラ ヨソイチ20世紀日本人名事典
  4. ^ a b c d e 電気化学および工業物理化学 = Denki kagaku 43(2)
  5. ^ 電気化学工業(株)『電気化学工業株式会社三十五年史』(1952.03)
  6. ^ 電気化学工業(株)『電気化学工業株式会社三十五年史』(1952.03)
  7. ^ 電気化学工業(株)『電気化学工業株式会社三十五年史』(1952.03)
  8. ^ 野村与曾市(読み)のむら よそいち
  9. ^ 官報昭和34年本紙第9706号 69頁
  10. ^ 官報昭和40年本紙第11513号 14頁
  11. ^ 宇野収『青春の詩 私の履歴書』日本経済新聞社 (1995/1/1)
先代
近藤銕次
電気化学工業社長
1951年 - 1968年
次代
水野敏行