梶原 熊雄(かじわら くまお、1870年3月2日明治3年2月1日[1] - 没年不明)は、日本の発明家。旭光学工業(後のPENTAX)の創業者。

梶原熊雄

福岡県福岡薬研町(現・福岡市中央区天神)出身[1]旧制福岡中学校京都画学校卒業[1]。1894年(明治27年)から1906年(明治39年)まで宮崎県師範学校兼宮崎県立宮崎中学校教諭、佐賀県立第一中学校小城中学校教諭を歴任した[2]。1906年に中国政府から招聘され蘇州高等師範学堂教習となり、1909年(明治42年)に南京高等学堂教習となり、1912年(明治45年)に辛亥革命が起きたため辞職し帰国した[2]

1919年(大正8年)に旭光学工業を創業した[3]

特許

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出典

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  1. ^ a b c 『大東京の現勢 再版』東京毎夕新聞社、1934年、人物篇p.227。
  2. ^ a b 大阪発明協会 編『帝国発明家名鑑』日刊工業新聞出版部、1937年、540頁https://dl.ndl.go.jp/pid/1207646/1/704 
  3. ^ PENTAX COURSE OF HISTORY”. 2024年7月14日閲覧。