ジェームズ・イニス=カー (第7代ロクスバラ公爵)
第7代ロクスバラ公爵ジェームズ・ヘンリー・ロバート・イニス=カー(James Henry Robert Innes-Ker, 7th Duke of Roxburghe、1839年9月5日 – 1892年10月23日)は、イギリスの政治家、スコットランド貴族。自由党に属し、庶民院議員、ロクスバラシャー統監を務めた[1]。1879年までボーモント侯爵の儀礼称号を使用した[1]。
生涯
編集第6代ロクスバラ公爵ジェームズ・イニス=カーと妻スザンナ・ステファニア(1814年8月28日 – 1895年5月7日、ジェームズ・チャールズ・ダルビアックの娘)の長男として、1839年9月5日にフロアズ城で生まれた[1]。1853年から1857年までイートン・カレッジで教育を受けた後、1857年10月21日にオックスフォード大学クライスト・チャーチに入学したが、卒業しなかった[1][2]。
1870年3月2日、ロクスバラシャー選挙区の補欠選挙に自由党候補として立候補、無投票で庶民院議員に当選した[3]。1874年イギリス総選挙で再選を目指したが、762票対789票で保守党候補に敗れた[3]。
1879年4月23日に父が死去すると、ロクスバラ公爵位を継承した[1]。
1880年1月26日にベリックシャーの副統監に任命された[4]。1884年5月17日にベリックシャー統監に任命され、1892年に死去するまで務めた[5]。
1892年10月23日にフロアズ城で死去、27日にケルソー修道院に埋葬された[1]。長男ヘンリー・ジョンが爵位を継承した[1]。
家族
編集1874年6月11日、アン・エミリー・スペンサー=チャーチル(1854年11月14日 – 1923年6月20日、第7代マールバラ公爵ジョン・スペンサー=チャーチルの娘)と結婚[1]、3男4女をもうけた[6][7]。
- マーガレット・フランシス・スーザン(1875年5月13日 – 1930年12月15日) - 1898年7月25日、ジェームズ・アレグザンダー・オー=ユーイング(James Alexander Orr-Ewing、1900年5月28日没)と結婚、子供あり[6]
- ヘンリー・ジョン(1876年7月25日 – 1932年9月29日) - 第8代ロクスバラ公爵[1]
- ヴィクトリア・アレクサンドリナ(Victoria Alexandrina、1877年11月16日[6] – 1970年5月22日) - 1901年8月17日、チャールズ・ハイド・ヴィリアーズ(Charles Hyde Villiers、1947年5月23日没、チャールズ・ヴィリアーズの息子)と結婚、子供あり[7]
- イザベル(1879年1月14日 – 1905年10月12日) - 1904年6月23日、ガイ・グレヴィル・ウィルソン閣下(初代ナンバーンホーム男爵チャールズ・ヘンリー・ウィルソンの息子)と結婚[6]
- アラステア・ロバート(Alastair Robert、1880年11月2日 – 1936年3月1日) - 陸軍軍人、第2次ボーア戦争と第一次世界大戦に参戦。1907年10月10日、アン・ブリース(Anne Breese、W・L・ブリースの娘)と結婚、子供あり[7]
- エヴリン・アン(1882年2月7日 – 1957年9月27日) - 1907年11月23日、ウィリアム・フェローズ・コリンズ(William Fellowes Collins、1948年2月15日没)と結婚、子供あり[7]
- ロバート・エドワード(1885年7月22日 – 1958年7月19日) - 陸軍軍人、第一次世界大戦に参戦。1920年10月27日、ジョゼ・コリンズ(本名シャーロット・ジョセフィーン・クーニー、スティーブン・パトリック・クーニーとロッティー・コリンズの娘、レズリー・チャットフィールドの元妻)と結婚したが、1935年に離婚した。1939年7月28日、イリナ・マリー・ウッドヘッド(Eleanor Marie Woodhead、1958年2月2日没、オーブリー・ウッドヘッドの娘、ヒュー・クリストファー・ハッドリーの娘)と再婚[7]
出典
編集- ^ a b c d e f g h i Cokayne, George Edward; White, Geoffrey H., eds. (1949). The Complete Peerage, or a history of the House of Lords and all its members from the earliest times (Rickerton to Sisonby) (英語). Vol. 11 (2nd ed.). London: The St Catherine Press. p. 228.
- ^ Foster, Joseph (1888–1892). . Alumni Oxonienses: the Members of the University of Oxford, 1715–1886 (英語). Vol. 2. Oxford: Parker and Co. p. 790. ウィキソースより。
- ^ a b Craig, F. W. S. (1977). British Parliamentary Election Results 1832–1885 (英語). London: Macmillan Press. p. 603. ISBN 978-1-349-02349-3。
- ^ "No. 24807". The London Gazette (英語). 30 January 1880. p. 451.
- ^ Sainty, John Christopher (September 2005). "Lieutenants and Lord-Lieutenants of Counties (Scotland) 1794-". Institute of Historical Research (英語). 2019年7月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年7月16日閲覧。
- ^ a b c d Burke, Sir Bernard; Burke, Ashworth Peter, eds. (1934). A Genealogical and Heraldic History of the Peerage and Baronetage, The Privy Council, and Knightage (英語). Vol. 2 (92nd ed.). London: Burke's Peerage, Ltd. p. 2054.
- ^ a b c d e Mosley, Charles, ed. (2003). Burke’s Peerage, Baronetage & Knightage Clan Chiefs Scottish Feudal Barons (英語). Vol. 3 (107th ed.). London: Burke's Peerage Limited. p. 3426. ISBN 978-0-97119662-9。
外部リンク
編集- Hansard 1803–2005: contributions in Parliament by Marquess of Bowmont
- ジェームズ・イニス=カー - ナショナル・ポートレート・ギャラリー
グレートブリテンおよびアイルランド連合王国議会 | ||
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先代 サー・ウィリアム・スコット準男爵 |
庶民院議員(ロクスバラシャー選挙区選出) 1870年 – 1874年 |
次代 サー・ジョージ・スコット=ダグラス準男爵 |
名誉職 | ||
先代 バクルー公爵 |
ロクスバラシャー統監 1884年 – 1892年 |
次代 レイ卿 |
スコットランドの爵位 | ||
先代 ジェームズ・イニス=カー |
ロクスバラ公爵 1879年 – 1892年 |
次代 ヘンリー・イニス=カー |