長岐貞治
経歴
編集出羽国秋田郡七日市村(秋田県北秋田郡七日市村、鷹巣町を経て現北秋田市七日市)で七日市村の肝煎を務める長岐家の長男に生まれる[1][2]。弟に衆議院議員などを務めた畠山雄三がいる。13歳の時に肝煎役を継いだ[2]。1871年に秋田県第2大区2小区戸長に就任する[1]。1879年に秋田県会議員に選出された[1][2]。
1880年に秋田県畜産協議会会頭に就任した[1]。1888年に秋田県が畜産会を組織すると、その第1期(第1回)の副会長を務めた[1]。1889年に七日市村長に就任した[1]。1896年に内閣に設けられた馬政調査委員を嘱託される[1]。1900年に産牛馬組合会の第1期(第1回)組長に就任した[1]。
1904年に秋田市で死去した[1]。
顕彰碑
編集没後の1912年に当時の秋田県畜産組合長であった伊藤恭之助らが中心となり、顕彰碑が建立された[2][3]。顕彰碑は当初組合事務所があった秋田市寺内に建立された[3]。1944年に組合事務所の移転とともに秋田市の千秋公園に移転され、1974年に河辺町(現在の秋田市河辺)の県畜産連市場入口に移設された[3]。その後、2007年に生家である七日市の長岐邸に移設建立された[2][3]。