ジョン・パート(John Part、1966年6月29日 - )は、カナダのダーツプレイヤー。

ジョン・パート
生誕 1966年6月29日 ウィキデータを編集 (57歳)
トロント ウィキデータを編集
ジョン・パート
John Part
人物情報
愛称 Darth Maple
生誕 (1966-06-29) 1966年6月29日(57歳)
カナダの旗 カナダトロント
ダーツ選手情報
活動期間 1987 -
ダーツ 23g Loxley Darts Signature
利き手 右利き
入場曲 The Imperial March from スター・ウォーズ より Darth Vader's theme
入会組織 (分裂騒動参照)
BDO 1993–1997
PDC 1997–2020
現世界ランク - (2023年11月26日付)
BDOメジャー - 最高成績
世界選手権 優勝 (1): 1994
ワールドマスター ラスト16: 1995, 1997
世界ダーツトロフィー ラスト16: 2007
PDCプレミアイベント - 最高成績
世界選手権 優勝 (2): 2003, 2008
ワールドマッチプレー 準優勝: 2002, 2005
ワールドグランプリ 準優勝: 2002, 2003
グランドスラム 準々決勝: 2007, 2012
プレミアリーグ 6位: 2005, 2009
デサートクラシック 優勝 (1): 2006
欧州選手権 ラスト32: 2008, 2009, 2011, 2013
UKオープン 準優勝: 2004
プレイヤーズ
選手権ファイナル
ラスト16: 2009
他トーナメント勝利
トーナメント
10 February 2017現在

1994年のBDOワールド・ダーツ・チャンピオンシップにおいて、ヨーロッパ以外出身の選手としては初めてワールド・チャンピオンとなった。

1997年にPDCに移籍すると、当時圧倒的な強さを誇り、ほとんど敵無しであったフィル・テイラーのライバルとして数々の名勝負を繰り広げた。

彼は2003年及び2008年のPDCワールド・ダーツ・チャンピオンシップで優勝し、3つの異なる会場 (レイクサイド・カントリー・クラブ, サーカス・タバーン, アレクサンドラ・パレス) でワールド・チャンピオンになった初の選手となった。

2006年のラスベガス・デザート・クラシックでもチャンピオンとなった彼は2023年現在までで、統計的に見て最も成功した北米出身のダーツプレイヤーである。

来歴 編集

1987年からダーツをプレーし始めたパートは、1991年のシラキュース・オープンで優勝した後、プロに転向した。PDC (当時WDC) がBDOから分離してから最初のBDOワールド・ダーツ・チャンピオンシップは1994年に行われたが、パートはこの大会への参加資格を獲得し、当時ほとんど無名であったにも関わらず優勝を果たした。決勝ではベテランのボビー・ジョージを6-0 (セット) で下した。この大会を通じて1セットしか落とさなかったパートはしかし、この後の主要なトーナメントでは思うような結果を残せなかった。1995~97年のBDOワールド・ダーツ・チャンピオンシップではいずれの年も第2ラウンドを越えて進むことはできず、ワールド・マスターズでも最高成績は1995, 97年のラスト16で、1993年から97年までの5回の出場で1度もベスト8以上に到達できなかった。

1997年の途中にPDCに移籍してからもしばらくは主要トーナメントでの早期敗退が続いたが、ランキングは着実に上がっていった。第6シードとして臨んだ2000年のPDCワールド・ダーツ・チャンピオンシップでは初戦でジョン・フェレルを破り大会初勝利を挙げたが、次戦のラスト16でデニス・スミスに0-3 (セット) で敗退した。パートのPDCにおける躍進はこの年から始まったと言ってよく、同年のイーストボーン・オープンで優勝し、ワールド・グランプリでは準々決勝に進出した。翌年のワールド・チャンピオンシップでは躍進し、コリン・ロイド、デニス・スミス、アラン・ウォリナー=リトルを立て続けに破ると、準決勝では第6シードのロッド・ハリントンをフルセットの末6-5 (セット) で撃破し、決勝に到達した。ここでパートの前に立ちはだかったのがフィル・テイラーであり、3ダーツ平均107.46、チェックアウト率72.4%という前代未聞のスタッツで、7-0 (セット) でパートを粉砕した。この試合を通じてパートは3レッグしか取得できず、試合後には「特別なパフォーマンスで、非現実的だった」とテイラーについて述べている。

パートはテイラーに対する圧倒的な大敗にも関わらず、2001年のワールド・マッチプレイ及びワールド・グランプリで準々決勝に達し、翌年のワールド・チャンピオンシップには第7シードとして臨んだ。ミック・マニングスティーブ・ビートンを下して勝ち進んだが、準々決勝で再びテイラーの餌食となった。今度もパートは1セットも取れず、0-6 (セット) で完封負けを喫した。しかしパートは2002年シーズンを終始素晴らしい状態で戦い、マイナータイトルを数多く獲得しただけでなく、ワールド・マッチプレイでは決勝でテイラーをあと一歩のところまで追い詰めた(結果は16-18 [レッグ] での敗戦)。 ワールド・グランプリでも3-7 (セット) でテイラーに敗れるまでに決勝まで進出したパートは世界ランキングでテイラーに次ぐ2位となり、テイラーのライバルとしての地位を確立したのである。

2003年のワールド・チャンピオンシップでパートは順調に勝ち上がり、準々決勝ではクリス・メイソンに5-0 (セット) 、準決勝ではケビン・ペインターに6-4で勝利して再びテイラーと相まみえた。パートは3-0から4-1でリードをとり主導権を握ったが、ここからテイラーが反撃し4セットを連取して4-5となった。ここでパートが奮起し2セットを続けて取って6-5とし優勝まであと一歩と迫るが、第12セットはテイラーが奪った。パートは最終第13セットを3-1 (レッグ) で奪い、テイラーのサーカス・タバーンでの連勝を44で止め、また大会連覇を8で止め、ワールド・チャンピオンとなった。この勝利によりパートは、テイラーを抑えて世界ランク1位の座についた。

パートとテイラーの覇権争いは激しさを増していき、2003年のラスベガス・デザート・クラシックでは準決勝で両者は激突し、パートが13-10 (レッグ) で勝利した。決勝ではピーター・マンリーに12-16で敗れた。同年のワールド・マッチプレイはテイラーが制し、ワールド・グランプリでは両者は決勝で相まみえた。この対戦ではパートは2-7 (セット) で敗れ、この時点でテイラーは世界ランク1位の座を奪還している。2004年のワールド・チャンピオンシップで第3ラウンドにてマーク・ダッドブリッジに3-4 (セット) で敗北しタイトルを失った後、パートは再びテイラーを破った。UKオープンの準々決勝のことだった。パートは決勝まで進むも、オランダのローランド・ショルテンに6-11 (レッグ) で敗れタイトル奪取とはならなかった。同年のワールド・マッチプレイの準決勝では、テイラーがパートに雪辱し、17-8 (レッグ) で完勝した。ラスベガス・デザート・クラシックでもベスト4入りしたパートは第4シードとして2005年のワールド・チャンピオンシップに参戦するが、第4ラウンドで再びマーク・ダッドブリッジに敗れた。同年のUKオープンの第6ラウンドでパートとテイラーは再び火花を散らし、最終第21レッグまでもつれこんだが、11-10 (レッグ) でテイラーに軍配が上がった。しかしパートはテイラーに対する最強の挑戦者であることをワールド・マッチプレイにおいて示した。パートの準々決勝でのテイラーとの対戦は7-7から11-11までもつれた後、パートは5レッグを連続して奪い、16-11 (レッグ) でマッチプレイにおけるテイラーの連勝を27、大会連覇を5でストップした。

翌2006年シーズンをパートはワールド・チャンピオンシップの第3ラウンドでのウェイン・マードルによる2-4 (セット) での敗北で開始したが、主要なトーナメントで思うような結果を残せなかった。この時点ではすでにパートのランキング低下やレイモンド・ファン・バルネフェルトのPDCへの参戦もあり、パートはテイラーのライバルとはあまり見なされなくなった。しかし、同年のラスベガス・デザート・クラシックでは決勝でバルネフェルトを6-3 (セット) で下し、2個目のPDCメジャータイトルを獲得した。第18シードとなり挑んだ2007年のワールド・チャンピオンシップでは、第2ラウンドでクリス・メイソン相手に苦汁を飲んだ。同年のUKオープンでは第5ラウンド、ワールド・マッチプレイでは第2ラウンドでそれぞれ敗退したが、2007年シーズンの後半にかけて調子を取り戻し、ワールド・グランプリではベスト4、初開催のグランドスラム・オブ・ダーツではテイラーに敗れるまでにベスト8に残った。

2008年のワールド・チャンピオンシップでは、優勝候補であり、2強と見なされていたテイラーとバルネフェルトが共に準決勝までに敗退する中、パートは本来の実力を発揮し、準々決勝で第3シードのジェームズ・ウェイドを5-4 (セット) で撃破した。準決勝ではベテランのケビン・ペインターに6-2で勝利し、決勝で相対したのは弱冠21歳のカーク・シェパードであった。シェパードはこの大会で数々の番狂わせを起こしてきたが、決勝ではそれは繰り返されず、パートが終始落ち着いたプレーで試合を主導し、7-2で3度目のワールド・タイトルを手にした。パートはこの勝利により、エリック・ブリストウジョン・ロウ、フィル・テイラー、レイモンド・ファン・バルネフェルトに次ぎ、世界選手権で3度優勝した5人目のプレイヤーとなった。パートの世界ランキングは4位まで上昇したが、その後の成績は振るわず、ワールド・グランプリで準々決勝に残った他は主要トーナメントの早期ラウンドでの敗退が続いた。2009年のワールド・チャンピオンシップは第4シードだったものの、初戦でアメリカのビル・デイビスにまさかの敗北を喫した。同年のラスベガス・デザート・クラシックでは準決勝でテイラーとぶつかったが、今度は11-1 (レッグ) でテイラーがパートを一蹴した。この年、同大会の他は早期敗退が続き、一連のトーナメントの結果、パートのランキングは大幅に下降していくのである。

2010年のワールド・チャンピオンシップでは第2ラウンドにおいて、カーク・シェパードに1-4 (セット) で敗れた。UKオープンは初戦である第3ラウンドでマーク・ウォルシュに撃破された。パートはこの年の一連のメジャートーナメントに出場できなかったが、翌2011年にはやや調子を取り戻した。ワールド・チャンピオンシップこそ第1ラウンド敗退だったが、プレイヤーズ・チャンピオンシップのタイトルを3個獲得し、これによって再びメジャートーナメントへの参戦が可能となった。ワールド・マッチプレイの初戦でパートは快挙を達成した。マーク・ウェブスターとの対戦の第11レッグにおいて、ナイン=ダート・フィニッシュを達成したのである。パートはこれにより、賞金10,000£を手にした (試合は8-10で敗戦) 。ワールド・グランプリの初戦では当時のワールド・チャンピオンであるエイドリアン・ルイス相手に一歩も引かず、2-1 (セット) で勝利を収めたが、次戦でブレンダン・ドーランに敗れた。同年のグランドスラム・オブ・ダーツではグループステージを突破し、ラスト16で再びエイドリアン・ルイス相手に善戦するも、今度は8-10 (レッグ) で敗れた。

パートは再び世界選手権の舞台で躍動し、2012年のワールド・チャンピオンシップで準々決勝まで勝ち進むと、第3シードのジェームズ・ウェイドと凄まじい激戦を繰り広げた。下馬評ではウェイドの圧倒的有利だったが、1-3 (セット) からパートが反撃し、試合は最終第9セットに突入した。このセットで両者は10レッグを分け合い、サドンデスレッグが必要な段階となったが、最後にはウェイドが制した。試合後にパートは、「これまで負けた中で最高の試合だった」と語っている。パートは同年のグランドスラム・オブ・ダーツでグループステージを突破し、ブレンダン・ドーランを破って準々決勝に進むが、アンディ・ハミルトンに12-16 (レッグ) で敗れた。2013年のワールド・チャンピオンシップは第2ラウンドでテリー・ジェンキンスに1-4 (セット) で敗れた。同年3月に行われたUKマスターズでパートは成功し、ゲイリー・アンダーソンサイモン・ウィットロック、エイドリアン・ルイス等を破って勝ち進むと、決勝ではスチュアート・ケレットに6-4 (レッグ) で勝利して、初のヨーロピアンツアータイトル及び賞金20,000£を得た。これによりパートは一連のメジャートーナメントへの出場権を獲得したが、そこでは初戦敗退が続いた。同年のPDCワールドカップ・オブ・ダーツではジェフ・スミスと共にカナダを代表し、グループステージを突破するが、ラスト16で強豪ウェールズに敗れた。

パートは2014~15年シーズンにかけ、メジャー大会はワールド・チャンピオンシップとUKオープンにのみ出場したが、いずれも早期敗退であった。2016年のワールド・チャンピオンシップは出場資格を得られず、BDO、PDCの両団体を通じた世界選手権への連続出場記録は22回でストップした。同年のワールド・カップ・オブ・ダーツではケン・マクニールと共にカナダを初のベスト8に導いた。その過程には、第5シードのウェールズに対する勝利も含まれていた。パートは翌年、長年の功績とコメンテーター、及び評論家としての活躍、キャリアを通じた紳士的な行動が認められ、14人目のPDC殿堂者となった。パートは2018年のUKオープンにおいて、2012年のグランドスラム・オブ・ダーツ以来となるメジャートーナメントの準々決勝に進出した。同年のワールド・カップ・オブ・ダーツは第2ラウンドにおいて日本と対戦し、パートはシングルスで浅田斉吾とフルレッグの接戦を演じたが、3-4 (レッグ) で敗れ、チームも敗退した。

パートは2022年以降、ワールド・シニア・ダーツ・ツアー (WSDT) の主催する大会に多く出場している。この年のワールド・シニア・ダーツ・マスターズでは、予選ラウンドで164チェックアウトを決めるなどしてポール・リムを相手にツアー初勝利を挙げた。次戦は宿敵、フィル・テイラーとの久しぶりの対戦であったが、0-4 (セット) で敗れた。2023年のワールド・シニア・ダーツ・チャンピオンシップには第6シードで参加した。初戦でオランダのコ・ストンプに勝利し、次戦でワールド・ダーツ・トロフィーの2016年のチャンピオンであるダリル・フィットンに敗れた。

戦績 編集

 

 BDO世界選手権
  • 8勝3敗 出場4回
  • 優勝: 1回 (1994)
  • 準優勝: 無し
  • ベスト4: 無し
  • ベスト8: 無し


 ワールド・マスターズ
  • 20勝10敗 出場10回
  • 優勝: 無し
  • 準優勝: 無し
  • ベスト4: 無し
  • ベスト8: 無し


 ワールドダーツ・トロフィー
  • 1勝1敗 出場1回
  • 優勝: 無し
  • 準優勝: 無し
  • ベスト4: 無し
  • ベスト8: 無し


 インターナショナル・ダーツリーグ
  • 1勝2敗 出場1回
  • 優勝: 無し
  • 準優勝: 無し
  • ベスト4: 無し
  • ベスト8: 無し


 PDC世界選手権
  • 29勝16敗 出場18回
  • 優勝: 2回 (2003, 08)
  • 準優勝: 1回 (2001)
  • ベスト4: 無し
  • ベスト8: 2回 (2002, 12)


 ワールドマッチプレー
  • 17勝15敗 出場15回
  • 優勝: 無し
  • 準優勝: 2回 (2002, 05)
  • ベスト4: 1回 (2004)
  • ベスト8: 1回 (2001)


 ワールドグランプリ
  • 18勝15敗 出場14回
  • 優勝: 無し
  • 準優勝: 2回 (2002 – 03)
  • ベスト4: 1回 (2007)
  • ベスト8: 3回 (2000 - 01, 08)


 UKオープン
  • 24勝14敗 出場14回
  • 優勝: 無し
  • 準優勝: 1回 (2004)
  • ベスト4: 無し
  • ベスト8: 1回 (2018)


 ラスベガス・デザート・クラシック
  • 22勝7敗 出場8回
  • 優勝: 1回 (2006)
  • 準優勝: 1回 (2003)
  • ベスト4: 4回 (2004 - 05, 07, 09)
  • ベスト8: 1回 (2002)


 プレミア・リーグ・ダーツ
  • 9勝8分21敗 出場3回
  • 優勝: 無し
  • 準優勝: 無し
  • ベスト4: 無し
  • ベスト8: 無し


 グランドスラム・オブ・ダーツ
  • 12勝9敗 出場5回
  • 優勝: 無し
  • 準優勝: 無し
  • ベスト4: 無し
  • ベスト8: 2回 (2007, 12)


 ヨーロピアン・チャンピオンシップ
  • 0勝4敗 出場4回
  • 優勝: 無し
  • 準優勝: 無し
  • ベスト4: 無し
  • ベスト8: 無し


 プレイヤーズ・チャンピオンシップ・ファイナルズ
  • 1勝3敗 出場3回
  • 優勝: 無し
  • 準優勝: 無し
  • ベスト4: 無し
  • ベスト8: 無し


年度別成績 編集

BDO PDC 年度末順位
WPC WM WDC WMP WG LAS UK PR GS EU PCF WC
1993 NJ L32 NH NH NH NH NH NH NH NH NH NH -
1994 W L32 NJ NJ
1995 L16 L16
1996 L16 L128
1997 L16 L16 L40
1998 NJ L64 GS L32 L16
1999 L64 L32 L32 GS 6
2000 L32 L16 L32 QF 7
2001 L64 F QF QF 7
2002 L64 QF F F QF 2
2003 NJ W L16 F F L16 2
2004 L32 SF L32 SF F 4
2005 L16 F L32 SF L16 GS 11
2006 L16 L16 L32 W L16 NJ 18
2007 L32 L16 SF SF L32 QF 11
2008 W L16 QF L32 L16 GS L16 L32 4
2009 L64 L32 L32 SF L64 GS GS L32 L16 4
2010 L32 NJ NJ NH L64 NJ NJ NJ NJ QF 32
2011 L64 L32 L16 L32 L16 L32 NJ NH 27
L32
2012 QF NJ NJ L64 QF NJ NJ L16 24
2013 L32 L32 L32 L32 NJ L32 L32 L16 25
2014 L32 NJ NJ L96 NJ NJ L32 30
2015 L64 L128 L32 53
2016 NJ NJ QF 86
2017 L16 158
2018 QF L16 97

注: 表中のNHは不開催, NJは非参加, RRは予選ラウンド敗退, QFは準々決勝敗退, SFは準決勝敗退, Fは準優勝, Wは優勝, GSはグループステージ敗退を示す。トーナメント表記は以下の通りである。なお、年度末順位はPDCのものだけである。

WPC: BDOワールド・プロフェッショナル・ダーツ・チャンピオンシップス, WM: ワールド・マスターズ, WDC: PDCワールド・ダーツ・チャンピオンシップ, WMP: ワールド・マッチプレイ, WG: ワールド・グランプリ, LAS: ラスベガス・デザート・クラシック, UK: UKオープン, PR: プレミア・リーグ・ダーツ, GS: グランド・スラム・オブ・ダーツ, EU: ヨーロピアン・チャンピオンシップ, PCF: プレイヤーズ・チャンピオンシップ・ファイナルズ, WC: PDCワールド・カップ・オブ・ダーツ

世界選手権の結果 編集

BDO 編集

PDC 編集

外部リンク 編集