ロバート・ブレット・ランガーRobert Brett Lunger1945年11月14日 - )は、アメリカの元レーシングドライバー[1]

ブレット・ランガー
基本情報
フルネーム ロバート・ブレット・ランガー
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 同・デラウェア州ウィルミントン
生年月日 (1945-11-14) 1945年11月14日(78歳)
F1での経歴
活動時期 1975 - 1978
過去の所属チーム '75 ヘスケス
'76 サーティース
'77 チェスターフィールド・レーシング
'78 BSファブリケーションズエンサイン
出走回数 43 (34スタート)
タイトル 0
優勝回数 0
表彰台(3位以内)回数 0
通算獲得ポイント 0
ポールポジション 0
ファステストラップ 0
初戦 1975年オーストリアGP
最終戦 1978年アメリカGP
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経歴 編集

1945年11月にデュポン財閥創業者一族の御曹司として生まれる。

ベトナム戦争では徴兵で、Navy SEALsに所属していた。

1966年からCan-Amシリーズで名を馳せた。

1976年にニュルブルクリンクで、ニキ・ラウダの事故に遭遇。ラウダのフェラーリ・312T2とクラッシュするがランガーは無事だった。コースマーシャルとハラルド・アートルガイ・エドワーズアルトゥーロ・メルツァリオと協力してラウダを救出した。

逸話 編集

彼の乗るサーティース・TS19デュレックスをスポンサーにしておらず、チェスターフィールド(途中からカンパリ)をスポンサーにしている。

補足 編集

私はこの事故で人間というものがいかに弱く脆いものなのかを改めて思い知らされた 正直に言えばニキのことは嫌いだった、だがニキも私も同じ人間なんだ、いや、ニキに限らず他の連中だって同じ、悩み苦しみ何かを求めている人間なんだって、そういうことを思ったね あの時点で私はただの生意気なコドモで周囲から見ても本当に嫌な奴だったと思うが あれ以来少しはマシな人間になれたと思う、生きているということがこんなに素晴らしいことだなんてあの事故が私にさまざまなことを考えるきっかけを与えてくれ、私も生きるのならば少しでも良き人間になりたいと考えるようになった。

 
1976年イギリスGPでのランガー

レース成績 編集

F1 編集

Key

所属チーム シャーシー エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 WDC ポイント
1975年 ヘスケス 308 フォード コスワース・DFV 3.0 V8 ARG BRA RSA ESP MON BEL SWE NED FRA GBR GER AUT
13
ITA
10
USA
Ret
NC 0
1976年 サーティース TS19 BRA RSA
11
USW
DNQ
ESP
DNQ
BEL
Ret
MON SWE
15
FRA
16
GBR
Ret
GER
Ret
AUT
10
NED ITA
14
CAN
15
USA
11
JPN NC 0
1977年 チェスターフィールド・レーシング 761 ARG BRA RSA
14
USW
Ret
ESP
10
MON NC 0
M23B BEL
DNS
SWE
11
FRA
DNQ
GBR
13
GER
Ret
AUT
10
NED
9
ITA
Ret
USA
10
CAN
11
JPN
1978年 リゲットグループ/BSファブリケーションズ ARG
13
BRA
Ret
RSA
11
USW
DNQ
NC 0
M26 MON
DNPQ
BEL
7
ESP
DNQ
SWE
DNQ
FRA
Ret
GBR
8
GER
DNPQ
AUT
8
NED
Ret
ITA
Ret
エンサイン N177 USA
13
CAN

ヨーロッパ・フォーミュラ2選手権 編集

エントラント シャーシー エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 Pos. ポイント
1972年 ピーター・ブローレン・レーシング マーチ・ 722 フォード BDA MAL
10
24位 3
スパイス・レーシング THR
DNS
HOC
Ret
PAU PAL
DNQ
HOC
Ret
ROU
DNQ
ÖST
DNQ
IMO
DNQ
MAN
4
PER SAL ALB HOC
DNQ
1973年 シェブロン・B25 MAL HOC THR NÜR PAU KIN NIV
8
HOC ROU
7
MNZ
Ret
MAN KAR
9
PER SAL NOR ALB VAL
Ret
32位 1

脚注 編集

  1. ^ F1 DataWeb : 戦績:B.ランガー”. f1-data.jp. 2021年5月27日閲覧。