長野・愛知4連続強盗殺人事件

2004年1月 - 9月に日本の愛知県と長野県で発生した連続殺人事件

長野・愛知4連続強盗殺人事件(ながの・あいち よんれんぞく ごうとうさつじんじけん)は、2004年平成16年)1月13日から同年9月7日にかけて、愛知県春日井市および長野県飯伊地域飯田市下伊那郡高森町)で連続して発生した強盗殺人事件[1]。春日井市でタクシー運転手1人(当時59歳)が、長野県では高齢者3人(飯田市の77歳女性、高森町の69歳男性・74歳女性)が相次いで殺害された[1]。犯人の男Nは2007年(平成19年)に死刑判決確定し、2009年(平成21年)1月29日に東京拘置所死刑を執行された(32歳没)[2]

中日新聞』では4つの事件を合わせて長野・愛知連続強盗殺人事件と呼称される[3][4][5]。また地元紙の『信州日報』では特に長野県内で発生した3事件を合わせて飯田・高森連続強盗殺人事件[1][6]飯田市・高森町の連続殺人事件[7]と呼称された。

事件の経緯 編集

一連の事件の犯人は男N・S(以下「N」、1976年〈昭和51年〉10月22日 - 2009年〈平成21年〉1月29日[8])である。Nは長野県飯田市出身で[9]、本籍地は飯田市桜町[10]。Nは小学6年生の時に飯田市内の小学校から市立浜市場小学校へ転校、飯田東中学校へ進学した[11]。Nは小学6年ごろから中学3年ごろまでの約4年間、飯田市内の新築の3階建ての家で暮らしていたが、この時期に両親が離婚し、父親の借金や家の売却などで家庭環境は崩壊、N自身も非行を繰り返していた[12]

1992年(平成4年)[13]、飯田東中を卒業したNは地元の土木関係会社などに勤めていたが[9]、スポーツタイプの車を購入した18歳のころから無断欠勤が増え、入社6年目に退職した[13]。その後は他の建設会社などを転々とするようになり[14]、飯田市内のアパートで一人暮らしをしていたが、仕事で腰痛を起こしたことに加え、2002年(平成14年)8月に自損事故を起こした[13]。この事故で首と腰を痛め[14]、腰椎椎間板ヘルニアと頸椎捻挫の診断を受けた[13]。以降は仕事ができず生活費に事欠くようになり、知人や元同僚宅への空き巣に入るようになった[14]。Nは2003年(平成15年)3月20日、3月分の家賃38000円を支払わないままアパートを出てレンタカーを4日間の契約で借りた[13]。そして住み込みで働ける職を探すために愛知県に向かったが、4月下旬に入っても職は見つからず、それ以降は返却期限を過ぎたレンタカーで車上生活を送り、同年5月には飯田市内の民家で空き巣を働いて100万円近くの現金を盗んだ[13]。N本人は同月ごろに睡眠薬で自殺を図ったが未遂に終わり、それ以降は「何かあれば死ねばいいんだ」と思って空き巣や強盗殺人を繰り返すようになったと述べている[15]。その後、Nは鹿児島県まで一人旅をした後、かつての同僚や親族の家などで空き巣を繰り返し、その金で中古車を購入した[13]。また鹿児島への一人旅の帰りに釣具店でナイフを購入し、後の連続殺人で凶器として用いた[16]

同年9月23日、Nは半年前の3月まで住んでいた飯田市内のアパートの一室に侵入し[13]、現金約1020万3500円と財布2個(約10万5000円相当)を盗む窃盗事件を起こした[17]。その際に得た金は外国製の高級腕時計や車の改造パーツなどの購入費用に充てたり、パチンコやバーなどで遊んだりするのに遣い、3か月後には遣い果たしたという[13]

A事件 編集

Nは2004年正月明けから、後述するA事件の現場付近にあるスーパー銭湯周辺の路上に軽乗用車を駐め、車内などで生活していた[18]。当時、Nは9月に盗んだ金で遊び歩いていた際に出会った女性(高森町在住)と交際するため、愛知県で働く裕福な男を装っていたが、9月に盗んだ金は遣い果たしており、新たな盗みのために車で愛知県へ赴いていた[16]。事件当日の1月13日、Nは愛知県春日井市内で自転車を盗み、窃盗目的で名古屋駅近くまで行ったものの、乗ってきた自転車を盗まれ、タクシーに乗って強盗をすることを思いつく[18]。同日22時過ぎ、Nはタクシー運転手を殺害して現金を奪おうと考え、釣り用ナイフ(刃渡り13 cm)を持って名古屋市中村区名駅一丁目の路上で男性A(当時59歳)の運転するタクシーに乗車した[18]。Aは個人タクシーの運転手で、普段は深夜から未明にかけて名駅・周辺や自宅に近い平針駅付近で客待ちをしており、事件現場の春日井市は営業エリア外だった[19]

NはAに命じてタクシーを春日井市大泉寺町の路上まで運転させ、22時40分ごろにAの首をナイフで刺して殺害、売上金18000円と運賃4860円、タクシーのエンジンキー、灰皿などを奪った[18]。現場は春日井商業高校敷地東側に面した道路(おおよその座標、春日井市第一介護サービスセンターの向かい)で、東名高速道路春日井インターチェンジ (IC) からは南東へ約800 m離れていた[注 1][19]。発見当時、タクシーは道路左側の歩道に沿って北東向きに停まっていた[19]。A事件について、Nは当初から運転手を殺し、免許証を奪って自宅を突き止め、金品を奪うことが目的だったと述べている[20]。事件発生を受け、愛知県警察捜査一課春日井警察署は強盗殺人事件として捜査していた[19]

B事件 編集

NはA事件を起こした後、高森町の女性宅に身を寄せていたが[16]、同年4月26日には飯田市大王路の民家で独居していた高齢女性B(当時77歳)を絞殺して金品を奪った[10]。Bは2003年5月、Nから「駐車場を借りたい」と車庫証明用の書類を書くよう頼まれていた[16]。NはB事件について、以前空き巣事件の容疑者として飯田署から取り調べを受けたことを恨んでいたため、同署の近くで挑発的な行為をしたかったと述べている[20]。また絞殺という殺害手段を選んだ理由については、A事件で刺殺したAが死の間際に吐いた「俺の人生終わりか」という言葉が耳から離れなかったため、同じような言葉を聞かない殺害方法を選んだと述べている[16]

Bは事件の約20年前に夫と死別してから一人暮らしであり、隣の家に住む長女(同年9月時点で51歳)が4月27日17時40分ごろに夕食を運んだ際、自宅の居間で鼻から血を流して死亡している母Bを発見した[21]。事件後、飯田署は第一発見者であるBの長女に対し、7月ごろまで週1回、朝9時から深夜まで事情聴取を行い、その際に捜査員が「自首しろ」「おまえが犯人だったらいい」などと繰り返し迫ったほか、6月ごろには長女をポリグラフにかけ、反応がなくても「無意識に殺したんじゃないか」などと迫っていた[21]。Bの長女はNが逮捕された後の9月20日、県警から犯人扱いされたとして、捜査協力を求めるため自宅を訪れた署幹部に抗議、刑事課長はBの長女に対し「行き過ぎた捜査については、おわびしたい」と謝罪の言葉を述べた[21]。一方で同署の副署長は『南信州新聞』の取材に対し「第一発見者や親族から繰り返し話を聞くのは当然のこと。犯人扱いするような言動はなかったと考えている」と述べていたが、Bの長女は同紙に対し、ストレスのために鬱病になったことを打ち明け「警察への恨みは忘れられない」と訴えていた[21]。この問題を受けて松本サリン事件の被害者であり、県公安委員を務めていた河野義行が同年10月7日、私人としてBの長女宅を訪れて面談し、「市民にとって大きな負担となる捜査方法は改善すべき」として、公安委員会で警察側に陳謝の要望があったことを報告することを約束した上で、捜査指針(任意の事情聴取の時間にどれほどの制限を設けるべきかなど)の作成を提案する意向も示した[22]。河野は翌8日に開かれた県公安委員会定例会で、任意の事情聴取時間の基準設定など4項目を要望した上で、県警から公式にBの長女へ謝罪するよう提言、これを受けて同月12日には飯田署長がBの長女を訪れて直接謝罪した[23]

C事件・D事件 編集

同年8月14日、Nは飯田市と隣接する下伊那郡高森町出原の民家で独居高齢男性C(同69歳)を刺殺して金品を奪った[10]。また同年9月7日には高森町吉田の民家で、独居高齢女性D(同74歳)を刺殺して金品を奪った[10]。Cは事件の約10年前に息子を、7年前に妻をそれぞれ亡くしており、事件当時は一人暮らしだった[24]

高森町で発生した殺人事件は、終戦直後の1946年昭和21年)5月10日に同町の前身自治体である市田村で発覚した一家7人殺害事件未解決事件)以来58年ぶりで[25]、8月の事件が戦後2件目、9月の事件が3件目であった[26]

C事件は8月11日に開かれた寺の集まりにCが参加しなかったことから、不審に思ったCの弟3人が兄であるC宅を訪れた際に発覚した[27]。またDは天竜自動車学校に゙パート従業員として勤めていたが、事件の約20年前に夫を亡くし、娘2人も嫁いでいたため一人暮らしだった[28]

独居老人の特定は、同町の有線放送電話番号簿に載っていた、家族構成などの個人情報によるものとされている。

  • 日本で個人情報守秘が広く認識される以前、地方の町村単位で作られていた有線放送電話番号簿では、検索の便宜を図って代表者(世帯主)以外に同居家族欄を設け、同居者全員の氏名を掲載している事例があった(田舎の同じ地区内であると同姓の家が多いことや、3世代同居の多さなどで相手先を探しにくい事情から、利用者からもそのような需要があった)。このような形式の番号簿では、独居者だと家族欄が空欄となるため容易に判別できてしまう。高森町では高森町有線放送農協が有線番号簿を発行していたが、この番号簿も一人暮らしであることがわかるようになっていた[12]。高森町は事件後に有線電話帳を電話ボックスから回収し、防犯灯の増設、夜間のパトロール、独居高齢者への電灯購入費用補助などを行った[29]

地元住民によれば、同町の現場周辺は夜も鍵をかけないような地域で[30]、地元紙の『信州日報』も飯伊地域は「都会の常識では考えられないほど平和な社会」であり、地域のほとんどが顔見知りであることから、畑仕事に出る際や就寝時にも玄関を施錠しないことが当たり前だったと述べている[31]。そのような地域で例を見ないペースで発生した一連の事件は地元住民たちを疑心暗鬼に陥れ、事件後には住民たちは呼び鈴の音に敏感になり、また客が来てもなかなか玄関を開けなくなったという[32]。また高森町周辺では玄関先に防犯灯を設置するなどの自衛策を取る家庭が増えたが、第一審判決が言い渡され2006年5月時点では事件前の平静を取り戻し、防犯意識が緩みつつあったという[7]

逮捕 編集

長野県警察捜査一課と所轄の飯田警察署は、B事件[33]、C事件、D事件のそれぞれで捜査本部を設置していたが[注 2]、後にすべてNの犯行と判明したことから、NがD事件の被疑者として逮捕された9月17日以降、これら3事件の捜査本部を統合[9]、「飯田市及び高森町における連続強盗殺人事件特別捜査本部」を設置した[1]

Nは同年9月13日、飯田市下久堅の民家へ空き巣に入った[9]。この家はNの元同僚の家で、元同僚は何度も被害に遭っていたことから警察に自動通報される防犯センサーを設置しており、Nが窓ガラスを割って鍵を開けたところでセンサーが作動した[34]。Nは何も取らずに逃走したが、通報を受けて駆けつけた飯田署員に職務質問されて住居侵入と窃盗未遂容疑で逮捕された[35][27]。この事件について、N本人は「最初から強盗殺人目的で侵入した。警報機がなかったら、殺していたと思う」「本来は元会社社長宅に入ろうとも計画していた」と述べ、さらに強盗殺人を繰り返すつもりだった旨を供述している[15]。同日当時、C事件からは1か月、D事件からは1週間がそれぞれ経過しており、飯田署が150人態勢で捜査を継続していたが、凶器は発見されておらず、有力な情報提供もなかった[27]。一方で同署はパトロールの範囲を広げ、高森・松川・豊丘・喬木の4町村を中心に警戒を強めていた[27]。県警は当時、この連続殺人事件について市内で発生していた窃盗事件との関連も睨んで捜査しており[10]、その後の取り調べでNはDらの殺害を自供し、飯田市内の山林で凶器のナイフとDのセカンドバッグが発見されたことから、飯田署の捜査本部は同月17日にD事件の強盗殺人容疑でNを再逮捕した[9]

後にNはB・Cの両事件や、愛知県で発生したA事件についてもそれぞれ自供した[12]。同年10月8日、NはC事件の強盗殺人容疑で特捜本部に再逮捕され、同日には長野地検からD事件の強盗殺人罪で起訴された[36]。同月30日にはB事件の強盗殺人容疑で再逮捕され、C事件の強盗殺人罪で起訴された[37]。同月21日、NはB事件の強盗殺人罪と、2003年9月に起こした余罪の窃盗事件で長野地方裁判所へ起訴された[17]。同月24日、NはA事件の強盗殺人・銃刀法違反容疑で愛知県警察に再逮捕され、身柄を拘置先の飯田署から春日井警察署へ移送された[38]。同月12月15日、Nは名古屋地方検察庁により強盗殺人罪で起訴された[39]

Nは連続殺人の動機について「金を取るには、殺した方が確実だった」と供述し、後の公判でも「人を殺すのは窓を割るのと同じ」と述べていた[40]

刑事裁判 編集

Nは被害者4人への強盗殺人など、9つの罪に問われた[41]

第一審 編集

長野県の3事件(B事件・C事件・D事件)は長野地方裁判所へ、A事件は名古屋地方裁判所へそれぞれ起訴されていたが、A事件も長野地裁へ併合され、第一審の審理はすべて長野地裁で一括審理されることとなった[42]

第一審の公判は長野地裁(土屋靖之裁判長)で2005年(平成17年)4月[注 3]から2006年(平成18年)3月まで9回にわたって開かれ[44]、2006年2月8日の論告求刑公判で、長野地方検察庁被告人Nに死刑を求刑した[44][45]。一方で3月22日には弁護人の最終弁論が行われ[44]、弁護人の鈴木栄二は、住居侵入事件で逮捕されたNが強盗殺人4件を自供したことは自首に当たると主張、さらに死刑制度は違憲であるとも主張していた[29]。またNは暴力的な家庭環境の犠牲者であり、自身に不利な供述も積極的に行うなど反省の様子が窺えるとして、寛大な処遇を求めたが[44]、N本人は「死をもって償いたい」と述べていた[29]。またNは最終意見陳述で、被害者遺族に手紙を送る意向を述べていたが、死刑執行まで手紙は遺族には届いていなかった[40]

長野地裁は同年5月17日、Nに死刑判決を言い渡した[41][46]。同地裁は犯行を計画的なものと認定した上で[41]、A事件のみ自首の成立を認定したが、B・C・Dの3事件については自首の成立を認めず、これらの事件の自供も犯行から8か月あまりが経過した後であることから、自首による量刑の軽減は相当ではないと判断した[29]。また弁護人の主張していた死刑違憲論も退け、犯行の重大性・悪質性から[29]、情状酌量の余地はないとした[41]。長野地裁における死刑求刑・死刑判決宣告はいずれも、1956年(昭和31年)に長野市で発生した一家4人殺害事件(1957年9月に求刑・第一審判決)以来49年ぶりであった[45][29][46]

弁護人の鈴木は「世界中が死刑廃止に向かう中で、形式的で薄っぺらな内容」と判決を批判し、同日中に東京高裁控訴した[29]

控訴審 編集

東京高裁で同年10月11日に開かれた控訴審初公判で、Nは死刑という量刑には不服はないが、自分の口で述べたいことがあったから控訴したと述べ、その「言いたいこと」とはA事件の前に犯した別の殺人であると発言した[20]

同月25日の第2回公判で、Nは2003年(平成15年)4月か5月ごろ、福島県福島市付近で返済期限の過ぎていたレンタカーを脇見運転していたところ、見知らぬ女性をはねて「警察に連絡する」と言われたため、窃盗の余罪などが発覚することを恐れて女性をロープで絞殺し、殺害現場から多少離れた山中に遺体を遺棄したと供述した[47]。また、この最初の殺人をきっかけに殺人に対する抵抗が薄れていき、愛知県でA事件を起こしてもわからないと思い、連続殺人へと発展していったと述べていた[47]福島県警察によれば、Nの供述した時期には女性の家出捜索願が8件出されており[47]、県警はこの供述を受けて同年11月9日にNの身柄を福島警察署へ移し、同月13日から20日まで1000人以上の捜査員を動員して大規模な捜査を展開した[43]。しかしこの捜査によっても手掛かりは得られず[48]、Nの身柄は当時収監されていた東京拘置所に戻された[43]。Nはこの殺人の自供は嘘であると供述した上で、このような虚偽供述をした動機については「人を殺したといえば大騒ぎになり、世間や親族が相手にしなくなる。(親族などから)縁を絶たれることで、現実を受け入れて死にたい」[43]「接見や手紙を通じて母親の愛情を感じ、それが負担になった。もう一件殺人を犯したといえば、自分のことを見捨ててくれるだろうと思った」と述べ、嘘であることを打ち明けた理由は寒い中で多数の捜査員が捜査に携わっていることを知り、申し訳なく思ったからであると述べた[15]。また弁護人の松井克允はNのこの供述を受け、Nには反省の念が芽生えつつあるのだろうと述べた上で、幼年期にNが受けた虐待などを踏まえ、情状鑑定などの必要があると述べていたが[47]、後にこの殺人の「自供」が虚偽であったと知り、「正直なところ『バカヤロー』と思った」と述べている[43]

東京高裁(原田國男裁判長)で開かれた第3回公判で被告人質問が行われ、松井は情状鑑定を申請したが、裁判長は却下し、結審した[15]。同日の公判では、原田が被告人質問でNに対し「自殺願望といい、人の命をなんとも思っていないように思える。法的な裁きを受け入れるのが、遺族に対する反省の気持ちだ」と諭す場面があった[15]

死刑確定 編集

2007年(平成19年)1月22日に控訴審判決公判が予定されていたが、N自身が同月11日付でNが自ら控訴を取り下げたため、死刑が確定した[49][50]。Nは松井に事前の相談をしておらず、また取り下げ後の接見でもその理由を語ることはなかったが、松井はNの刑に服する意思を優先し、異議申し立てなどは行わなかった[49]

死刑執行 編集

死刑確定から2年後の2009年1月29日、死刑確定者(死刑囚)となっていたNは東京拘置所死刑を執行された(32歳没)[2][51]。同日には名古屋拘置所でもドラム缶女性焼殺事件の犯人2人が、また福岡拘置所でも死刑確定者1人が刑を執行されており、Nを含めて4人の死刑が執行されたことになる[51]

その他 編集

本事件が発生した前後の2004年8月 - 9月にかけては、加古川7人殺害事件(8月2日発生)、津山小3女児殺害事件(9月3日)、豊明母子4人殺害事件(9月9日)、栃木兄弟誘拐殺人事件(9月12日)、金沢市夫婦強盗殺人事件(9月13日)、大牟田4人殺害事件(9月21日発覚)と、日本各地で被害者が大量に上ったり、幼い子供が犠牲になったりする凶悪な殺人事件が短期間に相次いで発生していた[52]警察庁は『平成16年の犯罪情勢』で、同年に発生した主な殺人事件の事例として、本事件と加古川7人殺害事件、豊明母子4人殺害事件、大牟田4人殺害事件を挙げている[53]

脚注 編集

出典 編集

  1. ^ 現場の道は幅約5 mの片側1車線道路だが、約10m先に進むと道幅は3 m程度になって中央線もなくなり、十数メートル進むと住宅密集地に入る場所であり、事件当時は現場近くだけ街灯と家並がなかった[19]
  2. ^ B事件の際は「飯田市大王路における老女殺人事件捜査本部」、C事件の際は「高森町における男性殺人事件捜査本部」、D事件の際は「高森町吉田における女性殺人事件捜査本部」という名称で、B・D両事件の本部はいずれも小口彰夫(刑事部長)が捜査本部長を務めた[1]
  3. ^ 初公判は同月21日に開かれた[43]

出典 編集

  1. ^ a b c d e 『信州日報』2004年12月26日付(第15479号)9頁「連続殺人が地域に衝撃 飯田下伊那ことしの事件簿(1)」「飯田・高森連続強盗殺人事件経過」(信州日報社)
  2. ^ a b 『信州日報』2009年1月31日付(第16881号)7頁「N死刑囚の死刑執行 判決確定から2年 被害者遺族ら淡々と」(信州日報社)
  3. ^ 中日新聞』2005年4月21日夕刊社会面13頁「長野・愛知4人強殺 罪状認める 『生活のため』暴走果て 長野地裁 初公判 被告、小声で訴え」「弁護士に『自分の言葉で説明したい』」「【長野・愛知連続強盗殺人事件の経過】」(中日新聞社
  4. ^ 『中日新聞』2005年4月22日朝刊長野中日18頁「長野・愛知4人強殺 『怒りしかない』『極刑を』 被害者の関係者ら 初公判 悲しみ新た」「情状面認定や自首成立焦点 検察が方針法廷に遺族」(上野実輝彦)「冒頭陳述の要旨」(中日新聞社)
  5. ^ 『中日新聞』2006年6月28日朝刊長野中日16頁「『冤罪 人ごとでない』松本でシンポ 犯罪被害者支援考える」(中日新聞社 堀祐太郎)
  6. ^ 『信州日報』2004年12月28日付(第15480号)1頁「視点 「災」」(信州日報社)
  7. ^ a b 『信州日報』2006年5月19日付(第15887号)1頁「指標」(信州日報社)
  8. ^ 年報・死刑廃止編集委員会 著、(編集委員:岩井信・可知亮・笹原恵・島谷直子・高田章子・安田好弘・深田卓) / (協力:死刑廃止国際条約の批准を求めるフォーラム90、死刑廃止のための大道寺幸子・赤堀政夫基金、深瀬暢子・国分葉子) 編『袴田事件再審無罪・死刑廃止へ 年報・死刑廃止2023』(第1刷発行)インパクト出版会、2023年10月10日。ISBN 978-4755403361NCID BD04317751国立国会図書館書誌ID:033089483全国書誌番号:23938830 
  9. ^ a b c d e 信州日報』2004年9月19日号(第15401号)1頁「連続強殺容疑者は地元27歳男 自供通り凶器など発見 飯田署 まず高森吉田の事件で逮捕」「大王寺と出原も関与 県警3時間統合し捜査本部」「被害者いずれも独居高齢者 犯行後施錠など類似点多く」「大柄だが根は優しかった」「驚く中学校同級生ら」「周辺住民ひとまず安ど「今後も防犯意識高める」」(信州日報社)
  10. ^ a b c d e 『南信州新聞』2004年9月19日付(第17827号)1頁「高森独居女性殺害の男逮捕 大王路、出原、愛知の関与も 飯田署捜査本部 連続強盗殺人事件で裏付け」「捜査本部 全容解明に全力」(南信州新聞社)
  11. ^ 『南信州新聞』2004年9月19日付(第17827号)11頁「飯田、高森で5カ月に3件 共通する連続殺人事件 「安心して寝られる」」「事件発生の経過 独り暮らし高齢者狙う」「「不登校がちの子だった」 小中時代のN容疑者 担任教諭ら困惑隠せず」「同級生にも衝撃広がる」「N容疑者 3件の現場に土地勘 高森町のアパートにも住む」(南信州新聞社)
  12. ^ a b c 『信州日報』2004年9月19日号(第15402号)7頁「愛知県の事件関与も供述 N容疑者殺人計4件に」「金目当て計画的犯行か 捜査本部多額の借金確認」「有線番号簿で独居選ぶ 事務局 「経過見て削除も」」「変化に驚く 周囲の知人大人しかった少年時代」(信州日報社)
  13. ^ a b c d e f g h i 『読売新聞』2004年12月17日東京朝刊長野版34頁「[転落 愛知・長野連続強殺事件](2)転機 腰痛め「盗みしかない」 一度の空き巣で1020万円…3か月で消えた」(読売新聞東京本社)
  14. ^ a b c 『中日新聞』2005年4月19日朝刊長野中日18頁「法廷へ 長野・愛知連続殺人(上) 殺し以外 考えつかず」「連続強盗殺人の経過」(中日新聞社)
  15. ^ a b c d e 『信州日報』2006年12月1日付(第16047号)9頁「N被告「何かあれば死ねば」 反省の気持ち感じられず 東京高裁 控訴審結審、1月22日判決」(信州日報社)
  16. ^ a b c d e 『読売新聞』2004年12月18日東京朝刊長野版34頁「[転落 愛知・長野連続強殺事件](3)引き金 夜のタクシー「突発的に」 「もう何やっても犯罪者」第二の事件へ」(読売新聞東京本社)
  17. ^ a b 『信州日報』2004年11月23日号(第15453号)9頁「Bさん殺害でN被告起訴 長野地検 飯田市内1千万円侵入盗も」(信州日報社)
  18. ^ a b c d 中日新聞』2004年11月25日朝刊社会面31頁「春日井のタクシー強殺 N被告を再逮捕」(中日新聞社)
  19. ^ a b c d e 『中日新聞』2004年1月14日夕刊社会面15頁「タクシー運転手殺される 首に切り傷 売上金見当たらず 春日井」「夜は交通量少なく 国道への抜け道」「非常通報装置 切った状態か Aさんのタクシー」「『まじめ、トラブルなし』 Aさん 同僚らショック」(中日新聞社)
  20. ^ a b c 『信州日報』2006年10月12日付(第16007号)1頁「N被告控訴審初公判で証言 他にも人を殺している」(信州日報社)
  21. ^ a b c d 『南信州新聞』2004年9月22日付(第17829号)7頁「高森の強盗殺人 「在宅の時間狙った」 N容疑者供述で 先月にはDさん宅に空き巣」「「同じナイフで3人を殺害」「母Bさん殺害で「警察から犯人扱い」 長女が飯田署に抗議」」(南信州新聞社)
  22. ^ 『南信州新聞』2004年10月9日付(第17843号)1頁「「捜査方法は改善すべき」 犯人扱いで河野さん Bさんの遺族宅訪れ、面談」(南信州新聞社)
  23. ^ 『南信州新聞』2004年10月17日付(第17846号)9頁「竹内飯田署長が謝罪 犯人扱い問題で Bさん遺族「これで一区切り」」(南信州新聞社)
  24. ^ 『信州日報』2004年8月17日号(第15373号)7頁「高森町出原で殺人事件 1人暮らし男性胸刺され」(信州日報社)
  25. ^ 毎日新聞』2004年10月1日東京朝刊第14版第一社会面31頁「[現場発]鍵不要の共同社会が一変 リンゴや柿がたわわに実る南信州の農村。この夏、58年ぶりの殺人事件に、町は震えた。」(毎日新聞東京本社【須山勉】) - 『毎日新聞』縮刷版 2004年(平成16年)10月号31頁。
  26. ^ 朝日新聞』2006年5月19日東京朝刊長野東北信版第一地方面31頁「増えた防犯灯、不安照らす 死刑判決事件、2人犠牲の高森町 /長野県」(朝日新聞東京本社・長野総局 長谷川美怜)
  27. ^ a b c d 『信州日報』2004年9月15日号(第15397号)7頁「吉田殺人事件から1週間 出原は1カ月 有力な情報少なく」「飯田署 侵入と窃盗未遂27歳の男逮捕」(信州日報社)
  28. ^ 『信州日報』2004年9月10日号(第15394号)1頁「高森町また殺人事件 独居74歳自宅で胸刺され 吉田下段の田園地帯 出原と多い類似点」(信州日報社)
  29. ^ a b c d e f g 『信州日報』2006年5月19日付(第15887号)7頁「N被告の気持ち分からぬ 長野地裁死刑判決に遺族」「被告側が即日控訴 弁護人「証言が無に」」(信州日報社)
  30. ^ 『朝日新聞』2004年9月18日東京朝刊第一社会面39頁「静かな町、襲った恐怖 転居する住民も 長野・高森町の殺害供述」(朝日新聞東京本社)
  31. ^ 『信州日報』2004年9月12日付(第15396号)1頁「視点 事件が知りたい」(信州日報社)
  32. ^ 『信州日報』2004年9月16日付(第15398号)1頁「視点 基本は自衛」(信州日報社)
  33. ^ 『読売新聞』2004年4月29日東京朝刊長野版30頁「77歳女性 首絞められ殺害 飯田の自宅で=長野」(読売新聞東京本社)
  34. ^ 『読売新聞』2004年12月20日東京朝刊長野版36頁「[転落 愛知・長野連続強殺事件](5)終えん 得たのは30万(連載)=長野」(読売新聞東京本社 森藤千恵)
  35. ^ 『南信州新聞』2004年9月15日号(第17823号)9頁「飯田署 住居侵入容疑などで無職男性を逮捕 飯田署」(南信州新聞社)
  36. ^ 『信州日報』2004年10月10日号(第15418号)7頁「N容疑者を再逮捕 捜査本部 Cさん強盗殺人罪で」(信州日報社)
  37. ^ 『信州日報』2004年11月2日号(第15436号)7頁「N被告再逮捕し送検 飯田署捜査本部 Bさん強盗殺人容疑で」(信州日報社)
  38. ^ 『信州日報』2004年11月26日号(第15455号)9頁「愛知県警 春日井市の強殺で再逮捕 N被告飯田から移送」(信州日報社)
  39. ^ 『信州日報』2004年12月17日号(第15473号)7頁「愛知の強殺でも起訴 名古屋地検 長野の3件に続き」(信州日報社)
  40. ^ a b 『読売新聞』2009年1月29日東京朝刊長野版35頁「4人殺害・N死刑囚の刑執行 「事件忘れられない」遺族が胸の内明かす=長野」(読売新聞東京本社・長野支局 森藤千恵)
  41. ^ a b c d 『信州日報』2006年5月18日付(第15886号)7頁「N被告に死刑判決 高森、飯田など連続強殺 長野地裁」(信州日報社)
  42. ^ 『中日新聞』2005年2月16日朝刊第二社会面36頁「強殺のN被告 4月21日初公判」(中日新聞社)
  43. ^ a b c d e 『信州日報』2006年11月25日付(第16042号)9頁「N被告 「福島で女性殺害」はうそ あきれる遺族、弁護人」(信州日報社)
  44. ^ a b c d 『信州日報』2006年5月17日付(第15885号)7頁「N被告きょう判決 長野地裁 強盗殺人で4人殺害など」(信州日報社)
  45. ^ a b 『朝日新聞』2006年2月9日東京朝刊長野東北信版第一地方面31頁「「更生は不可能」 自首成立の要件否定 4人殺害に死刑求刑 /長野県」(朝日新聞東京本社・長野総局)
  46. ^ a b 『朝日新聞』2006年5月18日東京朝刊長野東北信版第一地方面29頁「「憎しみ、変わらない」 遺族、怒り・悔しさこらえ 4人殺害に死刑判決 /長野県」(朝日新聞東京本社・長野総局 岩尾昌宏、長谷川美怜)
  47. ^ a b c d 『信州日報』2006年10月27日付(第16020号)1頁「N被告控訴審で供述 福島県で最初の殺人 発覚せず次々に犯行」(信州日報社)
  48. ^ 読売新聞』2006年11月23日東京朝刊社会面39頁「第5の殺人「ウソ」 4人殺害のN被告」(読売新聞東京本社
  49. ^ a b 『信州日報』2007年1月14日付(第16079号)7頁「N被告の死刑確定 本人が控訴取り下げ」「N死刑囚の連続強盗殺人事件の主な経過」(信州日報社)
  50. ^ 読売新聞』2007年1月23日「長野・愛知4人殺害 N被告、死刑確定へ 控訴取り下げ」(読売新聞東京本社
  51. ^ a b 『読売新聞』2009年1月29日東京夕刊一面1頁「4人に死刑執行 愛知・長野4人強盗殺人など」(読売新聞東京本社)
  52. ^ 産経新聞』2004年9月23日大阪朝刊総合一面「福岡の少年遺棄 「4人殺し捨てた」 逮捕の女供述 不明の母、兄らか」(産経新聞大阪本社) - 大牟田4人殺害事件の関連記事。
  53. ^ 平成16年の犯罪情勢” (PDF). 警察庁. p. 53 (2005年6月). 2023年11月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年11月5日閲覧。 “第4 刑法犯の現況 > 1 重要犯罪 > (2) 殺人事件の状況 > 【事例3】長野・愛知県にまたがる広域連続持凶器強盗殺人事件(長野、愛知)”

関連項目 編集

外部リンク 編集