長野 力(ながの ちから、1939年昭和14年)9月19日[2] - )は、日本政治家。元鹿児島県西之表市長(3期)、元西之表市議会議員(2期)。

長野 力
ながの ちから
生年月日 (1939-09-19) 1939年9月19日(84歳)
出生地 日本の旗 鹿児島県西之表町(現西之表市松畠)
出身校 中央大学法学部卒業
所属政党 無所属

第14・15・16代 鹿児島県西之表市長
当選回数 3回
在任期間 2005年2月19日[1] - 2017年2月18日[1]

西之表市議会議員
当選回数 2回
在任期間 1997年 - 2004年
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概要 編集

鹿児島県西之表町(現西之表市松畠)生まれ[3]西之表市立住吉中学校鹿児島県立種子島高等学校中央大学法学部卒業[3]1964年4月、太陽銀行(現三井住友銀行)に入行し、1982年7月に太陽神戸銀行を退職[3]。銀行退職後は田上病院(現種子島医療センター)に入職した[3]

1997年、故郷の西之表市の市議会議員選挙に立候補し、初当選した。2001年、市議再選。2004年、任期を1年弱残して市議を辞職した[3]

2005年西之表市長選挙に自由民主党民主党の推薦、公明党の支持を受けて立候補し、当選した[1]2009年の西之表市長選では、「金ピカ先生」の名前で立候補を届け出た予備校講師の佐藤忠志を破り、再選。2011年6月、日米外務・防衛担当閣僚会合(2プラス2)で公になった、西之表市に属する馬毛島へのアメリカ軍空母艦載機の発着訓練(FCLP)の移転には反対を表明した[4]

2013年、西之表市長に3選。

2017年の西之表市長選には不出馬を表明したが、長野の後継を選出する市長選には6人の候補が出馬し、いずれも法定得票に届かなかったため、再選挙が実施された[5]。長野は2月18日の任期切れにより退任し、3月19日の再選挙で、元朝日新聞社記者で長野同様、FCLPの馬毛島への移転に反対していた八板俊輔が当選するまでは、副市長が職務代理者を務めていた[6]

脚注 編集

公職
先代
落合浩英
  鹿児島県西之表市長
第14・15・16代:2005年 - 2017年
次代
坂元茂昭(職務代理者)
八板俊輔