公明党

日本の旗 日本の政党
公明党
NEW KOMEITO
New Clean Government Party
New Komeito Party Headquaters.JPG
公明党本部
代表 山口那津男
副代表 坂口力
草川昭三
北側一雄
東順治
白浜一良
松あきら
幹事長 井上義久
参議院議員会長 白浜一良
成立年月日 1964年11月17日
本部所在地
〒160-0012
東京都新宿区南元町17
北緯35度40分44.4秒 東経139度43分16.9秒 / 北緯35.679度 東経139.721361度 / 35.679; 139.721361
衆議院議席数
21 / 480
(4%)
(2009年8月31日現在)
参議院議席数
19 / 242
(8%)
(2010年7月12日現在)
党員・党友数
452,140人
政治的思想・立場 中道
政党交付金
22億7,534万4000 円
公式サイト 公明党
シンボル Komeito logo.svg赤い太陽

公明党(こうめいとう、略称:公明NEW KOMEITO"NK"またはNew Clean Government Party"NCGP")は、日本政党

日蓮正宗系の新宗教団体である「創価学会」を主な支持母体としている[1]

本項では分党期の公明新党(こうめいしんとう)、公明(こうめい)、新党平和(しんとうへいわ)、黎明クラブ(れいめいクラブ)についても述べる。

概要

1961年、衆議院進出を目指し、「公明政治連盟」が結成される。1964年、「公明政治連盟」を改組し、宗教政党[2]公明党」を創立[3][4]

1969年から1970年にかけて、創価学会と公明党が自らを批判する書籍の出版・流通を阻止、妨害するために働きかけていた(「言論出版妨害事件」)ことが一般に公になり、日本国憲法で保障されている「言論の自由」を侵すものとして社会的批判を受けた。またこの問題の中で、創価学会と公明党との密接な関係が憲法に規定された「政教分離原則」に反するという批判も強くなり国会でも議論されるようになった。国会での追及が高まる中、池田大作が公明党と創価学会を制度的に明確に分離することを明言し、「国立戒壇」という表現は将来ともに使わないこと、「国立戒壇」を国会で議決することを目標にしないことなどを約束、党の綱領から「王仏冥合」、「仏法民主主義」などの用語を削減するなど、宗教色を控える方針転換を図った。また、国政選挙の候補者などにも非創価学会の候補者の擁立したり無所属の議員を入党させた。

これ以降、自由民主党日本社会党の2大政党がしのぎを削っていた「55年体制」の中にあって、保守でも革新でもない「中道路線」の立場をとる。1973年以降、社公民を軸とする「反自民」の「中道革新連合政権構想」を提唱したが、1970年代後半に、地方の首長選では自公民の選挙協力を取るようになる。支持母体創価学会でも男子部、壮年部が自公民路線を推奨したのに対し女子部、婦人部が社公民路線を推奨するなど創価学会の内部対立も生んでいた。一方「日本共産党」とは1974年に相互不干渉を約束、「創共協定」を結ぶが1年ほどで死文化してしまう。[5]

長らく中道路線を取ってきたが、1990年代には政策面で保守に近づき、自衛隊の海外派遣を認める「国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律」(PKO法)制定に賛成して外交政策を転換、1993年には、38年間続いた自民党政権が終了し非自民細川連立政権に参加、結党以来初めて与党の側につき、郵政大臣労働大臣総務庁長官環境庁長官などの国務大臣のポストを得る。その後、新進党の誕生による分党期1994年12月5日 - 1998年11月7日や1998年、新進党の解散に伴う「公明党」の再結成を経て現在へ至る。1999年からは自民党(小渕内閣)の要請を受け、連立に参加(自自公政権)。その後も2009年総選挙小選挙区において大敗を喫し下野するまでおよそ10年間自民党と連立を組んでいた(自公保・自公連立政権)。

野党時代の1995年、「宗教法人法」改正をめぐり、池田の参考人招致を決議しようとする自民党に対し、国会でピケを張り、座り込みなどの実力行使で阻止したり2010年第22回参議院議員通常選挙では、比例区の得票数、獲得議員数がみんなの党を下回る結果に終わり第三局としてのキャスティングボートの存在を低下させるなどしているが国会で3番目に多い国会議員数を取得している政党である。

現在の党のキャッチコピー「日本再建 明日につなぐ力。公明党」

沿革

秋 創価学会の第2代会長戸田城聖が文化部を設置し、選挙の出馬予定者を部員に任命[6]
11月 統一地方選挙に創価学会の「文化部」所属の信者が出馬。
7月 第4回参議院議員通常選挙で3名が当選。
8月 戸田が『大白蓮華』に「王仏冥合論」を執筆し、創価学会の政治進出を理論づける[6]
6月27日 大阪府警が参議院大阪地方区の補欠選挙における公職選挙法違反(買収)の疑いで創価学会本部の理事長・小泉隆を逮捕。同年7月4日には創価学会渉外部長(当時)池田大作が信者に戸別訪問を指示した疑いで逮捕、起訴される。
6月 第5回参議院議員通常選挙で6人が当選、参議院の総議席数は9議席に。
11月27日 公明党の前身「公明政治連盟」を発足。ただし、当時の公明政治連盟はあくまでも宗教法人創価学会の組織内にあった。
7月 第6回参議院議員通常選挙において9人が当選。参議院の議席数は15議席に。自由民主党、社会党に次ぐ第三党となる。
1963年東京都知事選挙で、自民党が推薦する東龍太郎を支援[6]
11月17日 「公明政治連盟」を改組し、「公明党」を設立。
池田が『政治と宗教』(鳳書院)を出版。「王仏冥合」の理念をベースした政治論を訴える[6]
7月4日 第7回参議院議員通常選挙において11人が当選、参議院の議席数は20議席に。
衆議院選挙直前に、池田が「憲法擁護」、「大衆福祉」、「安保の段階的解消」などを含む公明党の方針を公表[6]
1月 第31回衆議院議員総選挙で25議席を獲得し、衆議院に初進出。その後の党人事で衆議院議員の竹入義勝矢野絢也がそれぞれ委員長と書記長に就任。党の比重を衆議院に重きを置くようになる。
7月7日 第8回参議院議員通常選挙で12名が当選、3議席増の23議席となるが、支持母体創価学会による集団替え玉投票事件が起き学会員14名が逮捕されるなど社会問題化する。
12月 「言論出版妨害事件」を巡り、「政教一致」に対する社会的批判を受ける。
12月27日 第32回衆議院議員総選挙では47議席を獲得、民社党を抜き、社会党に次ぐ野党第2党に。
5月3日 日本大学講堂における創価学会第33回本部総会において池田が「言論出版妨害事件」について謝罪。「国立戒壇」の教義の撤回、創価学会と公明党の役職の分離などを表明[6]。「宗教法人創価学会文化部」としての公明党はここで幕を閉じる。
矢野が社会党書記長の江田三郎、民社党書記長の佐々木良作らと共に、社公民連合政権構想による『新しい日本を作る会』を結成。
6月27日 第9回参議院議員通常選挙において10人当選。参議院の議席数は1議席減の22議席に。
第一次訪中団を派遣[6]。日中復交五原則を提案。
6月 竹入を団長とする訪朝団が朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)を訪問。北朝鮮の金日成国家主席との共同声明で、主体思想(チュチェ思想)を指針として、社会主義建設で大きな進歩をとげたことを賛美[7]
3月 竹入が東京都知事美濃部亮吉と会談し、都議会における与党入りに合意[6]
9月 「中道革新連合政権構想」を発表、「日米安保即時廃棄」に路線転換[6]
10月 創価学会と日本共産党の間で「創共協定」が締結。
民社党との公民連合政権構想に合意。
10月の衆院選において、公明党は57議席を獲得「日本社会党」、「民社党」、「連合の会」、新自由クラブの4党と選挙協力し、自民党を過半数割れに追い込む。
12月 民社党と「中道連合政権構想」で合意[6]
1月 社会党と「連合政権構想」で合意[6]
6月22日 ハプニング解散によって初の衆参同日選挙が実施。選挙期間中に大平正芳総理が逝去、自民党が分裂ムードから融和ムードへと変わったことから参議院においては12人が当選、参議院の議席数は26議席になったが衆議院では男子部、壮年部が推奨する自公民路線と女子部、婦人部が推奨する社公民路線との内部対立から票が伸び悩み57議席から33議席へと議席を減らす惨敗を喫した。
8月25日8月9日 竹入を団長とする代表団が大韓民国を初訪問。大統領全斗煥をはじめ政府首脳と会談。
12月 「日米安保存続」と「自衛隊の条件付合憲」に政策転換[6]
6月22日第13回参議院議員通常選挙において14人が当選。参議院の議席数は27議席に。
12月18日 第37回衆議院議員総選挙では58議席を獲得。
10月 自民党総裁選挙における二階堂進擁立に矢野らが協力[6]
再び衆参同日ダブル選挙となる。第14回参議院議員通常選挙において10人当選。参議院の議席数は3議席減の24議席に。第38回衆議院議員総選挙でも2議席減の56議席に。
12月 委員長に矢野絢也、書記長に大久保直彦が就任[6]
委員長に石田幸四郎、書記長に市川雄一が就任[6]第15回参議院議員通常選挙では自民党への逆風による批判票が社会党一党のみへ流れた為獲得議席は10議席。参議院全体で3議席減の21議席と議席を減らしたが選挙直後の総理大臣指名選では参院での決選投票で公明党は社会党委員長土井たか子を支持し自民党総裁海部俊樹を破る[8]
第39回衆議院議員総選挙では再び自民党への逆風、批判票が社会党一党のみへ流れた為公明党は45議席へと議席を減らす。
4月 「4野党連合政権協議」を凍結[6]
2月 湾岸戦争に対する90億ドルの追加支援に賛成[6]
4月 1991年東京都知事選挙において、自民党と共に磯村尚徳を擁立したが、自民党都連が推した現職の鈴木俊一に敗北[6]
6月 PKO協力法成立に協力[6]
7月 第16回参議院議員通常選挙において一部の選挙区で初めて自民党と選挙協力を行なう。また議席は24議席へ。
8月 細川護熙日本新党党首を首班とした非自民細川連立政権に参画し4人が入閣。
8月 羽田孜副総理を首班とした非自民新生党政権に5人が入閣。
6月 総理大臣指名選で海部俊樹支持も社会党委員長村山富市に敗北。村山内閣自社さ連立政権の成立により野党に転落。
12月4日 参議院特別委員会に創価学会第5代会長の秋谷栄之助参考人として出席。「政治に大衆の声を反映していく政治の実現を願って公明党の支援をして来た」、「政党が政権を目指すというのは当然のこと」、「政治によって何か利益を得るとか政治の力を借りて布教をするとか、自分達の宗教を国教化しようなどということは毛頭考えていない」などと述べる[9]
12月5日 「公明党」を解散し、政党助成法に基き「公明新党」と「公明」に分党。
12月10日 公明新党が新進党へ合流。
1995年東京都知事選挙石原信雄を与野党相乗りで推薦したが青島幸男に敗北、同日に行われた大阪府知事選挙でも推薦候補が横山ノックに敗北
7月23日 第17回参議院議員通常選挙で新進党として初選挙に臨む。新進党は比例区第一党になり比例区で新進党は18人当選。選挙区でも躍進し自民党の単独過半数を阻止。
1月18日 自民党が運動方針の中に、「いま、わが国の政治にとって最も憂うべきは、宗教団体・創価学会が新進党という政党の皮をかぶって国民を欺き、政治の権力を握ろうと画策していることである」という内容を盛り込む[10]
10月20日史上初の小選挙区比例代表並立制による第41回衆議院議員総選挙で新進党は議席を減らし政権交代に失敗、最大の敗因は(池田大作レイプ訴訟に関して池田を証人喚問しようとした)自民党総務局長白川勝彦と自民党組織広報本部長亀井静香による政教分離・反創価学会キャンペーン、旧民主党結党による非自民の票割れ。しかし幾つかの選挙区で「小選挙区は人物本位」の方針により公明、創価学会は自民党候補を支援したことが明らかになる。
5月 公明党議員らが新進党内に党内グループ「公友会」を設立[11]
12月27日 新進党両院議員総会で分党が決定。
1月4日 新進党から分党して新党平和、黎明クラブ(参議院議員が所属)が発足した。
1月6日 新進党の存続政党・小沢自由党に公明系から8人が参加
1月18日 公明が黎明クラブと合併し、参議院は公明に一本化される。
7月12日 第18回参議院議員通常選挙において9人が当選。議席数は前回と同数の22議席に。直後の総理大臣指名選で菅直人初代民主党代表を支持し小渕恵三自民党総裁を破る
11月7日 「公明」と「新党平和」が合流し小沢自由党結党参加の議員も加わり「公明党」を再結成
沖縄県知事選挙で自民党推薦の新人稲嶺恵一を推薦し、現職大田昌秀を破る。
1999年東京都知事選挙で自民党が擁立した明石康を小沢自由党都連と共に推薦も石原慎太郎に完敗。
10月5日 自民党と自由党の連立政権に加わり、自自公連立政権(小渕内閣 (第2次改造))が成立。続訓弘が初入閣
4月1日 連立離脱の小沢自由党から保守党が分裂し、自公保連立政権となる。また同日小渕が病に倒れる。
4月5日 森内閣が成立。
6月25日 第42回衆議院議員総選挙で初めて与党側として選挙に臨む。議席は31議席と大きく減らしたが連立政権の過半数は維持

1月6日中央省庁再編で省庁が減少。坂口力厚生労働大臣に就任

4月26日 第1次小泉内閣成立。
7月29日 第19回参議院議員通常選挙では圧倒的な小泉フィーバーの中で議席を1議席増やす。
11月 第43回衆議院議員総選挙で初の「マニフェスト」を発表。議席は34議席となる。
11月19日 保守新党解散に伴い麻生内閣まで自公連立政権となる。
第20回参議院議員通常選挙では11議席を獲得。議席は24議席となる
9月11日 第44回衆議院議員総選挙郵政選挙)では自民党に圧倒的な追い風が吹くも連立を組む公明党へは追い風が吹かず、獲得は自民党の296議席に対し公明党は31議席と逆に議席を減らした。
9月22日 首相就任直前の安倍晋三が池田と極秘裏に東京都内の創価学会の施設で会談し、次回の参院選での公明党や創価学会の協力を要請し、池田は協力を約束したと日経・毎日・朝日・読売の各紙、『週刊文春』が詳細を報じた。
10月11日公明党代表太田昭宏は、安倍と池田との会談について、「全く承知していない」と語り、安倍は国会で池田との面会の事実を全面否定した。[12][13]
9月26日 安倍内閣成立。
9月30日 第6回公明党全国大会において、公明党代表太田昭宏無投票当選、幹事長に北側一雄が就任。
2月9日 公費を使って海外を視察した公明党福岡市議団が、大半の文章をウェブサイトから盗作して視察報告書を作成し提出していたことが発覚[14]、公明党福岡市議団は報告書を翌月再提出し公費負担の視察の自粛を表明。
4月12日 太田が都内で中華人民共和国首相の温家宝と会談。
7月29日 第21回参議院議員通常選挙では公明党も自民党批判の逆風の影響を受け票が伸びず選挙区での落選を含め当選は9議席と惨敗。議席は20議席となる[15]
9月26日 福田康夫内閣成立。
1月13日 太田が第44回衆議院議員総選挙にて選挙カーの給油量を水増しして申請し東京都選挙管理委員会から燃料代を不正に受け取っていたことが発覚[16]、翌日、太田が事実を認め謝罪[17]
9月16日 公明党代表選で太田が無投票で再選[18]
9月24日 麻生内閣成立。
8月30日 第45回衆議院議員総選挙で代表の太田昭宏、幹事長の北側一雄など選挙区候補の8人が全員落選、衆議院進出以来最低の21議席の惨敗となった。
9月8日 臨時全国代表者会議で山口那津男の新代表就任を決定。新幹事長に井上義久を指名した。
9月16日 民主党中心の民社国連立政権が誕生し、9年間続いた政権与党から下野。自公連立を解消。
7月11日 第22回参議院議員通常選挙では9人が当選。議席は2議席減の19となり当選人数、比例での得票数も民主党、自民党、みんなの党に次ぐ4番手に後退。しかし山口と谷垣禎一総裁率いる最大野党・自民党との選挙協力が実り連立与党の過半数は阻止。

組織

党員

現在は創価学会員以外でも一般党員として入党することが可能。18歳以上の者であればその国籍は問わない。

党費は年額3,000円だが、党費支払いの他に日刊『公明新聞』と月刊『公明』の2つの機関紙誌を購読することが規約7条で義務付けられている[19]

本部

党本部は東京都新宿区南元町の公明会館にあり、各方面・各都道府県に県本部などを持つ。

人事

政策

憲法

安全保障

公明党結成時の1964年においては「発展的解消」を主張。昭和40年代には「段階的解消」、「早期解消」を主張。「創共協定」締結直前の1974年1月の中央委員会では「即時解消」。「創共協定」が党内の反対を受けて空文化し始めた1975年10月には事実上の存続を認める「合意廃棄」と軟化し、1981年1月の公明党大会で、日米安保、自衛隊原子力発電を容認することを表明した[21]

治安

外交

福祉

行政

税制

教育

人権

選挙

経済

論議のある問題

創価学会との関係、政教分離問題

公明党の草創期はあくまで創価学会の所轄内にあったことや創価学会と一体となった活動がおこなわれた経緯から、憲法に定めた「政教分離原則」に反し“公明党と創価学会は政教一致”という批判がマスコミや有権者から多くあがった。1970年言論出版妨害事件に端を発した公明党と創価学会との制度的分離を明確化して以降(詳細は下記参照)も、同様の批判は根強い、日本国憲法の定める「政教分離」とは、国家の宗教的中立性を定めたもので、宗教団体の政治活動を否定したものではない、ということには留意を要する。[36]

韓国大統領選挙介入疑惑

朝鮮日報社は「月刊朝鮮」において、1997年に行われた韓国大統領選挙前に候補者のウリ党金大中候補が日本で秘密裏に公明党幹部と面会し、(日本の公明党の影響下にある)韓国創価学会から支持を得られるように依頼、友人を通じて公明党幹部が了承したとされる事実があることを明かしている[44]。選挙は金候補がハンナラ党の李会昌候補に約30万票の僅差で勝利したが、当時の韓国創価学会の有権者は60~80万人程であり創価学会の応援要請が事実なら韓国大統領が日本の公明党の協力で誕生したことになると月刊朝鮮は締めくくっている。

66歳定年制度の問題

公明党は独自に66歳定年制度を導入、任期中に66歳を超える場合は党として公認しないというスタンスを取っている。しかし過去に重要ポストに就任した人間を例外として扱っているため制度が有名無実化しているとの指摘もある。しかも公明党が例外を認めているのは全て男性の国会議員のみであり公明党の女性国会議員は以前代表を務めた浜四津敏子をはじめ例外なく制度を順守し引退していることから創価学会婦人部、女子部幹部からは男性のみ例外を認めているのは男尊女卑、女性蔑視ではないかとの指摘や批判がある。また、例外を認めると若手政治家の育成が滞り党の規約が空洞化してしまうと公明党幹部からも危険性が指摘され66歳定年制度の例外を認めないよう意見も出ているが執行部は特にコメントしていない。


公認料の問題

通常政党からの公認で立候補をする場合、公認料は通常政党から立候補者へ支払われるものであるが公明党のみ立候補者が公明党に公認料を収めている。これは2007年10月16日参議院予算委員会で当時大臣であった冬柴鉄三が民主党石井一の質問に対し「立候補者は(公明)党に公認料として2カ月分の議員報酬を収めている」と発言したことから公になるが、国会の場で公認料のお金の流れ等は議論がなかった。実際、公職選挙法には公認料についての記載はなく、公認料を政党から候補者へ渡しても、逆に候補者が政党へ収めても、法律上特に問題はない。

フェミニズム男女共同参画勢力との関係

公明党は近年、フェミニズム男女参画勢力との関係を強めている。内閣府男女共同参画局や各自治体の男女共同参画課の施策に対して、予算を獲得することに主導的な役割を果たしており、連立政権を組んでいた自民党に対しても、フェミニズム関連予算の増額を要求していた。また政策においても、夫婦別姓年金分割化の法制化の推進、女性専用車両の導入などを推し進めてきた。も内閣府男女共同参画局や各省庁からの出向メンバーによるフェミニズム関連の政策を強力に後押ししている[45]。さらに、人権擁護法を同和関係者やフェミニズム勢力と合同起草した経緯があり、その法案成立に向けて画策していた。

マニフェストと実際の政策の矛盾

公明党は「福祉の党」を自負しており、子供・女性・高齢者・在日韓国・朝鮮人の福祉の充実に力を入れている。また、環境対策もマニフェストの中に掲げている。ところが、新聞等の投書でもよく取り上げられる道路特定財源を福祉に使うべきとの意見には公明党は腰が重い。それどころか、世界金融危機後の景気刺激策として自民党とともに高速道路土休日1000円乗り放題を打ち出し2009年3月に決定したが、これは渋滞の激化を助長させ公共交通機関からマイカーへのシフトを促しCO2排出を増大させる可能性のあるものであった。更に追加の景気対策として高速道路建設拡大を打ち出しており更なるモータリゼーション進展を狙っている。それに対して、鉄道をはじめとする公共交通機関の整備は党としては消極的で、女性専用車両の導入を推進したことくらいであり、今後の交通政策でも党としては公共交通機関の整備が軽視された形になっており、子供や高齢者に多い交通弱者への配慮が欠けた形となっている。これは連立を組んでいた自民党とのパイプ役に道路族のドン・古賀誠がいる事と、国土交通大臣に北側一雄冬柴鉄三を選出しておりその権益の為、国土交通省には口出ししにくい点が挙げられる。官僚の天下りは『公明党』としては反対の姿勢を貫いているが閣僚だった冬柴鐵三から天下りを容認する意見が繰り返し出たりしたため党の方針と閣僚の意見とが一致していないため矛盾との声があった。そのため衆議院の予算委員会で同じ公明党の富田茂之議員が冬柴鐵三国土交通大臣(当時)へ「官僚の天下りに対して追及する民主党議員の行動は正しい!」などと追及された。[46]現在は自民党とともに下野しており再び党として官僚の天下りは反対の姿勢を貫いている。また、「ムダづかいの排除」もマニフェストに挙げているが、実際には前述の通り男女共同参画関係には巨額の予算を費やしており、その証拠に全国各地にシティホテル顔負けの設備である男女共同参画センターが相次いで建てられた(例:ウィルあいち愛知県の男女共同参画センター)など)。マスメディアもそのムダづかいについては公明党に遠慮してかほとんど報じられることはない。また、自公政権後は地域振興券やフェミニズム関連予算そして高速道路料金大幅引き下げなどバラマキ重視の姿勢、またこれらの政策を自民党に受け入れさせる為のバーターとして自民党が進める公共工事を受け入れた結果[47]、国の借金は1998年の約408兆円に対して2008年は約607兆円と約1.5倍にも膨れ上がった[48]。その一方で、サラリーマンへは上記の財源を確保するためか冷遇路線が多く、健康保険の本人負担増(2割 → 3割)を実施させ、サラリーマンに対する増税への支持、さらにはホワイトカラーエグゼンプションの支持[49]を表明してきた。また、過労死自殺の問題についても経済問題から与党経済政策への批判に跳ね返るのを恐れて公明党は大きくは取り上げなかった。そして女性を優遇し男性サラリーマンに対しては冷遇を続けてきた結果、ついに週刊現代2010年3月6日には「夫に早く死んでほしい妻たち」と言った男性の人格を完全否定するような記事までが掲載された[50]

勲章辞退

週刊実話によれば、創価学会池田名誉会長が日本国内の勲章を一つも授与されていないことから、公明党に所属した国会議員は党首経験者や閣僚経験者を理由に日本国内の勲章受賞リストに名前が挙がった段階で、池田に配慮し自ら受賞を辞退するという慣習が存在していた[51]。また同様の内容が週刊新潮週刊文春の週刊誌に掲載された[52]

ただし、公明党・創価学会と対立した場合は別で、委員長経験者である竹入義勝(1996年旭日大綬章を受章)や矢野絢也(2010年・旭日大綬章を受章)は受章している。週刊実話の記事はこの受賞に対し支持母体創価学会では「恩知らず」「裏切り者」という罵詈雑言が起こっていると掲載した。

世襲に対する考え方

公明党は国会議員の世襲には反対の立場をとっている。創価学会という支援団体がいることもあり自民党民主党より世襲議員は少ないが北側一雄元幹事長や池坊保子議員(非創価学会員)のように世襲の国会議員はいる。

批判本の掲載について

2000年夏、東京都内の公明党所属の区議会議員が区議会において、公明党と創価学会の批判を載せている雑誌の排除を要求していたことが明らかになり問題となる。大田区議会では2001年3月13日、「週刊誌は人のことを中傷している」、「私は不愉快だから何とかしてもらいたい」として「『週刊新潮』、『週刊文春』、『文藝春秋』を大田区の全図書館から排除してもらいたい」と要求した。[53]中央区では、同年3月の区議会で、区立図書館に公明党と創価学会を批判した本が多数あることに言及し、図書の選定を問題にし、「図書館の職員の適切な人事異動をしていただきたい」と要求した。4年前の1997年3月7日にも別の公明党の区議が区議会で「図書館、区の施設、待合室、ロビーなどに置いてある暴力的、人権侵害の週刊誌はき然として排斥するべきだ」と求め、中央区は出版社系雑誌の購入を止め、雑誌コーナーを失くしていた。[54][55][56]

政党交付金

主な支持・支援団体

エピソード

現在の公明党中央幹事会・執行部役員表

代表 全国代表者会議 議長 副代表 幹事長 政務調査
会長
国会対策
委員長
参議院
議員会長
参議院
幹事長
山口那津男 太田昭宏 坂口力草川昭三北側一雄
東順治白浜一良松あきら
井上義久 石井啓一 漆原良夫 白浜一良 木庭健太郎

公明党からの閣僚(大臣のみ記載)

党勢の推移

衆議院

選挙 当選/候補者 定数 備考
(結党時) 0/- 467
第31回総選挙 ○25/32 486
第32回総選挙 ○47/76 486
第33回総選挙 ●29/59 491
第34回総選挙 ○55/84 511 追加公認+1
第35回総選挙 ○57/64 511 追加公認+1
第36回総選挙 ●33/64 511 追加公認+1
第37回総選挙 ○58/59 511 追加公認+1
第38回総選挙 ●56/61 512 追加公認+1
第39回総選挙 ●45/58 512 追加公認+1
第40回総選挙 ○51/54 511 追加公認+1
第41回総選挙 ●42/51 500 新進党での選挙
第42回総選挙 ●31/74 480
第43回総選挙 ○34/55 480
第44回総選挙 ●31/52 480
第45回総選挙 ●21/51 480

参議院

選挙 当選/候補者 非改選 定数 備考
第4回通常選挙 ○3/6 - 250
第5回通常選挙 ○6/6 3 250
第6回通常選挙 ○9/9 6 250
(結党時) 15/- - 250 公明党改称時
第7回通常選挙 ○11/14 9 250
第8回通常選挙 ○13/14 11 250
第9回通常選挙 ●10/10 13 252
第10回通常選挙 ○14/45 10 252
第11回通常選挙 ○14/15 11 252
第12回通常選挙 ○12/14 14 252 追加公認+1
第13回通常選挙 ○14/23 13 252
第14回通常選挙 ●10/21 14 252 追加公認+1
第15回通常選挙 ●10/22 11 252
第16回通常選挙 ○14/23 10 252
第17回通常選挙 ○13/0 11 252 新進党57と統一会派で同改選期を議席維持)
第18回通常選挙 ●9/20 13 252 公明、追加公認+2
第19回通常選挙 ○13/22 10 247 改革クラブ1と統一会派)
第20回通常選挙 ○11/20 13 242
第21回通常選挙 ●9/24 11 242 (後に繰り上げ当選により+1)
第22回通常選挙 ●9/24 11 242

(参考文献:石川真澄(一部山口二郎による加筆)『戦後政治史』2004年8月、岩波書店岩波新書ISBN 4-00-430904-2

地方政治

政党収入額

脚注

  1. ^ 矢野氏「宗教の政治への介入、議論を」 野党有志が事情聴取 (1/2ページ)」 MSN産経ニュース、2008年6月13日。
  2. ^ 島田裕巳 『創価学会』(新潮社 2004年6月20日) ISBN 978-4106100727
  3. ^ 広辞苑創価学会】の項に1964年、宗教政党公明党」を結成とある。
  4. ^ 公明新聞2009年1月26日
  5. ^ 公明党(創価学会)も日本共産党も庶民層をターゲットとしており、支持層が重なることもあり、対立が続いて来た。自民党は創価学会を共産主義の防波堤にしたいと考えていたと見る向きもあり(『週刊宝石』1981年11月7日号)、創価学会が多くの信者を得たことで、日本は共産主義革命を免れたという主張もある
  6. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s 朝日新聞アエラ編集部 『創価学会解剖』(朝日新聞社 2000年1月1日) ISBN 978-4022612861
  7. ^ 公明新聞』(1972年6月7日付)
  8. ^ 日本国憲法における衆議院の優越により最終的に総理は海部俊樹に決まる
  9. ^ a b 第134回国会 参議院 宗教法人等に関する特別委員会 第8号 平成7年(1995年)12月4日(議事録
  10. ^ 創価学会党化した自民党 ─ 6 『フォーラム21』(2007年4月1日 通巻123号)
  11. ^ 山田直樹 『創価学会とは何か』(新潮社 2004年4月15日)
  12. ^ (『朝日新聞』1996年10月12日付)
  13. ^ 第165回国会 参議院 予算委員会 1号 平成18年(2006年)10月11日(議事録)、第166回国会 衆議院 予算委員書会 7号 平成19年(2007年)2月13日(議事録)(「インターネット審議中継」での亀井静香の安倍晋三への質疑の動画)
  14. ^ J-CASTニュース : ネット検索「ドンピシャリ」盗作判明 公明党福岡市議団の海外視察報告書』(ジェイ・キャスト2007年3月16日)。
  15. ^ 後に松あきら議員が繰り上げ当選する
  16. ^ 北林慎也・野村雅俊「公明・太田氏が不適正請求――05年総選挙ガソリン代――伊藤元金融相らも」(『朝日新聞』43730号、朝日新聞東京本社2008年1月13日、31面)
  17. ^ 太田昭宏『衆院選における選挙用燃料費について2008年1月14日
  18. ^ 産経新聞 (2008年9月16日). “公明党代表選 太田氏無投票再選”. 2008年9月17日閲覧。
  19. ^ 規約|公明党について - 公明党公式ホームページ 2010年6月17日閲覧
  20. ^ 特集/3代の業を背負った安倍新政権と公明党新体制 。『フォーラム21』2006年10月3日
  21. ^ a b 古川利明 『シンジケートとしての創価学会=公明党』(第三書館 1999年11月20日) ISBN 978-4807499243
  22. ^ 政治家の役割松下政経塾公式ウェブサイト)
  23. ^ 公明党・創価学会基礎知識2008
  24. ^ 警察庁刑事局組織犯罪対策部 (2010年4月). “来日外国人犯罪の検挙状況 (PDF)” (日本語). 警察庁. pp. P29. 2010年10月31日閲覧。
  25. ^ 『公明新聞』(1972年6月7日付)
  26. ^ 太田昭宏公明党の代表と中国共産党中央委員会の胡錦濤総書記(国家主席)との会談。2007年1月8日
  27. ^ 「新しい福祉」を提案する党
  28. ^ 2007年2月28日衆議院予算委員会 公明党富田茂之との答弁より
  29. ^ 2007年11月17日 北側一雄幹事長の記者会見
  30. ^ 2003年に自由党(当時)の平野貞夫が問題であると主張した。
  31. ^ 平野貞夫『公明党・創価学会の真実』講談社 (2005年6月24日)
  32. ^ 山田直樹 『創価学会とは何か』(新潮社 2004年4月15日)ISBN 978-4104673018
  33. ^ 東奥日報』(2001年10月11日付)
  34. ^ http://www.jiji.com/jc/zc?k=201108/2011081700601
  35. ^ 公明新聞2008年12月25日付 生活、中小企業で成果[1]
  36. ^ 芦部信喜著『憲法』第四版 岩波書店 2007年
  37. ^ 第129回国会 衆議院 予算委員会 第8号 平成6年(1994年5月24日議事録
  38. ^ 引用エラー:無効な <ref> タグ。「systemtositeno」という名前の引用句に対するテキストがありません
  39. ^ 第129回国会 衆議院 予算委員会 第8号 平成6年(1994年)5月24日(議事録
  40. ^ 第140回国会 衆議院 決算委員会第二分科会 第2号 平成9年(1997年5月27日議事録
  41. ^ 第128回国会 衆議院 予算委員会 第4号 平成5年(1993年10月6日議事録
  42. ^ 第168回国会 参議院 予算委員会 第2号 参議院、2007年10月16日(議事録)、参議院インターネット審議中継での動画
  43. ^ 『千葉日報』(2001年8月2日付)『埼玉新聞』(2001年8月4日付)『北日本新聞』(2001年7月31日付) 『徳島新聞』(2001年7月31日付)『佐賀新聞』(2001年7月31日付)
  44. ^ 朝鮮日報社「月刊朝鮮」2002年5月号
  45. ^ 岐阜市内を走っていた名鉄岐阜市内線2005年3月限りで全廃された際、多くの市民から存続の要望が出されて、市も存続への画策を努力したにもかかわらず廃止に至ったのは、岐阜市の公明党議員の「クルマ社会のこの世に路面電車に投資するのは無意味。男女共同参画の方に投資をするのが筋ではないか。」との意見もあったとされる
  46. ^ 2008年2月28日衆議院予算委員会議事録
  47. ^ 2010年11月7日放送分のNHKスペシャルにもその自公政権後に予算要求額が急に増えたと関係者は証言している[2]
  48. ^ 我が国の1970年度以降の長期債務残高の推移[3]
  49. ^ 公明新聞2006年3月24日付記事。但し、国民の大多数が反対である事を知ると、選挙への配慮から同法案の凍結(反対ではない)を主張するようになった
  50. ^ [4]
  51. ^ 創価学会内にも似たような慣習が存在する
  52. ^ 週刊実話2010年11月10日号等
  53. ^ 山田直樹 『創価学会とは何か』(新潮社 2004年4月15日)
  54. ^ 公明区議、週刊誌排除迫る(『しんぶん赤旗』2001年5月31日付)
  55. ^ 公明区議の図書館への圧力(『しんぶん赤旗』 2001年6月5日付
  56. ^ 週刊現代』2001年6月16日号
  57. ^ 佐藤栄作内閣総理大臣、内閣衆質63第2号
  58. ^ 第134回国会 宗教法人等に関する特別委員会 第3号 平成7年(1997年)11月27日(議事録)
  59. ^ 第168回国会 参議院 予算委員会 第2号 参議院2007年10月16日民主党石井一議員の代表質問(議事録)、
  60. ^ 公明党/ 所属議員検索
  61. ^ 公明党/ 所属議員検索

関連項目

外部リンク