鳥羽潤

日本の俳優、歌手 (1978-)

鳥羽 潤(とば じゅん、1978年昭和53年〉10月13日 - )は、日本俳優歌手和歌山県有田市出身[1]。Viivo所属。

とば じゅん
鳥羽 潤
生年月日 (1978-10-13) 1978年10月13日(45歳)
出生地 日本の旗 日本和歌山県有田市
身長 174cm
血液型 B型
職業 俳優歌手
ジャンル テレビドラマ映画
活動期間 1996年 -
事務所 Viivo
公式サイト オフィシャルウェブサイト
主な作品
テレビドラマ
聖龍伝説
刑事長』シリーズ
 
受賞
日本アカデミー賞
新人俳優賞
1997年ぼくは勉強ができない
その他の賞
おおさか映画祭
新人賞

1996年ぼくは勉強ができない
キネマ旬報
新人男優賞

1997年瀬戸内ムーンライト・セレナーデ
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略歴 編集

和歌山県立大成高等学校中退[2]。1995年(17歳)、アミューズ主催の「才能の祭典オーディション」で約4万人から選ばれて芸能界入り[2]

1996年、『ぼくは勉強ができない』の主演で映画デビューし、日本アカデミー賞新人賞[3]おおさか映画祭新人賞、キネマ旬報ベスト・テン新人男優賞を獲得。同年『ピュア』(フジテレビ系)でドラマデビューし、『聖龍伝説』(日本テレビ系)にて安達祐実とW主演を果たした[3]。デビューからしばらくは、繊細な雰囲気を持った美貌の若手俳優として若い女性を中心に人気を集めた[1]

1997年の映画『瀬戸内ムーンライト・セレナーデ』で戦後の混乱期を生きた一家の次男を瑞々しく演じ、キネマ旬報賞新人男優賞を受賞[1]。またその後、江崎グリコのお菓子「ポッキー」のCMで吉川ひなのと恋人役を演じた[3]

俳優業の傍ら、1999年にソロ歌手としてデビューし[4]、以後バンドも結成するなど音楽界においても精力的に活動している。

2001年の『es 危険な扉 -愛を手錠で繋ぐ時-』(テレビ朝日系)で連続ドラマ初主演[1]。2002年の映画『黄昏流星群・星のレストラン』でシェフを目指す若者・片岡ヒロミ役、『RED HARP BLUES』でバンドで成功する夢を追う青年・陽児役をそれぞれ好演[1]

2006年8月にアミューズからオフィスニグンニイバ (オフィス新群新葉)へ移籍。2020年7月にViivoへ移籍。

人物 編集

生まれた頃は、両親、兄と暮らしていたが、家庭の事情で2歳の頃から兄と一緒に祖父母に育てられた(ただし、以後も両親との仲は良い)[4]。高校に進学したが、ある日「3年後、みんなと横並びで就職するんだな」と思ったことで学校生活に馴染めず1年弱で中退[2]

ほどなくして大工の見習いをしたが、後日親方から「1年間思いっきり遊び倒してから改めて来い」と言われて見習いを中断した[2]。他所でアルバイト生活を送ったが、鳥羽の将来を不安視した母親が、先述のアミューズのオーディションに応募[2]。当時芸能界に特に興味はなかったが友達に背中を押され、あまりやる気なくオーディションを受けたところ思いがけず合格して上京した[2]

1996年1月のドラマ『ピュア』で俳優として世に出たが、撮影は映画『ぼくは勉強ができない』の方が先だった[3]。『ぼくは勉強ができない』では全くの素人ということで、スタッフから「(気負わず)ただ、そこにいればいいから」と助言された[3]。演じる面白さは当時まだ分からなかったが、「スタッフと一緒にいる現場が楽しい」と思いながら撮影に臨んだ[3]

しかし、その後撮影したドラマ『ピュア』では、鳥羽の出演シーンで何テイクも撮り直し、本作終了直後にスタッフに「俳優に向いてないので辞めます」と言うほど悩んだという[注釈 1]

しかし、『ピュア』撮影時に監督から「良いから何回も演じさせるんだ」と言われた言葉が支えになった[5]。また、その後学園モノの作品で同年代の共演者と楽しく過ごせたことや、他の作品で様々な監督・スタッフたちと仕事をするうちに演じることの面白さを知り、俳優を続けることを決めた[5]

その他 編集

高校時代にバンド活動をしていた[4]。芸能界入り後はラウド系バンド『SpraSight』での活動を経て、デジタルラウド系バンド『Razhead Modic』を結成(同バンドではボーカル兼ギターを担当[4])。なお、『Razhead Modic』のシーンでは『GEENIE』として活動している。2004年11月にはミニアルバム『Inner Vision』をリリースしている。現在はバンド活動はやっていないが、「やりたくないわけじゃなく、模索中」とのこと2024年[4]

安達祐実とは、10代で『聖龍伝説』、20代でNHKのドラマ『グッド☆コンビネーション』、30代で昼ドラマ『娼婦と淑女』と、3回共演している(2023年時点)[2]。また、3歳年下だが芸歴が10年以上先輩である安達について、「同年代の共演者というより、“(役者として)尊敬している人”」と評している[2]

俳優業という不安定な収入を補うため、一時会員制ダイニングバーで5年ほど働いていた[6]

2024年現在は俳優業の傍らボクシングジムでアルバイトしており、アマチュア選手のミット打ちの相手などをしている[6]。また、JBCボクサー・ライセンスを持っているが、ケガをして本業の撮影の仕事に支障が出るとまずいため実戦には出ていない[6]

受賞歴 編集

出演 編集

テレビドラマ 編集

映画 編集

ラジオ 編集

ナレーション 編集

  • ヒューマンドキュメンタリー「俺たちのリアル」(2010年8月16日、NHK総合テレビ中部ブロック)

舞台 編集

CM 編集

PV 編集

オリジナルビデオ 編集

玩具 編集

  • プレミアムバンダイ限定 DXザクロロックシード(2015年、バンダイ) - 狗道供界の声 役
  • COMPLETE SELECTION MODIFICATION 戦極ドライバー(2021年3月、バンダイ) - 狗道供界 / 仮面ライダーセイヴァー 役

その他 編集

作品 編集

CDシングル 編集

  • 僕(CaLIN)(1999/01/21発売)
  • 花のように咲く傘(CaLIN)(1999/04/21発売)

CDアルバム 編集

  • 僕は僕の夢をみる(CaLIN)(1999/05/21発売)
  • Inner Vision(1stミニアルバム)(2004/11/10発売)

その他の音楽活動 編集

  • デジタルラウド系バンド『Razhead Modic』(2009年3月28日結成)

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 本人は、「(先の映画で感じていた)撮影現場の楽しい気分をへし折られました(笑)。リテイクを重ねたことでみんなの休憩時間を削ってしまって。今でこそ“演技力をしごいてくれて感謝”ですけど当時はいっぱいいっぱで。当時撮影していた渋谷ビデオスタジオを見るだけで、胃が痛くなっていましたから(笑)」と回想している[3]

出典 編集

  1. ^ a b c d e [1]「キネマ旬報WEB」のサイトより略歴。
  2. ^ a b c d e f g h 《ポッキーCMの俳優・鳥羽潤》“月9”ドラマ現場でNG連発「向いていないので辞めます」頭を下げて回った新人時代(その2)”. NEWS ポストセブン (2024年2月14日). 2024年2月16日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g 《ポッキーCMの俳優・鳥羽潤》“月9”ドラマ現場でNG連発「向いていないので辞めます」頭を下げて回った新人時代(その1)”. NEWS ポストセブン (2024年2月14日). 2024年2月16日閲覧。
  4. ^ a b c d e 《45歳となった俳優・鳥羽潤》「20歳を過ぎてから経験した挫折」世の中を知るために始めた意外な「アルバイト生活」(その2)”. NEWS ポストセブン (2024年2月14日). 2024年2月16日閲覧。
  5. ^ a b 《ポッキーCMの俳優・鳥羽潤》“月9”ドラマ現場でNG連発「向いていないので辞めます」頭を下げて回った新人時代(その3)”. NEWS ポストセブン (2024年2月14日). 2024年2月16日閲覧。
  6. ^ a b c 《45歳となった俳優・鳥羽潤》「20歳を過ぎてから経験した挫折」世の中を知るために始めた意外な「アルバイト生活」(その3)”. NEWS ポストセブン (2024年2月14日). 2024年2月16日閲覧。
  7. ^ “国民的美少女・吉本実憂、銀幕デビューで初主演 病と向き合う少女を熱演”. 映画.com. (2014年9月13日). http://eiga.com/news/20140913/6/ 2014年11月26日閲覧。 
  8. ^ “岡田結実×齊藤英里のW主演作「ウラギリ」8月に公開、主題歌は真夜中の12時”. 映画ナタリー (ナターシャ). (2022年5月12日). https://natalie.mu/eiga/news/477232 2022年5月12日閲覧。 

外部リンク 編集