らーめん潤(らーめんじゅん)は、新潟県の県央地域(燕市三条市)発祥の燕三条背脂ラーメンなどを提供しているラーメン店である。

株式会社酒麺亭潤
本社所在地 日本の旗 日本
959-1226
新潟県燕市小牧406-18
北緯37度40分23.9秒 東経138度57分07.5秒 / 北緯37.673306度 東経138.952083度 / 37.673306; 138.952083座標: 北緯37度40分23.9秒 東経138度57分07.5秒 / 北緯37.673306度 東経138.952083度 / 37.673306; 138.952083
設立 1993年7月
法人番号 3110001018597 ウィキデータを編集
事業内容 飲食店経営、麺類の製造及び販売
代表者 松本潤一
資本金 900万円
外部リンク http://ramenjun.co.jp/shop/
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らーめん潤、燕三条系ラーメン、油ノーマル
らーめん潤、燕三条系ラーメン、油ノーマル

新潟県中越地域と下越地域を中心に東京都の大田区蒲田にも出店している。運営会社は、株式会社酒麺亭潤(新潟県燕市)である。代表取締役は、松本潤一である[1]。本店は「ミシュランガイド新潟2020特別版」にミシュランプレートとして掲載されている[2]

燕三条系ラーメン 編集

  • 燕三条系ラーメンは、燕市三条市を中心として広まっているためそう呼ばれており、[3]:188また、新潟5大ラーメンの中で言うところの背脂系とも呼称される[注 1]。 他には、「長岡生姜(しょうが)醤油」「新潟濃厚味噌」「新潟あっさり醤油」「三条カレー」がある。
  • 燕三条系ラーメンの特徴は、煮干しが効いたしょうゆ味のしょっぱいスープに、背脂が加えられており、麺はうどんのように太い極太麺、具材はチャーシュー、メンマ、そして大きめに刻まれた玉ねぎが入っているという点等が挙げられる[5][注 2][注 3]
  • 燕三条系ラーメンの元祖は、昭和初期に燕市で創業した福来亭であるが、閉店している。ここから出た燕市の杭州飯店が昔ながらの代表的な人気店である[3]:188
    • 燕三条系ラーメンの元祖である福来亭の創業は昭和7年頃。屋台の営業からその歴史が始まる。店主は徐昌星[注 4]。当時の燕は、現在の朝日町や幸町付近に金属加工工場が数多くあり、徐氏は中央通りに屋台を構える。火力の弱い屋台では細麺しか茹でることができず、麺に合わせるスープは現在とは全く違ってさっぱりした薄味。翌年の昭和8年には燕駅近くの穀町で店舗を構える[5][6]
    • 今(杭州飯店)の味になり始めたのは昭和12年頃。汗を沢山かく工場で働く人からの要望で、少しずつしょっぱくしていった。研究と改良を重ねた結果、ただしょっぱいだけではなく味に甘味とまろやかさを出すために、中国では一般家庭でも料理に使う背脂を入れることを思いつくことになる[5][6]
    • 昭和30年代には出前だけで1日800杯に達したため、届け時間が長くなると麺が伸びてしまう。そこで、より伸びにくい麺にするために、小麦粉の原料を中力粉から強力粉に変え、今の太さに近づいてきたらしい[6][注 5]
    • なお、徐昌星は、その技術を自分のものだけにはせず「燕」のものとするために、同業者である他店にも技術を指導したとされる[5][注 6][注 7]
  • 燕三条系ラーメンは、背脂チャッチャ系[注 8]の元祖との仮説あり[6]

らーめん潤 編集

  • らーめん潤の運営会社である株式会社酒麺亭潤は、新潟県内に10店舗、県外に4店舗、その他グループを含めて全店で17店舗を構える。店舗の運営以外にも、県内外のイベントに出店している[5]
    • 松本潤一によれば、県内外のイベントに出店する理由は、燕の背脂ラーメンを広めたいから[注 9]。すでに海外のイベントにも参加し、燕の背脂ラーメンを海外に発信しているが、今後はアジアや欧米にへの出店も視野に入れているとの事[5][注 10]
  • らーめん潤は岩のりが入った「岩のり中華」を提供しているが、燕三条系ラーメンに岩のりを入れた元祖の店とされている[5]
  • らーめん潤では、油量を無しから鬼油までカスタマイズ可能[8]
  • 松本潤一は燕市出身で、かつては甲子園球児としてその名を轟せ、プロ野球選手を目指していた。その後、帰郷し親戚が経営するまつや食堂にて修行を開始した(当時26歳)[9][1]

歴史 編集

  • 1993年 - 燕市の花園町にて、酒麺亭潤燕本店を個人店にて創業[1]
  • 1997年 - 長岡市宮内にて、らーめん処潤宮内店を出店[4]:181[3]:188
  • 2005年 - 大田区蒲田にて、らーめん処潤蒲田店を出店
  • 2015年 - ドイツのフランクフルトにて、Ramen Junを出店
  • 2020年 - 「ミシュランガイド新潟2020特別版」に掲載[2]

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 大崎裕史は、「背脂といえば、東京の『ホープ軒』をはじめとする背脂チャッチャ系や、京都の『ますたに』を本流とするますたに系がある。どっちが元祖だ、という論議もあったが、新潟には、その両地区よりも古くから背脂系がある。」と述べている[4]:181[3]:187-188
  2. ^ 「煮干しが効いた背脂入りのしょっぱいスープ。背脂がまろやかさと甘さを演出。口の中をさっぱりさせてくれるみじん切りの玉ねぎ。加水率が高く伸びにくい極太麺。定番、甘口のメンマ。脂っこくなく、スープによく合うチャーシュー。」との解説あり[5]
  3. ^ 大崎裕史は、「この(ラーメンの)強烈な特徴は背脂だけではなく、油も多いこと。そして。自家製の麺が東京の『ラーメン二郎』並みに極太麺であること。そして、そこに煮干しが効いていることである。」とし、「極太麺・背脂・煮干し、というミスマッチな組み合わせと思ってしまいがちだか、…」「…煮干し好き・二郎好き・こってり好きを包含するラーメンなので、東京に進出しても人気店となる素養を持っている。」[4]:181「…くせになる味だ…。」と述べている[3]:188
  4. ^ 昭和3年に長崎に来日。当時24歳。中国浙江省出身[5]。有名な京都の新福菜館徐永俤の親戚にあたる[6]
  5. ^ 徐勝二(徐昌星の息子)は、「この味になるまで、どんな苦労がありましたか。」との問いに、「今の麺の太さは、私が入店した昭和39年当時の2倍くらいあります。当時は出前だけで800杯くらいあったんですよ。1軒の工場で150杯とか注文くれたんですね。残業する時の夕飯でした。ちっちゃい店だったんで、一度にそんな数は当然できません。申し訳なかったけど、早いところは夕方4時過ぎ頃から配達させてもらって、遅いところは9時頃だったかな。そんな時、出前していてやっぱり麺が伸びちゃうんですよ。せっかくならおいしいものを食べてもらいたいじゃないですか。だから、当然、父からは怒られましたね。伸びにくい麺でおいしくしたい。そんなの無理なんですよ。太い麺を短時間で茹でるために、コークスを練炭に混ぜて使ったりもしました。そしたら、今度は釜が壊れちゃうんです。その時も父に怒られましたね。そんな風にケンカしながら納得のいくものを作ってきました。」と答えている[5]
  6. ^ 徐勝二は、「昭和30年代、市内の食堂やラーメン店にラーメン作りの指導をしていたそうですね。」との問いに、「そうなんですよ。父は弟子が沢山いました。自分だけの味にするんじゃなくて、『みんなでレベルアップして、いいものを作っていきましょう。』という人だったんですね。みんなでそうやって技術を高めてきたおかげで、燕のラーメン屋はどこの店に入ってもおいしい。でもその弟子だった人も亡くなっちゃった人が多くなってきて、2代目とか3代目で続いているとうれしくなりますよね。」と答えている[5]
  7. ^ 岩岡洋志は、「…燕市内でこの背脂を使ったラーメンが多いのは、福来亭が発展のために組合を作り、技術を隠さずに他の飲食店にも教えていたから。福来亭で仕事をしていた中華亭龍華亭の店主が取り入れ、他に教えたという説もありますし、もしかしたらこのラーメンを教わった新潟県出身者がこの背脂を全国に広めたのかもしれない。」と述べている[6]
  8. ^ でき上ったラーメンの丼の上で、加熱して柔らかくなった豚の背脂を、ザルに入れて「チャッチャッ」と振り、ラーメンに脂のトッピングをするところから、こう呼ばれる[7]
  9. ^ 松本潤一は、「(ラーメン店を始める)まで県外にいたこともあり、外から燕のラーメンを見たとき、そのすごさが実感できたんですよね。大量の背脂が入っているのに食べてみると意外とあっさりしている。そして麺が極太。こんなラーメンほかにはないですよね。どこのラーメンにも引けをとらないはず。もっと全国の人に知ってもらいたい。」と述べ、「燕のラーメンは全国に誇れる。それはラーメン店だけで完成したものではなく、そこには市民みんなでこの味を作り上げてきた歴史がある。地場産業とともにこの街に根付いてきたこの味、この文化を大切にしていきたいですね。」と述べている[5]
  10. ^ 徐勝二は、「今では県外にも背脂ラーメンを出すお店があるようですが。」との問いに、「おいしいものが全国に広がっていくのは当然。だからこそ、私たちは燕の本場の味を守り、そして研究をしてもっと先にいかないとって思いますね。」と述べている[5]

出典 編集

  1. ^ a b c らーめん処潤”. 株式会社酒麺亭潤. 2020年3月1日閲覧。
  2. ^ a b 『ミシュランガイド新潟2020特別版』日本ミシュランタイヤ、2020年7月17日。ISBN 978-4904337295 
  3. ^ a b c d e 大崎裕史『日本ラーメン秘史』日本経済新聞出版社〈日経プレミアシリーズ〉、2011年10月12日。ISBN 978-4532260811 
  4. ^ a b c 大崎裕史『無敵のラーメン論』講談社〈講談社現代新書〉、2002年3月20日。ISBN 978-4061495951 
  5. ^ a b c d e f g h i j k l m 燕の背脂ラーメン発祥80年」『広報つばめ』平成25年11月1日号、燕市、2013年11月1日、2-5頁、2020年3月1日閲覧 
  6. ^ a b c d e f 岩岡洋志『ラーメンがなくなる日』主婦の友社〈主婦の友新書〉、2010年11月6日。ISBN 978-4072756591 
  7. ^ 矢都木二郎『麺屋武蔵ビジネス五輪書』学研プラス、2017年2月28日。ISBN 978-4054065390 
  8. ^ 佐藤英典 (2014年8月6日). “岩のりで麺もスープもほとんど見えない! 新潟発祥燕三条系ラーメンを堪能できる「らーめん潤」 東京・亀戸”. ロケットニュース24. ソシオコーポレーション. 2020年3月1日閲覧。
  9. ^ 井手隊長 (2019年9月8日). “「味に品がない」と言われた元中華料理人が“普通だけど最強”なラーメンを作れた理由”. AERA dot.. 朝日新聞出版. 2020年3月1日閲覧。

関連項目 編集

外部リンク 編集