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われら愛す(われらあいす)は、第二次世界大戦後の1953年昭和28年)、壽屋(サントリーの前身にして現在のサントリーホールディングス)社長佐治敬三が中心となって呼びかけ公募し、君が代に代わる国民歌とすべく作られた曲。

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概要編集

作詞:芳賀秀次郎作曲:西崎嘉太郎、編曲:高浪晋一。

日本への憲法の心を詠ったものと云われる。1953年、ラ・マルセイエーズのような、新しい国民歌を作ろうという佐治の呼びかけに応じて全国から応募された数万点の中から選ばれた一曲。結局、正式に採用されなかった。同様の曲に『若い日本』がある。

学校法人玉川学園では戦後ずっと歌い継がれており、同学園での学生、教職員の愛唱歌の一つになっている。玉川大学出版部刊行の最新の『愛吟集 第三版』(2005年 ISBN 9784472132032)にも収録されている。

本項の外部リンクに挙げられている岐阜大学教育学部附属中学校でも、折に触れてこの歌を歌っている。同校には校歌がなく(附属学校には、「附属小学校の歌」および教育目標を易しく表現した「三つの願い」という二つの歌が存在する)、愛唱歌として「われら愛す」が歌い継がれている。その経緯については、同校のサイトの学校案内にある「愛唱歌紹介」に述べられている。ただし、入学式や卒業式等の式典では「君が代」を斉唱しており、「われら愛す」を「君が代」の代わりとしているわけではない。

兵庫県にある雲雀丘学園小・中・高等学校では、歴代の学園理事長が鳥井家(サントリー経営者)であった縁で、学園内で1980年頃まで歌い継がれ、学園体育祭ではこの曲に合わせて生徒たちが踊る演目もあった。

後にこの経緯を知った同校放送部が、岐阜大学教育学部附属中学校にも取材して作成したドキュメンタリーが、2001年の兵庫県高校放送コンテストで1位を受賞している。また山形放送が関係者らに取材し、同校にも協力を得て制作したドキュメンタリー『われら愛す〜国歌・国民歌についての考察〜』が、2007年の第62回文化庁芸術祭のラジオ部門で大賞に選ばれている[1][2][3][4]

われら愛す

【作詞】芳賀秀太郎

【作曲】西崎嘉太郎

1.われら愛す

  胸せまる あつきおもひに

  この国を

  われら愛す

    しらぬ火 筑紫のうみべ

    みすずかる信濃のやまべ

  われら愛す

  涙あふれて

    この国の空の青さよ

    この国の水の青さよ

2.われら歌ふ

  かなしみの ふかければこそ

  この国の

  とほき青春

    詩ありき雲白かりき

    愛ありきひと直かりき

  われらうとう

  をさなごのごと

    この国のたかきロマンを

    この国のひとのまことを

3.われら進む

  かがやける 明日を信じて

  たじろがず

  われら進む

    空に満つ平和の祈り

    地にひびく 自由の誓ひ

  われら進む

  かたくうでくみ

  日本の清き未来よ

  かぐわしき夜明けの風よ

脚注編集

  1. ^ http://www.hibari.jp/weblog00/archives/2008/01/post_518.html 校長通信2008年01月07日・新国民歌「われら愛す」と雲雀丘学園(2011年9月4日閲覧)
  2. ^ http://www.hibari.jp/weblog00/archives/2008/01/post_534.html 校長通信2008年01月25日・芸術祭大賞受賞~山形放送スタッフ来校(2011年9月4日閲覧)
  3. ^ http://warp.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/239751/www.pref.yamagata.jp/government/activity/920082.html[リンク切れ] やまがた県政トピックス2008年2月14日(木) 第62回文化庁芸術祭大賞受賞祝賀パーティー(山形市)(2011年9月4日閲覧)
  4. ^ 「われら愛す 芸術祭大賞に 山形放送・YBCラジオ制作ドキュメンタリー」『朝日新聞山形版』 2008年1月31日

関連図書編集

関連項目編集

外部リンク編集