アウラ・パラティナ

アウラ・パラティナ英語:Aula Palatina)は、ドイツトリーアにある4世紀古代ローマ時代のバシリカローマ皇帝コンスタンティヌス1世によって建設されたことから、コンスタンティヌスのバシリカとしても知られている[1]。現在はキリスト教の教会として使用されており、トリーアのローマ遺跡群、聖ペテロ大聖堂、聖母聖堂として世界遺産に登録されている。

アウラ・パラティナ
Trier - Aula Palatina.JPG
アウラ・パラティナ
情報
用途 教会
旧用途 宮殿城塞
着工 310年
文化財 世界遺産
テンプレートを表示

歴史編集

310年頃、コンスタンティヌス1世の時代に現在の建物の建設が開始された。建物の西半分の壁面に当時の遺構が一部現存している。元々、この位置にはコロニア・アウグスタ・トレウェロールム(現在のトリーア[2])における皇帝宮殿が既に存在しており、コンスタンティヌスの父コンスタンティウス・クロルスも本拠地として使用していた[3]。もとは独立した建物ではなく、宮殿の複合施設の一部であり玉座の間として使用されたと考えられている[2]。黒と白の大理石の床、壁に斑岩で作られた彫像、モザイク等で装飾された[4]

その後、トリーアはゲルマン人の侵入の過程でフランク王国の支配下におかれ、このころに設置されたトリーア司教[5]の宮殿として使用さるようになった。更に後の時代には城塞の一部に取り込まれ、建物の西半分が破壊された。

その後、19世紀プロイセンフリードリヒ・ヴィルヘルム4世による復元などをはじめとするの度々の修築のあと、現在は建造当時の姿に近くなっている。今日、ラインラントの福音教会内の会衆によって所有される教会となっている。

ギャラリー編集

参考文献編集

  1. ^ https://www.tripadvisor.jp/Attraction_Review-g187394-d191074-Reviews-Konstantin_Basilika-Trier_Rhineland_Palatinate.html
  2. ^ a b ジェラール・クーロン、ジャン=クロード・ゴルヴァン『Voyage en Gaule romaine Broché』p40
  3. ^ 南川高志『新・ローマ帝国衰亡史』岩波書店〈岩波文庫〉、2020年1月15日、61頁
  4. ^ KONSTANTIN-BASILIKA
  5. ^ コトバンク『トリール』

関連項目編集