古代ローマ

紀元前8世紀よりイタリア半島中部から領土を拡大しながら世界帝国に至った文明の総称
元老院ならびにローマ市民
Senatus Populusque Romanus
エトルリア
サビニ人
紀元前753年 - 476年
国の標語: Senatus Populusque Romanus
ラテン語:ローマの元老院と市民)
元老院ならびにローマ市民の位置
ローマの領域の変遷
公用語 ラテン語
首都 ローマ紀元前753年-554年
ニコメディア286年-330年
メディオラヌム286年-402年
コンスタンティノポリス330年-1453年
ラヴェンナ402年-476年
皇帝
紀元前27年 - 395年 ローマ皇帝
395年 - 480年西ローマ皇帝
395年 - 1453年東ローマ皇帝
執政官(共和政期においては元首)
紀元前509年 - 紀元前27年執政官
紀元前27年 - 192年執政官
192年 - 887年執政官の一覧(英語版)
変遷
建国 紀元前736年
共和政紀元前509年
帝政紀元前27年
東西分割286年
テトラルキア(4分割)293年
東西分割395年
西ローマ帝国滅亡480年
東ローマ帝国滅亡1453年
通貨デナリウスほか
先代次代
エトルリア エトルリア
サビニ人 サビニ人
オスマン帝国 オスマン帝国
イスラム帝国 イスラム帝国
東ゴート王国 東ゴート王国
西ゴート王国 西ゴート王国
ブルグント王国 ブルグント王国
ヴァンダル王国 ヴァンダル王国
スエビ王国 スエビ王国
フランク王国 フランク王国
ブルガリア帝国 ブルガリア帝国
ヴェネツィア共和国 ヴェネツィア共和国

古代ローマ(こだいローマ、: Roma antiqua)は、イタリア半島中部に位置した多部族からなる国家の総称である。都市国家から始まり、領土を拡大して地中海世界の全域を支配する世界帝国となった。

概要 編集

古代ローマの最初期は王政ローマだった。その後、政体は共和政ローマとなり、またその後、帝政ローマとなった。

伝統的には476年西ローマ帝国皇帝ロムルス・アウグストゥルスの退位をもって古代ローマの終焉とするのが一般的であるが、ユスティニアヌス1世によってイタリア本土が再構成される554年までを古代ローマに含める場合もある。

ローマ市は、帝国の滅亡後も一都市として存続し続け、世界帝国ローマの記憶は以後の思想や制度に様々な形で残り、今日まで影響を与えている。

共和政ローマの正式な国号は元老院ならびにローマ市民(Senātus Populusque Rōmānus)であり、共和政成立から古代ローマ終焉まで使用された。

時代区分 編集

王政期 編集

紀元前753年(建国)から紀元前509年まで、トロイア戦争におけるトロイア側の武将で、トロイア滅亡後にイタリア半島に逃れてきたアイネイアースの子孫であるロームルスに始まる伝説上の七人のが治めていた期間(伝承による)。古代ローマでは、アイネイアースが、トロイア滅亡後、音楽医学貿易政治システムを持って、イタリア半島に逃れて、古代ローマを建国したという物語は、古代ローマが古代ギリシアの歴史とつながる長い連続と価値づけられ、非常に重要と考えられていた[1]

初期の4人の王はローマ建設時の中心となったラテン人サビニ人から選ばれているが、その後の3人の王はエトルリア人出身であるとされる。これは初期のローマにおいてエトルリア人による他民族支配を受けていたことを示すと考えられている。

共和政期 編集

 
BC44年カエサル統治下の共和政ローマの版図

紀元前509年から紀元前27年まで、ローマがイタリア半島の一都市国家から地中海の全域に属州を持つ帝政になるまでの期間を指す。政治は元老院執政官政務官を中心として、民会などで一般ローマ市民の意思も反映されながら民主的に運営された。

帝政期 編集

 
ローマ帝国の最大版図

初期 編集

いくつか分け方が存在する。

  1. アウグストゥスからはじまるユリウス=クラウディウス朝からフラウィウス朝までとするもの。
  2. 1. に五賢帝の時代を加えるもの。
  3. 2. セウェルス朝なども加えディオクレティアヌスの即位までを帝政初期として帝政全体を二つに分けるもの。

2. の区分が比較的多い。

中期 編集

セウェルス朝から始まり、軍人皇帝時代を経て、ディオクレティアヌス帝が即位するまで。

後期 編集

ディオクレティアヌスの即位を開始とする。そのまま西ローマ帝国の滅亡までを帝政後期としてくくることも多いが、テオドシウス1世の死後に帝国が東西に分裂した後は、通常は西ローマ帝国東ローマ帝国としてわける。

後期以降の時代は皇帝による専制や君主崇拝が強められ、専制君主制(ドミナートゥス)と呼ばれる。

コンスタンティヌス1世ミラノ勅令によってキリスト教が公認され、徐々にローマの支配イデオロギーの中の枢要な部分を占めるようになっていった。

東西分離後 編集

 
ユスティニアヌス1世時代の東ローマ帝国(青)。青と緑色部分はトラヤヌス帝時代のローマ帝国最大版図。赤線は東西ローマの分割線

西ローマ帝国 編集

その滅亡をもって、ヨーロッパ史では古代中世との境界とする場合がある。

東ローマ帝国 編集

その滅亡を以って、ヨーロッパ史では中世と近世の境界とする場合がある。

戦争・戦闘 編集

古代ローマ期の人物・家について 編集

古代ローマ期の文化・書籍 編集

 
1501年出版のウェルギリウスの叙事詩写本

近代以降の古代ローマ史に関する著作 編集

ここでは特に広く知られ、二次資料としての価値が高く、評価の定まった文献のみをあげる。

  • エドワード・ギボン 『ローマ帝国衰亡史
  • テオドール・モムゼン 『ローマ史』
  • J. B. Bury, History of the later Roman Empire: from the death of Theodosius I. to the death of Justinian, (New York: Dover publications, 1958).
  • A.H.M. Jones, The later Roman Empire 284-602: a social economic and administrative survey, (Norman: University of Oklahoma Press, 1964).
  • P・ブラウン著、宮島直機訳『古代末期の世界―ローマ帝国はなぜキリスト教化したか?―』刀水書房2002年

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ パーテルはを意味するが、16世紀に現れた父権主義とは性質が異なる。

出典 編集

  1. ^ Simons, G. L. (1999). Korea: The Search for Sovereignty. Palgrave MacMillan. p. 70 

参考文献 編集

関連項目 編集

外部リンク 編集