アルバート・クレイリー
アルバート・パドック・クレイリー(Albert Paddock Crary、1911年 – 1987年)は、アメリカ合衆国の先駆的な極地地球物理学者、雪氷学者。1952年5月3日には、ジョセフ・O・フレッチャー (Joseph O. Fletcher) やウィリアム・パーシング・ベネディクト (William Pershing Benedict) と一緒に北極点に到達し、次いで1961年2月12日には、8人編成のチームを率いて南極点にも到達した。南極点行きの探検では、トレイラー付きの雪上車3台を使い、1960年12月10日にマクマード基地を出発した。クレイリーが率いた隊は、アムンセン隊、スコット隊、ヒラリー隊、フックス隊、ボストーク基地から出発した、1959/1960年のロシア隊、アンテロ・ハボラ (Antero Havola) が率いた最初の米国隊に続き、陸路による探検隊としては史上7番目に南極点に達した。クレイリーは知的でウィットに富み、技術にも優れ、極地研究探検隊の指揮者として広く尊敬された。1963年には、南極探検の功績に対して、王立地理学会から金メダル(パトロンズ・メダル)を贈られた[1]。
経歴
編集クレイリーは、1911年にニューヨーク州の農場経営者の家庭に倦まれた。7人きょうだいの上から2番目のこどもであった。ニューヨーク州カントン (Canton) のセント・ローレンス大学 (St. Lawrence University) で、物理学を専攻し、地質学を学んだ。1931年、Phi Beta Kappa に認められる最優秀の成績で大学を卒業し、さらに物理学での修士号取得を目指してリーハイ大学 (Lehigh University) に進んだ。南北両極地における長年の研究を終えた後は、ワシントンD.C.に妻子とともに定住した。
クレイリーは、1987年に死去した。
伝統
編集1991年、合衆国南極プログラム (USAP) を運営するアメリカ国立科学財団 (NSF) は、クレイリーを記念し、その名を冠した芸術的な設計の実験棟アルバート・P・クレイリー科学技術センター (Albert P. Crary Science and Engineering Center, CSEC) をマクマード基地に開設した。クレイリーの名は、南極大陸にあるクレイリー山地 (Crary Mountains)(南緯76度48分、西経117度40分)やクレイリー・アイスライズ (Crary Ice Rise) に遺されている。
貢献
編集クレイリーは、自らの専門分野に様々な重要な形で貢献をした。
- 北極海氷島T3に関する主任科学者、1952年 - 1955年
- 国際地球観測年のための合衆国地質学本部(the United States Geological Headquarters)の設立、 1955年
- 1957年の国際地球観測年に参加した合衆国科学者団の副代表
- ロス棚氷を横断した地震調査隊の隊長、1957年 - 1958年
- リトル・アメリアV (Little America V) から西へ進み、スケルトン氷河 (Skelton Glacier) を遡上してヴィクトリアランド高原 (the Victoria Land plateau) に達し、南緯78度線沿いに西へ進んでおよそ東経131度30分まで到達した地球物理学調査隊の隊長、1958年 - 1959年
- マクマード基地から、スケルトン氷河を通り、南極点に達した地球物理学調査隊の隊長、1960年 - 1961年
- 合衆国南極プログラムの主任科学者、1960年 - 1968年
- アメリカ国立科学財団環境科学部門の副代表、後に代表、1969年 - 1978年
- 南極地名諮問委員会委員(1961年 - 1976年:うち座長、1974年 – 1976年)
クレイリーは、数多くの高名な研究者、有名な研究機関と一緒に仕事をしていた。
- コロムビア大学のモーリス・ユーイングやウッズホール海洋研究所はその例である。
- 野外実験の指揮者として、モーグル計画に参加していたジェームズ・ピープルズ (James Peoples) を助け、気象観測風船を使って、様々な種類の装置を実験的に使用し、大気圏上層部の音波の収集などを行なった。(ニューメキシコ州ロズウェルにおけるロズウェル事件を参照[2])
出典・脚注
編集- ^ “Medals and Awards, Gold Medal Recipients” (PDF). Royal Geographical Society. 2016年11月30日閲覧。
- ^ McAndrew, James. “Report on Project Mogul: Synopsis of Balloon Research Findings”. 2012年12月12日閲覧。
外部リンク
編集- Crary's trip to the South Pole - 写真、地図を含む
- 写真 - 米国科学アカデミー (NAS)の国際地球観測年南極プログラムに副主任科学者として参加した際の写真、地震計のデータを眺めているところ