イザベル・ド・フランス (1105-1175)

イザベル・ド・フランスIsabelle de France, 1105年 - 1175年)は、フランス王ルイ6世の庶出の娘。遅くとも、1108年以前には生まれていたとされる。

イザベル・ド・フランス
Isabelle de France

称号 ランクール=サン=ピエール女卿
配偶者 ショーモン=ギトリ卿ギヨーム1世
子女 オズモンド2世
ゴーティエ
ルイ
フィリップ
ガス
ボードリ
ユーグ
父親 ルイ6世
母親 マリー・ド・ブルイエ
宗教 キリスト教カトリック
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ルイ6世が王太子時代に結婚した初婚の妻、リュシエンヌ・ド・ロシュフォールとの間の娘とする説も有るが、信憑性は低い。

さらに、イザベルはサン=ペール=アンヴァレ修道院(フランス語版)に父、夫、そして確実にブルイエ卿レナールらの魂の救済のために作ったとされる遺産を残しており[1]、それによりイザベルはブルイエ家の縁者であり、生母は1104年まで父王ルイ6世が王太子時代に愛人としたマリー・ド・ブルイエとする説の方が事実であった可能性が高いとされている。

母マリー・ド・ブルイエが、一時尼僧となりパリの修道院に隠棲した際、イザベルはフランス王家に引き取られ、結婚するまでの間、宮廷で育てられる。

1114年、5歳~9歳の頃にヴェクサンショーモン=ギトリ卿ギヨーム1世と結婚した際、父王が保有していたランクール=サン=ピエール領(教会を除く)のすべてという、莫大な化粧料を受領した[2]

夫ギヨーム1世との間に以下7子をもうけている[3][4]

  • オズモンド2世 - 1137年にイングランド王スティーブンと戦った騎士。
  • ゴーティエ
  • ルイ - モンジャブール卿。
  • フィリップ - ルーアン教会の聖職者。
  • ガス (ガストニ)- 騎士。
  • ボードリ - 騎士。
  • ユーグ - 騎士。

イザベルは1175年に死去した。

出典編集

  1. ^ Le prieuré Notre-Dame de Longpont
    XXIX. La fille naturelle de Louis VI le Gros
    ” (フランス語). Jean Dupont. 2019年11月21日閲覧。
  2. ^ Jean Dufour (1986). “Un faux de Louis VI relatif à Liancourt (Oise)” (フランス語). Bibliothèque de l'école des chartes 144 (1): 39-67. doi:10.3406/bec.1986.450405. .
  3. ^ Seigneur Guillaume I DE CHAUMONT et de Quitry” (英語). the sign of times .com.au. 2019年11月21日閲覧。
  4. ^ Le prieuré Notre-Dame de Longpont” (フランス語). Chronique du Vieux Marcoussy et des lieux circumvoisins. 2019年11月21日閲覧。