イソノミアは、古代イオニアで発達した政体

概要編集

2011年の『文学界』の春季の号の山口二郎との対談で、柄谷行人は、ハンナ・アーレントなどを参照しつつ、イソノミアを次のように説明した。

日本では、同等者支配などと訳されたこともあるが、アーレントはノー・ルール(無支配)と訳しており、このほうが正しい。

こんにち俗に「民主主義」と言われているものは、「自由・民主主義」であり、自由主義自由)と民主主義平等)の振り子のような相互修正により成立する。フランシス・フクヤマの『歴史の終わり』は、このような政体によって完結される歴史についての本である。しかし、これを超克する余地もあろう。その可能性はイソノミアにある。イソノミアとは、自由と平等が対立せず、自由であることがそのまま平等であり、逆もまた真である、ような政体である。

イソノミアは、アメリカ合衆国草の根民主主義に近い。アメリカでは土地を持たない独立自営農民が、その担い手になった。これは、商工業者を軽蔑する、アテネの「農民=戦士」的デモクラシーとは異なるものであった。アーレントが注目する「評議会」も、現代のイソノミアと言えよう。柄谷が「世界共和国へ」で挙げたアソシエーションも、イソノミアとほぼ同じものだ。[1]

アソシエーショニズムは、普遍宗教によって開示されたものだと、これまで柄谷は述べてきたが、宗教という形以外でそれが実現されたことはなかったか、と再考した挙句、イソノミアを思い当たった。(『哲学の起源』連載第一回目)

関連項目編集

出典編集

  1. ^ 文学界2011年4月号

外部リンク編集