イタリア支配下のモンテネグロ

モンテネグロ総督府
Governatorato del Montenegro
ユーゴスラビア王国 1941年 - 1943年 ナチス・ドイツによるモンテネグロ占領
モンテネグロの国旗 モンテネグロの国章
イタリア王国の国旗) モンテネグロの国旗
モンテネグロの位置
モンテネグロ総督府(白と濃い緑で示されたアルバニアのすぐ西)
公用語 イタリア語セルビア・クロアチア語
宗教 東方正教
ローマ・カトリック
イスラム教スンナ派
首都 ツェティニェ
総督
1941年 - 1941年セラフィーノ・マッゾリーニ英語版
1941年 - 1943年アレッサンドロ・ピルツィオ・ビローリ英語版
1943年 - 1943年キュリオ・バルバセッティ・ディ・ブルン英語版
首相
1941年7月 - 1941年7月 セクラ・ドリイェヴィッチ英語版
国内委員会責任者
1942年 - 1943年ブラゾ・ドゥカノビオ英語版
人口
411,000人
変遷
イタリアによる占領 1941年4月18日
独立宣言1941年7月12日
対伊反乱英語版1941年7月13日
独立却下1941年7月24日
総督府設立1941年10月3日
ドイツによる占領1943年9月12日
通貨ユーゴスラビア・ディナール
イタリア・リラ
現在モンテネグロの旗 モンテネグロ
セルビアの旗 セルビア

イタリア支配下のモンテネグロ(イタリア語: Governatorato del Montenegro)は、1941年9月から1943年9月まで、第二次世界大戦の間存在していたイタリア王国による軍事政権である。

イタリアは属国としてモンテネグロ王国を建国しようとしたが、1941年のモンテネグロ蜂起後には建国計画は破綻になっている。

1943年のイタリア降伏後モンテネグロはナチス・ドイツによって占領された。

背景

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セルブ・クロアート・スロヴェーン王国(KSCS、後にユーゴスラビア王国と改称)が誕生する以前、モンテネグロは40年にわたり独立国家として認められていた。1918年12月のKSCS設立の直前、モンテネグロ王国はセルビア王国に統合され、独立国家としては存在しなくなった。1922年以降、KSCS、そしてユーゴスラビアの一部であるモンテネグロは、国家の下部組織ではなくなった。第一次世界大戦直後の農地改革により、モンテネグロの山岳地帯からマケドニアやコソボを含むユーゴスラビアの他の地域への人口移動があった。この人口移動によって、その地域のセルビア人人口を増やすという政治的目的も達成された。

歴史

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侵攻

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初期の侵攻

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宗教

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モンテネグロにおける主な宗教は東方正教であった。また、スンナ派のイスラム教徒も多く、ローマ・カトリックは少なかった。

脚注

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注釈

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出典

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座標: 北緯42度23分 東経18度55分 / 北緯42.383度 東経18.917度 / 42.383; 18.917