イド・ド・ロレーヌ
イド・ド・ロレーヌ(Ide de Lorraine, 1160年頃 - 1216年)は、ブローニュ女伯(在位:1173年 - 1216年)。マチュー・ダルザスとブローニュ女伯マリーの間の長女。
イド・ド・ロレーヌ Ide de Lorraine | |
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ブローニュ女伯 | |
![]() ブローニュ女伯イドの封蝋 | |
出生 |
1160年頃 |
死去 |
1216年 |
配偶者 | ゲルハルト・フォン・ゲルデルン |
ツェーリンゲン公ベルトルト4世 | |
ダンマルタン伯ルノー | |
子女 | マティルド |
父親 | マチュー・ダルザス |
母親 | ブローニュ女伯マリー |
出生編集
父マチュー・ダルザスは修道院からブローニュ女伯マリーを略奪し結婚したが、教会はこの結婚を認めず、1170年に結婚は解消された。しかし、父マチューは結婚解消後もブローニュ伯であり続けた。結婚の合法性に問題があったにもかかわらずマチューとマリーとの間の2人の娘は嫡出子とされ、1173年にマチューが死去した後、イドがブローニュ伯位を継承し、伯父フランドル伯フィリップが後見人となった[1]。
結婚と子女編集
伯父フランドル伯フィリップの勧めにより、1181年にイドはゲルデルン伯ハインリヒの長男ゲルハルトと結婚したが、ゲルハルトは同年に死去した。
1183年、ツェーリンゲン公ベルトルト4世と結婚したが、3年後に死去した。
ベルトルト4世が死去した後、イドはギネ伯アルヌール2世と恋仲になり、結婚に向けて話が進められたが、1209年にダンマルタン伯ルノーに誘拐され、ロレーヌに連れて行かれた。イドはアルヌール2世に手紙を書き、アルヌールはイドを助けに向かったが、ヴェルダンでアルヌールはルノーの仲間に捕まり、ランス大司教ギヨームの助けにより解放された。ルノーとイドとの間には1女がいる。
- マティルド(1202年 - 1259年) - ブローニュ女伯
脚注編集
- ^ リッシェール、p. 447
参考文献編集
- Paul Grammont, Ide de Lorraine, Saint-Benoit du Sault : éditions Bénédictines, 1978.
- アシル・リッシェール 『フランス中世の社会 フィリップ=オーギュストの時代』 東京書籍、1990年
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