ウィラード・ロング・ソープ(Willard Long Thorp、1899年 - 1992年5月10日[1])は、アメリカ合衆国経済学者。国内・国際情勢の顧問として3人の大統領F・ルーズベルトトルーマンアイゼンハワー)に仕えた。マーシャル・プランの立案に関与し[1]、事業と教育においても顕著な業績を残した。

トルーマン政権における経済担当国務次官補(1946年 - 1952年)、1946年のパリ平和会議における米国代表団の一員(経済担当特別顧問)、1946年のニューヨーク外相会談における経済担当特別顧問、国連総会の米国代表(1947年 - 1948年)を歴任した[2]

ジョーゼフ・マッカーシーの「魔女狩り」調査(1950年 - 1954年)の最中、共産主義者の嫌疑を掛けられ辞任した。

マサチューセッツ州ペラムにて死去。92歳[3]

脚注 編集