エグペルス (ピュイ=ド=ドーム県)

エグペルス: Aigueperse)は、フランスオーヴェルニュ=ローヌ=アルプ地域圏ピュイ=ド=ドーム県コミューン

Aigueperse

行政
フランスの旗 フランス
地域圏 (Région) オーヴェルニュ=ローヌ=アルプ地域圏
(département) ピュイ=ド=ドーム県
(arrondissement) リオン郡
小郡 (canton) 小郡庁所在地
INSEEコード 63001
郵便番号 63260
市長任期 リュック・シャピュ[1]
2014年-2020年
自治体間連合 (fr) fr:Communauté de communes Nord Limagne
人口動態
人口 2630人
2012年
人口密度 250人/km2
地理
座標 北緯46度01分24秒 東経3度12分11秒 / 北緯46.0233333333度 東経3.20305555556度 / 46.0233333333; 3.20305555556座標: 北緯46度01分24秒 東経3度12分11秒 / 北緯46.0233333333度 東経3.20305555556度 / 46.0233333333; 3.20305555556
標高 平均:m
最低:338m
最高:422m
面積 10.50km2
Aigueperseの位置(フランス内)
Aigueperse
Aigueperse
テンプレートを表示

地理 編集

エグペルスは、リマニュ地方の平野、県北部に位置する。直線距離でリオンの北北東16.7km[2]クレルモン=フェランの北北東28.7kmにある[3]。しかしアリエ県のガナとは8.6kmしか離れていない[4]

交通 編集

コミューンにはかつての国道9号線である、県道2019号線が交差している。県道2019号線と旧県道449号線のバイパスはコミューン東側にある。この道路はどちらもムーラン-ガナ-クレルモン=フェランにつながる軸となっている。他の県道もコミューンを通過する。北西のシャテュザから南東のテュレをつなぐ県道12号線、モンパンシエとサルドンをつなぐ県道51号線、ヴァンサへ向かう県道439号線、サン・ミオンからコンブロンドへ向かう県道985号線である。

鉄道は、サン・ジェルマン・デ・フォッセ-ニーム-クルブサック路線がコミューンを通過する。クレルモン=フェラン-ガナ-モンリュソン間を走るTERオーヴェルニュの停車駅が、エグペルス駅である。

歴史 編集

 
アンドレア・マンテーニャ聖セバスチャンの殉教

ローマ時代、町はアクアエ・スパルセ(Aquae Sparsæ、ふりかかる水)と呼ばれていた。

エグペルスは、モンパンシエ伯領の中心地だった。町はオーヴェルニュの13箇所の有力都市の1つであり、1440年に起きたプラゲリーの乱(frシャルル7世に対して貴族たちが起こした反乱)の際には、反乱勢力に対し町の門を開けることを拒否し、シャルル7世王の駐屯地となった。支援を受けられなかった反乱勢力は、その後キュセ条約を交渉することを余儀なくされている。

1465年5月1日、反ルイ11世を掲げ封建貴族たちで結成されたビアン・ピュブリック同盟征伐の折、ルイ11世は王権に対するエグペルスの忠誠に感謝してコミューンとブルジョワ階級たちに書面で特権を授与した[5]

モンパンシエ伯ジルベールは、1481年2月25日、マントヴァのサン・ピエトロ大聖堂でクレール・ド・ゴンザーグ(マントヴァ侯フェデリーコ1世の娘)と結婚した[Note 1]。『エグペルスの聖セバスチャン』と呼ばれていたマンテーニャの絵画作品は、おそらく1481年にクレールの持参金の一部としてエグペルスに持ち込まれたと見られる。この絵は1910年にルーヴル美術館へ売却された。

フランス革命後の国民公会時代、コミューンはモンプラトル(Montplâtre)と呼ばれていた[6]

人口統計 編集

1962年 1968年 1975年 1982年 1990年 1999年 2006年 2012年
2017 2273 2680 2734 2534 2504 2521 2630

source=1999年までLdh/EHESS/Cassini[6]、2004年以降INSEE[7][8]

史跡 編集

姉妹都市 編集

脚注 編集

参照 編集

  1. ^ Le mariage eut lieu par procuration ; Gilbert était représenté par ses envoyés, Guillaume Coiffier, son trésorier, et Jean de Tersac, seigneur de Ligonne. La veille avait été signé le contrat de mariage prévoyant une riche dot. Cf. Laurent Vissière, loc. cit., p. 163 et 166.