エフゲン・クレイン

ロシア出身の日本のヴァイオリニスト、指揮者、音楽教師

エヴゲーニー・クレインロシア語: Евгений Крейн, 1893年[1] - 1942年2月24日[2])はロシア出身の日本ヴァイオリニスト指揮者、音楽教師。日本ではエフゲン・クレーン (Eugen Krein[注釈 1])[1]エフゲン・クレイン[4]エフゲニ・クレイン[2]などの表記で知られた。作曲家グリゴリー・クレインアレクサンドル・クレインはいずれも叔父(父であるダヴィート・クレインドイツ語版ロシア語版の弟[5])。

エフゲン・クレイン
Eugen Krein
出生名 Евгений Давидович Крейн
生誕 1893年
出身地 ロシア帝国の旗 ロシア帝国 モスクワ
死没 1942年2月24日(48-49歳没)
大日本帝国の旗 大日本帝国
学歴 モスクワ音楽院
ジャンル クラシック音楽
職業 ヴァイオリニスト指揮者、音楽教師
担当楽器 ヴァイオリン
配偶者 北澤栄

経歴 編集

ヴァイオリニストで後にモスクワ音楽院ヴァイオリン教授となったダヴィート・クレインの子として、1893年モスクワで生まれる。モスクワ音楽院で学び、モスクワ音楽院、ブラゴロードヌイ倶楽部、モスクワのジミーン・オペラ劇場英語版などで指揮者を務めた[1]中華民国ハルビンで演奏活動をしたのち、1925年[1]または1926年秋に来日[3]。以後亡くなるまで日本で活動した。1930年にソプラノ歌手の北澤栄[注釈 2]と結婚[4][8]1933年5月24日に、留学する妻の栄とともにイタリアに赴いた[9]

教え子 編集

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 毛利眞人『貴志康一』では姓クレイン (Крейн) のラテン文字表記を Klein[3] としているが、これは誤りである。
  2. ^ 北澤栄(1908年 - 1956年8月31日[6])。佐藤高等女学校卒業後、神戸オリガ・カラスロヴァに師事。1930年1月15日に新交響楽団の公演にてデビュー。1933年から1934年夏までイタリアに留学した[7]

出典 編集

参考文献 編集

  • 毛利眞人『貴志康一 永遠の青年音楽家』国書刊行会、2006年。ISBN 978-4-336-04818-9 
  • 渡邊登喜雄「なごや・あらべすく」『音樂世界』 3巻、1号、音樂世界社、1931年1月 。NDLJP:1500040https://dl.ndl.go.jp/pid/1500040/1/89 
  • Nemtsov, Jascha (2003). "Krejn". In Lütteken, Laurenz (ed.). MGG Online (ドイツ語). 2024年4月9日閲覧
  • Park, Chukyung (2017). THE AVANT-COURIER OF AN AGE OF TURBULENCE AND TRAGEDY: THE LIFE AND LEGACY OF THE MUSICIAN AND FIRST KOREAN VIOLIN VIRTUOSO, BYEONGSO AHN (A.Mus.D. (doctoral) thesis) (英語). University of Illinois at Urbana-Champaign. 2024年4月10日閲覧
  • 東京音楽協会 編『音楽年鑑 昭和8年版』音楽世界社、1932年。NDLJP:1211504 
  • 東京音楽協会 編『音楽年鑑 昭和9年版』音楽世界社、1934年。NDLJP:1211515 
  • 東京音楽協会 編『音楽年鑑 昭和10年版』音楽世界社、1935年。NDLJP:1211524 
  • 東京音楽協会、音楽新聞社 編『音楽年鑑 昭和24年版』音楽之友社、1948年。NDLJP:2471907 
  • 音楽之友社、音楽新聞社 編『音楽年鑑 昭和33年版』音楽之友社、1958年。NDLJP:2471916 
  • 『音楽年鑑 昭和39年版』音楽之友社、1963年。NDLJP:2526517 
  • 『音楽年鑑 昭和42年版』音楽之友社、1966年。NDLJP:2526520 
  • 『音楽年鑑 昭和45年版』音楽之友社、1970年。NDLJP:2526523