エメリッヒ・カールマン

エメリッヒ・カールマン(Emmerich Kálmán, 1882年10月24日 - 1953年10月30日)は、ハンガリー出身のオーストリア作曲家。ハンガリー名はカールマーン・イムレ(Kálmán Imre)であるが、ドイツ風にエメリッヒ・カールマンと名乗り、世界的にこの名で有名である。日本で発売されているCDやDVD、文献などもほとんどこの表記によっている。

エメリッヒ・カールマン
Emmerich Kálmán
(Kálmán Imre)
1924年
基本情報
出生名 Imre Koppstein
生誕 1882年10月24日
オーストリア=ハンガリー帝国の旗 オーストリア=ハンガリー帝国
ハンガリー王国の旗 ハンガリー王国シオーフォク
死没 (1953-10-30) 1953年10月30日(71歳没)
フランスの旗 フランスパリ
ジャンル オペレッタ
職業 作曲家

生涯

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ハンガリーバラトン湖南部のシオーフォクにてユダヤ系の家庭に生れる。出生名はイムレ・コップシュタインImre Koppstein)。もともとは演奏会ピアニストとして立つ意向であったが、関節炎を患い、作曲に専念した(父親が破産したためとも言われる)。ブダペストフランツ・リスト音楽アカデミーにてハンス・ケスラーに師事、バルトークコダーイ・ゾルターンの同窓生となった。初期の交響詩は好評だったが、出版することはかなわなかった。しかしながらユーモラスなキャバレー・ソングの人気によって、オペレッタの作曲に進んだ。

最初の成功したオペレッタ『愉快な騎兵』(Tatárjárás、独語名は Ein Herbstmanöver )は、1908年2月22日にブダペストにおいて初演された。その後ウィーンに移り、『チャールダーシュの女王』(Die Csárdásfürstin)や『伯爵令嬢マリツァ』(Gräfin Mariza)などの作品によって世界的な名声を収めた。

カールマンはフランツ・レハールとともに、20世紀初頭における「ウィンナ・オペレッタ銀の時代」の代表的な作曲家と看做されている。カールマンは、ウィンナ・ワルツとハンガリーのチャールダーシュの融合により名声を馳せた。詞・台本こそドイツ語のものを用いたものの、両親ともドイツ系でチェコ育ちでもあるレハールに比べハンガリー色は遥かに濃い。一方、カールマンはチャイコフスキー管弦楽法を模範としているものの、ポリフォニーの構成や旋律法においては、プッチーニを理想とした。また、新時代の軽音楽としてのフォックストロットを採り入れ、ドラム・セットを用いたダンス・バンドに近い響きも試みている。

第二次世界大戦中はナチス・ドイツの弾圧を避けてアメリカ合衆国に渡り、カリフォルニア州に定住し、1942年市民権を得てアメリカに帰化した。1949年ニューヨークを発ちパリに渡り、同地で他界した。

日本では長らく知名度の低い作曲家の一人であり、LP時代の終わりごろになってようやく『チャールダーシュの女王』の全曲レコードが初発売された程度であったが、ウィーン・フォルクスオーパーの引越し公演などを契機に1980年代から人気が高まり、現在は欧米に劣らず人気を保っている。

主要作品一覧

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オペレッタ作品と、初演の年・場所

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  • 陽気な軽騎兵』(タタールヤーラーシュ) Tatárjárás - ブダペシュト - 1908
    • Ein Herbstmanöver - ウィーン - 1909 (陽気な軽騎兵のドイツ語版)
    • The Gay Hussars - ニューヨーク- 1909[1]
    • Autumn Manoeuvres - ロンドン - 1912
  • Az Obsitos - ブダペシュト -1910
    • Der gute Kamerad - ウィーン - 1911 (Az Obsitosのドイツ語版)
    • Gold gab ich für Eisen - ウィーン - 1914 (Der gute Kameradの改訂版)
  • Der Zigeunerprimás - ウィーン - 1912
    • Sari - ニューヨーク - 1914[2]
  • The Blue House - ロンドン - 1912
  • Der kleine König - ウィーン - 1912
    • Her Soldier Boy - ニューヨーク - 1916[3]
    • Soldier Boy - ロンドン - 1918
  • Zsuzsi kisasszony - ブダペシュト - 1915
    • Miss Springtime - ニューヨーク - 1916[4]
    • Die Faschingsfee - ウィーン - 1917 (Zsuzsi kisasszonyのドイツ語版)
  • チャールダーシュの女王Die Csárdásfürstin - ウィーン - 1915
    • The Riviera Girl - ニューヨーク - 1917[5]
    • The Gipsy Princess - ロンドン - 1921
  • Das Hollandweibchen - ウィーン - 1920
    • A Little Dutch Girl - ロンドン - 1920
    • The Dutch Girl - アメリカ合衆国 - 1925
  • Die Bajadere - ウィーン - 1921
    • The Yankee Princess - ニューヨーク -1922[6]
  • 伯爵令嬢マリツァGräfin Mariza - ウィーン -1924
    • Countess Maritza - ニューヨーク - 1926[7]
    • Maritza - ロンドン - 1938
  • 『サーカスの女王』 Die Zirkusprinzessin - ウィーン - 1926
    • The Circus Princess - ニューヨーク - 1927[8]
  • Golden Dawn - ニューヨーク - 1927[9]
  • シカゴ公爵夫人Die Herzogin von Chicago - ウィーン - 1928
    • The Duchess of Chicago - アメリカ合衆国 - 1929
  • Das Veilchen vom Montmartre - ウィーン - 1930
    • Paris in Spring - アメリカ合衆国 - 1930
    • A Kiss in Spring - ロンドン - 1932
  • Der Teufelsreiter - ウィーン - 1932
  • Kaiserin Josephine - チューリッヒ - 1936
  • Miss Underground - 1942作曲、未発表
  • マリンカ Marinka - ニューヨーク- 1945[10]
  • Arizona Lady - ベルン - 1954

外部リンク

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脚注

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