エリック・スポールストラ
エリック・ジョン・スポールストラ(Erik Jon Spoelstra, 1970年11月1日 - )は、アメリカ合衆国のバスケットボールコーチ。イリノイ州エバンストン出身。アメリカ男子プロバスケットボールリーグNBAのマイアミ・ヒートのヘッドコーチ。フィリピン系アメリカ人。アジア系のアメリカ人としては北米メジャープロスポーツの初めての監督であり[1][2] 、NBA優勝ヘッドコーチとしても初めてである[2]。
![]() NBAオールスターでのスポールストラ (2022年) | |||||||||||||||
マイアミ・ヒート HC | |||||||||||||||
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役職 | ヘッドコーチ | ||||||||||||||
所属リーグ | NBA | ||||||||||||||
基本情報 | |||||||||||||||
愛称 | Coach Spo | ||||||||||||||
国籍 |
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生年月日 | 1970年11月1日(54歳) | ||||||||||||||
出身地 | イリノイ州エバンストン | ||||||||||||||
身長(現役時) | 188cm (6 ft 2 in) | ||||||||||||||
体重(現役時) | 82kg (181 lb) | ||||||||||||||
キャリア情報 | |||||||||||||||
出身 | ポートランド大学 | ||||||||||||||
NBAドラフト | 1992年 / ドラフト外 | ||||||||||||||
プロ選手期間 | 1993–1995 | ||||||||||||||
ポジション | PG | ||||||||||||||
指導者期間 | 1993–現在 | ||||||||||||||
経歴 | |||||||||||||||
選手時代: | |||||||||||||||
1993–1995 | TuSハーテン | ||||||||||||||
コーチ時代: | |||||||||||||||
1993–1995 | TuSハーテン (AC) | ||||||||||||||
1997–2008 | マイアミ・ヒート (AC) | ||||||||||||||
2008– | マイアミ・ヒート | ||||||||||||||
受賞歴 | |||||||||||||||
選手
ヘッドコーチ アシスタントコーチ
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経歴
編集ニューヨーク州バッファロー、オレゴン州ポートランドで1970年代終わりを過ごした。オレゴン州ビーバートンの高校ではポイントガードを務めた。当時及び大学での背番号は、ポートランド・トレイルブレイザーズのテリー・ポーターと同じ30番であった[3]。高校の最終学年にニュージャージー州プリンストンで行われたナイキ・オールスターキャンプに参加[4]、将来のNBAスターとなるアロンゾ・モーニング、ショーン・ケンプ、ボビー・ハーレイもこのキャンプに参加していた。
地元のポートランド大学から奨学金のオファーを受けて進学、1989年、488アシストをあげてウェスト・コースト・カンファレンスの最優秀新人選手に選ばれた[3]。彼は4年間先発ポイントガードを務め、1000得点をあげ、平均9.2得点、4.4アシスト、2.4リバウンドを記録した。また、いくつかの大学記録を作った。1990年、カンファレンストーナメントでのロヨラ・メリーマウント大学戦でハンク・ギャザーズが心臓発作で倒れて亡くなった際、すぐそばにいた。1992年にコミュニケーションの学位を取得して大学を卒業した。
大学を卒業後、ドイツのヴェストファーレンにあるプロバスケットボールチームで2年間選手兼アシスタントコーチを務めた。2シーズンプレーした後、手術を行った。1995年、別のチームから2年契約のオファーをもらったが、NBAのマイアミ・ヒートからビデオコーディネーター就任のオファーを受けたため、断った[3]。
1997年から2008年までパット・ライリー、スタン・ヴァン・ガンディのもとで、マイアミ・ヒートのアシスタントコーチを務め、ライリーの指名を受けて、2008年、マイアミ・ヒートのヘッドコーチに昇格。2012年と2013年にヒートをNBAチャンピオンに導いた。
ヘッドコーチ成績
編集NBAヘッドコーチ実績表略号説明 | |||||||||
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レギュラーシーズン | G | 試合数 | W | 勝利数 | L | 敗戦数 | W–L % | レギュラーシーズン勝率 | |
ポストシーズン | PG | 試合数 | PW | 勝利数 | PL | 敗戦数 | PW–L % | プレイオフ勝率 |
チーム | シーズン | G | W | L | W–L% | シーズン結果 | PG | PW | PL | PW–L% | 最終結果 |
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MIA | 2008–09 | 82 | 43 | 39 | .524 | サウスウェスト3位 | 7 | 3 | 4 | .429 | 1回戦敗退 |
2009–10 | 82 | 47 | 35 | .573 | サウスウェスト3位 | 5 | 1 | 4 | .200 | 1回戦敗退 | |
2010–11 | 82 | 58 | 24 | .707 | サウスウェスト1位 | 21 | 14 | 7 | .667 | NBAファイナル敗退 | |
2011–12 | 66 | 46 | 20 | .697 | サウスウェスト1位 | 23 | 16 | 7 | .696 | NBAチャンピオン | |
2012–13 | 82 | 66 | 16 | .805 | サウスウェスト1位 | 23 | 16 | 7 | .696 | NBAチャンピオン | |
2013–14 | 82 | 54 | 28 | .659 | サウスウェスト1位 | 20 | 13 | 7 | .650 | NBAファイナル敗退 | |
2014–15 | 82 | 37 | 45 | .451 | サウスウェスト3位 | — | — | — | — | プレーオフ進出ならず | |
2015–16 | 82 | 48 | 34 | .585 | サウスウェスト1位 | 14 | 7 | 7 | .500 | カンファレンス準決勝敗退 | |
2016–17 | 82 | 41 | 41 | .500 | サウスウェスト3位 | — | — | — | — | プレーオフ進出ならず | |
2017–18 | 82 | 44 | 38 | .537 | サウスウェスト1位 | 5 | 1 | 4 | .200 | 1回戦敗退 | |
2018–19 | 82 | 39 | 43 | .476 | サウスウェスト3位 | — | — | — | — | プレーオフ進出ならず | |
2019–20 | 73 | 44 | 29 | .603 | サウスウェスト1位 | 21 | 14 | 7 | .667 | NBAファイナル敗退 | |
2020–21 | 72 | 40 | 32 | .556 | サウスウェスト2位 | 4 | 0 | 4 | .000 | 1回戦敗退 | |
2021–22 | 82 | 53 | 29 | .646 | サウスウェスト1位 | 18 | 11 | 7 | .611 | カンファレンス決勝敗退 | |
2022–23 | 82 | 44 | 38 | .537 | サウスウェスト1位 | 23 | 13 | 10 | .565 | NBAファイナル敗退 | |
2023–24 | 82 | 46 | 36 | .561 | サウスウェスト2位 | 5 | 1 | 4 | .200 | 1回戦敗退 | |
通算 | 1,277 | 750 | 527 | .587 | 189 | 110 | 79 | .582 |
人物
編集- 父親のジョン・スポールストラは、ポートランド・トレイルブレイザーズ、デンバー・ナゲッツ、ニュージャージー・ネッツのエクゼクティブだった[3]。
- パット・ライリーにより雇われアシスタントとして長い在任期間を有する。それだけにパット・ライリーの戦術・戦略・チーム運営を最も良く理解するスタッフの一人である。
- フィリピンに縁があることもあり、オフシーズンは毎年フィリピンを訪れ、マニラなどでバスケットボールクリニックを開催している。
脚注
編集- ^ Arnovitz, Kevin (2012年2月13日). “Erik Spoelstra Impressed By Jeremy Lin”. ESPN 2013年6月27日閲覧。
- ^ a b Medina, Andrei (2012年6月22日). “Fil-Am Coach Erik Spoelstra Steers Heat to Historic NBA Win”. GMA News. 2013年6月27日閲覧。
- ^ a b c d Jeffrey Martin (2013年5月15日). “Long before Miami, Spoelstra's work ethic known”. USAトゥデイ. 2015年7月5日閲覧。
- ^ “The mystery guest has arrived”. ESPN (2011年6月25日). 2015年7月5日閲覧。
外部リンク
編集- HC通算成績と情報 NBA Head Coaches、Basketball-Reference、Eurobasket