エリック・スポールストラ
エリック・ジョン・スポールストラ(Erik Jon Spoelstra, 1970年11月1日 - )は、アメリカ合衆国のバスケットボールコーチ。イリノイ州エバンストン出身。アメリカ男子プロバスケットボールリーグNBAのマイアミ・ヒートのヘッドコーチ。フィリピン系アメリカ人。アジア系のアメリカ人としては北米メジャープロスポーツの初めての監督であり[1][2] 、NBA優勝ヘッドコーチとしても初めてである[2]。
マイアミ・ヒート HC | |
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役職 | ヘッドコーチ |
基本情報 | |
愛称 | Coach Spo |
国籍 | アメリカ合衆国 |
生年月日 | 1970年11月1日(54歳) |
出身地 | イリノイ州エバンストン |
キャリア情報 | |
出身 | ポートランド大学 |
指導者経歴 | |
1997-2008 2008- |
マイアミ・ヒート(アシスタント) マイアミ・ヒート |
受賞歴 | |
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経歴
編集ニューヨーク州バッファロー、オレゴン州ポートランドで1970年代終わりを過ごした。オレゴン州ビーバートンの高校ではポイントガードを務めた。当時及び大学での背番号は、ポートランド・トレイルブレイザーズのテリー・ポーターと同じ30番であった[3]。高校の最終学年にニュージャージー州プリンストンで行われたナイキ・オールスターキャンプに参加[4]、将来のNBAスターとなるアロンゾ・モーニング、ショーン・ケンプ、ボビー・ハーレイもこのキャンプに参加していた。
地元のポートランド大学から奨学金のオファーを受けて進学、1989年、488アシストをあげてウェスト・コースト・カンファレンスの最優秀新人選手に選ばれた[3]。彼は4年間先発ポイントガードを務め、1000得点をあげ、平均9.2得点、4.4アシスト、2.4リバウンドを記録した。また、いくつかの大学記録を作った。1990年、カンファレンストーナメントでのロヨラ・メリーマウント大学戦でハンク・ギャザーズが心臓発作で倒れて亡くなった際、すぐそばにいた。1992年にコミュニケーションの学位を取得して大学を卒業した。
大学を卒業後、ドイツのヴェストファーレンにあるプロバスケットボールチームで2年間選手兼アシスタントコーチを務めた。2シーズンプレーした後、手術を行った。1995年、別のチームから2年契約のオファーをもらったが、NBAのマイアミ・ヒートからビデオコーディネーター就任のオファーを受けたため、断った[3]。
1997年から2008年までパット・ライリー、スタン・ヴァン・ガンディのもとで、マイアミ・ヒートのアシスタントコーチを務め、ライリーの指名を受けて、2008年、マイアミ・ヒートのヘッドコーチに昇格。2012年と2013年にヒートをNBAチャンピオンに導いた。
人物
編集- 父親のジョン・スポールストラは、ポートランド・トレイルブレイザーズ、デンバー・ナゲッツ、ニュージャージー・ネッツのエクゼクティブだった[3]。
- パット・ライリーにより雇われアシスタントとして長い在任期間を有する。それだけにパット・ライリーの戦術・戦略・チーム運営を最も良く理解するスタッフの一人である。
- フィリピンに縁があることもあり、オフシーズンは毎年フィリピンを訪れ、マニラなどでバスケットボールクリニックを開催している。
脚注
編集- ^ Arnovitz, Kevin (February 13, 2012). “Erik Spoelstra Impressed By Jeremy Lin”. ESPN June 27, 2013閲覧。
- ^ a b Medina, Andrei (June 22, 2012). “Fil-Am Coach Erik Spoelstra Steers Heat to Historic NBA Win”. GMA News. June 27, 2013閲覧。
- ^ a b c d Jeffrey Martin (2013年5月15日). “Long before Miami, Spoelstra's work ethic known”. USAトゥデイ. 2015年7月5日閲覧。
- ^ “The mystery guest has arrived”. ESPN (2011年6月25日). 2015年7月5日閲覧。
外部リンク
編集- HC通算成績と情報 NBA Head Coaches、Basketball-Reference、Eurobasket