エリナー・オブ・プロヴァンス
プランタジネット朝イングランド王ヘンリー3世の王妃
エリナー・オブ・プロヴァンス(Eleanor of Provence, 1223年 - 1291年6月24日)は、プランタジネット朝のイングランド王ヘンリー3世の王妃。
エリナー・オブ・プロヴァンス Eleanor of Provence | |
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イングランド王妃 | |
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在位 | 1236年1月14日 - 1272年11月16日 |
出生 |
1223年 プロヴァンス伯領、エクス=アン=プロヴァンス |
死去 |
1291年6月24日 イングランド王国、アムズベリー |
埋葬 | イングランド王国、アムズベリー修道院 |
結婚 | 1236年1月14日 |
配偶者 | イングランド王ヘンリー3世 |
子女 | 一覧参照 |
父親 | レーモン・ベランジェ4世 |
母親 | ベアトリーチェ・ディ・サヴォイア |
生涯
編集南フランスのエクス=アン=プロヴァンス出身。フランス語ではエレオノール・ド・プロヴァンス(Éléonore de Provence)と呼ばれる。プロヴァンス伯レーモン・ベランジェ4世(アラゴン王アルフォンソ2世の孫)の娘で、姉にフランス王ルイ9世の王妃マルグリット、妹にヘンリー3世の弟コーンウォール伯リチャードの妃サンチア、ルイ9世の弟シチリア王カルロ1世(シャルル・ダンジュー)の妃ベアトリスがいる。サヴォイア伯アメデーオ4世の姪に当たる。
1236年1月14日、ヘンリー王と結婚した。彼女の輿入れには母方の伯父4人が同行して、イングランド宮廷に居座った。そのうちピーター(のちのサヴォイア伯ピエトロ2世)はリッチモンド伯に叙され、ボニファス(ボニファチオ)はカンタベリー大司教に登用された。ヘンリー3世のポワトゥー贔屓(王太后イザベラ・オブ・アングレームの縁による)に揺れる宮廷に、王妃は無分別にもサヴォイア贔屓を行い、イングランド人を相手にせず、いたずらに不評を招く結果となった。
子女
編集王との間に育ったのは2男2女である。
- 長男:エドワード(1239年 - 1307年) - 次代の王エドワード1世。
- 長女:マーガレット(1240年 - 1275年) - スコットランド王アレグザンダー3世の王妃。
- 次女:ベアトリス(1242年 - 1275年) - ブルターニュ公ジャン2世の妃。
- 次男:エドマンド(エドマンド・クラウチバック、1245年 - 1296年) - ランカスター伯となり、シモン・ド・モンフォール敗死後、レスター伯、ダービー伯、シャンパーニュ伯の称号を得た。エドマンドの曾孫ブランシェはジョン・オブ・ゴーントの最初の妻である。