エーバーハルト・フォン・ダンケルマン

エーバーハルト・フォン・ダンケルマンドイツ語: Eberhard Christoph Balthasar Freiherr von Danckelman1643年11月23日 - 1722年3月31日)は17世紀から18世紀にかけてのブランデンブルク=プロイセンの貴族、政治家。

1690年頃画

生涯

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市民層出身で、柔軟な思考を持った[1]ブランデンブルク選帝侯フリードリヒ・ヴィルヘルムに仕え、その後継者であるフリードリヒの教育にもあたった。

ハプスブルク家ブルボン家が争ったスペイン継承戦争に際し、オーストリアのハプスブルク家側に与し、「8000人の兵士の血」と引き換えに、プロイセンの王国への昇格を、神聖ローマ皇帝レオポルト1世に認めさせることに貢献した[1]

参考文献

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  • 小川, 悟「[虫ぼし抄]プロイセン芸術アカデミーおぼえがき」『図書館フォーラム』第5巻、関西大学、2000年、18-20頁、CRID 1050569159995787904NCID AN10554163  

脚注

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注釈

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出典

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  1. ^ a b 小川 (2000), p. 19.

関連項目

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外部リンク

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