関西大学

大阪府吹田市にある私立大学

関西大学(かんさいだいがく、英語: Kansai University)は、大阪府吹田市山手町三丁目3番35号に本部を置く日本私立大学1886年創立、1922年大学設置。略称は関大(かんだい)。

関西大学
千里山キャンパス
地図
大学設置 1922年
創立 1886年
学校種別 私立
設置者 学校法人関西大学
本部所在地 大阪府吹田市山手町三丁目3番35号
北緯34度46分13.2秒 東経135度30分29.5秒 / 北緯34.770333度 東経135.508194度 / 34.770333; 135.508194座標: 北緯34度46分13.2秒 東経135度30分29.5秒 / 北緯34.770333度 東経135.508194度 / 34.770333; 135.508194
キャンパス 千里山(大阪府吹田市)
高槻(大阪府高槻市
高槻ミューズ(大阪府高槻市)
堺(堺市堺区
吹田みらい(大阪府吹田市)
梅田(大阪市北区
学部 法学部
文学部
経済学部
商学部
社会学部
政策創造学部
外国語学部
人間健康学部
総合情報学部
社会安全学部
システム理工学部
環境都市工学部
化学生命工学部
ビジネスデータサイエンス学部(仮称・2025年4月新設予定)
研究科 法学研究科
文学研究科
経済学研究科
商学研究科
社会学研究科
総合情報学研究科
理工学研究科
外国語教育学研究科
心理学研究科
社会安全研究科
東アジア文化研究科
ガバナンス研究科
人間健康研究科
法科大学院
会計専門職大学院
臨床心理専門職大学院
ウェブサイト 関西大学
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概要

大学全体

関西大学は、江戸時代後期の1825年文政8年)、四国高松出身の儒学者、藤沢東畡(1794-1864)によって大坂城下に開かれた漢学塾「泊園書院」を源流とし、1886年に関西初の法律学校として大阪府大阪市西区京町堀願宗寺に開かれた関西法律学校を起源に持つ大学である[1]

関西法律学校は、当時、司法省の顧問を務めていたギュスターヴ・エミール・ボアソナードに学んだ井上操小倉久鶴見守義、野村鉁吉、手塚太郎(漫画家手塚治虫の祖父)ら大阪在勤の裁判官や検事、また彼らの上司である児島惟謙(名誉校員)[2]、旧判事で、実業家となり後に大阪商工会議所の第7代会頭を務める土居通夫、元官吏の有田徳一、自由民権運動家である吉田一士らにより設立された。

また、大正期に山岡順太郎をはじめとする関西経済界からの強力な支援を受けて学校組織の大幅な変更が行われ、1922年(大正11年)には日本の私立大学では立命館大学と共に古い段階の大学令に基づき、2学部(法・商)を擁する大学(旧制大学)の一つとして新発足し、大学予科を付設した。

現在、13学部、大学院16研究科を設置している。近年、専門職大学院の充実を図っており、法科大学院・会計専門職大学院・臨床心理専門職大学院を設置している。

理念

関西大学の建学の精神は、第二次世界大戦直後に学長を務めた岩崎卯一(法学部教授)が、1947年昭和22年)に提唱した、「正義権力よりの守護」を基底とする「正義を権力より護れ」となっている[3]。これは、関西法律学校の創立に重要な役割を果たした児島惟謙・大阪控訴院長が後に大審院の院長となり大津事件の裁判を担当した際に、時の内閣(第1次松方内閣)から被告人を極刑に処するよう強い圧力がかかったにもかかわらず、それに屈することなく司法権の独立を護ったことに由来している[4]

また、大正期に、第11代学長山岡順太郎の掲げた、「学の実化(じつげ)」(学理と実際との調和、国際的精神の涵養、外国語学習の必要、体育の奨励)を学是として定めて[1]、教育研究活動を展開している。

今日の関西大学では、「学の実化」を、大学が研学の府として学問における真理追究だけに終わるのではなく、社会のあるべき姿を提案し、その必要とするものを提供することによって「学理と実際との調和」を求める考え方であると規定し、この「学の実化」を実現するために、不確実性の高まる社会の中で困難を克服し未来を切り拓こうとする強い意志と、多様性を尊重し新たな価値を創造することができる力とを有する人材を育成することを教育活動の目的としている[6]

沿革

年表

 
願宗寺仮校舎(1936年撮影)
 
関西法律学校第3回卒業記念写真(1891年、興正寺書院玄関前。前列左から有田徳一、2人はさんで井上操水上長次郎砂川雄峻鶴見守義手塚太郎
 
河内町興正寺の角櫓
 
江戸堀学舎
 
福島学舎図書館(1914年7月)
  • 1906年(明治39年)
    • 6月 - 江戸堀学舎を売却。
    • 8月 - 天王寺公園内の美術館跡[7] を仮校舎とする。
    • 9月 - 大学科、専門科に商業学科を増設。
    • 10月 - 学友会発足。
    • 12月 - 北区上福島に移転。
  • 1907年(明治40年)8月 - 学則改正によって大学部(法律科・経済科・商学科)と専門部に分かつ。大学部のなかに大学科と予科ができる[8]
  • 1911年(明治44年)8月 - 専門部に高等商業予科を新設し、従来の商業学科も高等商業学科と改称。
  • 1912年(明治45年/大正元年)11月 - 福島学舎の増築落成式を挙行。
  • 1913年(大正2年)4月 - 関西甲種商業学校(関西大学第一中学校・高等学校の前身)が開校。
 
経済学者宮島綱男(中列右から2人目)服部嘉香とともに関大に早稲田学風を移植した[9]
 
千里山学舎正門(1923年)
 
専門部向上運動(1924年)
 
クラブハウス
 
千里山図書館
 
千里山学舎大学本館(1927年)
 
天六学舎(1929年)
  • 1914年(大正3年)
    • 7月 - 図書館竣工。
    • 10月 - 母校改革運動起こる。
  • 1915年(大正4年)12月 - 初の留学生2名をアメリカに派遣。
  • 1917年(大正6年)4月 - 専門部を専門部・専門部予科に分つ。専門部予科に法律・経済・高等商業の各予科を設置[8]
  • 1918年(大正7年)4月 - 予科の修業年限を2年に延長する。
  • 1920年(大正9年)3月 - 財団法人に改組し、関西大学と改称。
  • 1921年(大正10年)
  • 1922年(大正11年)
  • 1923年(大正12年)10月 - 日曜自由講座を新設。女子聴講生の入学許可(北村兼子)。
  • 1924年(大正13年)
    • 4月 - 専門部に文学科、商学部に経済学科を設置。関西大学第二商業学校開校。
    • 5月 - 専門部が高等学校大学予科と同等以上と指定される[11]
    • 6月 - 学位規程を制定。
    • 8月 - 商学部を経済学部に改称。
  • 1926年(大正15年/昭和元年)
    • 6月 - 専門部予科を廃止する。
    • 8月 - 千里山運動場およびクラブハウス竣工(のち以文館)。
  • 1927年(昭和2年)
  • 1928年(昭和3年)
    • 4月 - 法学部に文学科(哲学と英文学の2専攻科)を増設し、法文学部となる。千里山図書館開館。
    • 6月 - 専門部文学科、国漢文専攻科と英文専攻科に分離。
  • 1929年(昭和4年)
  • 1930年(昭和5年)4月 - 専門部第一部(昼間部)を設置。
  • 1931年(昭和6年)9月 - 関西六校野球連盟結成[12]
  • 1932年(昭和7年)2月 - 大礼記念館(威徳館)竣工。
  • 1933年(昭和8年)4月 - 予科を2年制と3年制の2部制とする。
  • 1934年(昭和9年)12月 - 失火により予科校舎焼失。
  • 1935年(昭和10年)4月 - 大学本部(天六)竣工。経済学部を経商学部と改称。
  • 1936年(昭和11年)
    • 3月 - 予科新校舎(千里山)落成。旧福島学舎を売却。
    • 5月 - 創立五十周年式典を挙行。
    • 大学令によって義務づけられた供託金納付(60万円)完了[13]
 
関西大学予科生の教練を視察する東久邇宮稔彦王(1935年11月)
 
岩崎卯一
 
千里山学舎旧正門(1955年)
 
旧第三学舎
(現・第二学舎二号館)
 
千里山学舎全景(1956年)
 
名神高速道路のルートと工法を巡って関大と日本道路公団は激しく対立した。
 
関西大学会館
 
高松塚古墳
 
総合図書館
 
第二学舎二号館
 
100周年記念会館
 
新関西大学会館
  • 1937年(昭和12年)3月 - 天六学舎旧館を増築。
  • 1941年(昭和16年)8月 - 文部省の指示により、学部、予科、専門部第一部・二部それぞれに報国団を結成。
  • 1943年(昭和18年)
  • 1944年(昭和19年)
    • 3月 - 関西大学第二商業学校廃止。教職員を大幅に整理する。
    • 4月 - 専門部商業学科を経営科と改称。関西工業専門学校工学部の前身)が開校。関西大学人文科学研究所を開設。
  • 1945年(昭和20年)
    • 1月 - 法文学部と経商学部がそれぞれ法学部と経済学部になる(戦局悪化による学科廃止のため)。
    • 9月 - 終戦により授業再開。
  • 1946年(昭和21年)4月 - 学長公選。専門部経営科を商業学科と改称。法学部に女子学生が入学。
  • 1947年(昭和22年)
    • 4月 - 法学部が法文学部に復旧。
    • 7月 - 関西私立四大学学長懇談会を結成[15]
    • 12月 - 人文科学研究所を文化科学研究所と改める。
  • 1948年(昭和23年)4月 - 新制大学に移行(理事長・宮島綱男、学長・岩崎卯一)。法学部・文学部・商学部・経済学部の4学部(一部・二部)を設置。
  • 1949年(昭和24年)
    • 3月 - 旧制予科と関甲廃止。
    • 4月 - 文学部に新聞・史学・独文・仏文の4学科を設置。
    • 11月 - 千里山体育館竣工。
  • 1950年(昭和25年)4月 - 新制大学院開設。関西大学短期大学部を設置(募集は1955年まで)。
  • 1951年(昭和26年)
  • 1952年(昭和27年)4月 - 大学院ホールおよび研究室、第1学舎竣工。
  • 1953年(昭和28年)
    • 4月 - 学部第二部を天六学舎に移転。
    • 11月 - 威徳館を千里寺に譲渡。
  • 1954年(昭和29年) - 大学本館(千里山)解体。
  • 1955年(昭和30年)11月 - 第一学舎(千里山)落成式を挙行。
  • 1956年(昭和31年)
  • 1957年(昭和32年)10月 - 第三学舎(千里山)竣工。
  • 1958年(昭和33年)
    • 4月 - 工学部を設置(天六学舎)。経済・政治研究所を開設。
    • 10月 - 名神高速道路の千里山通過反対運動起こる(~1962年)[17]
  • 1959年(昭和34年)3月 - 短期大学部廃止。
  • 1960年(昭和35年)
    • 3月 - 旧制関西大学廃止。
    • 4月 - 工学部管理工学科を設置。
    • 9月 - 工学部を千里山学舎に移転。
  • 1961年(昭和36年)11月 - 第1回千里祭を開催。
  • 1962年(昭和37年)3月 - 誠之館竣工。
  • 1963年(昭和38年)4月 - 工学部に機械工学第二学科、応用化学科を増設。
  • 1964年(昭和39年)
    • 3月 - 工業技術研究所を開設。
    • 9月 - 専門図書館(千里山)開館。
  • 1965年(昭和40年)
    • 10月 - 関西大学会館竣工、法人本部機構と校友会本部が天六から千里山に移転。
    • 11月 - 創立者の群像レリーフ、児島惟謙胸像、山岡順太郎胸像除幕式(千里山)。
  • 1966年(昭和41年)2月 - 経済学部・商学部研究棟竣工[8]
  • 1967年(昭和42年)4月 - 社会学部を設置(天六)。文学部東洋文学科を中国文学科と改称、教育学科を設置。工学部に電子工・土木工・建築の3学科を設置。視聴覚教室を開設。ラジオ講座「今晩はみなさん」を開講(ラジオ関西、1981年まで)。
  • 1968年(昭和43年)
    • 4月 - 社会学部が千里山に移転。
    • 5月 - 千里山の学舎名変更(法・文学部=第一学舎、経済・商学部=第二学舎、社会学部=第三学舎、工学部=第四学舎。各学部で枝番号を付与する)。関西大学経済・政治研究所の設置。
  • 1969年(昭和44年)
    • 6月 - 大学会館封鎖に始まる学園紛争拡大[18]
    • 10月 - 機動隊の警戒下で授業再開。
  • 1970年(昭和45年)10月 - 第3グラウンド開設。
  • 1971年(昭和46年)3月 - 電子計算機室開設。
  • 1972年(昭和47年)
    • 3月 - 考古学研究室の高松塚古墳発掘調査で極彩色の壁画を発見。
    • 9月 - 吹田市民大学教養講座を開催。
  • 1974年(昭和49年)
    • 3月 - 大学院学舎(岩崎記念館)竣工。
    • 4月 - 部落問題研究室を開設。
  • 1975年(昭和50年)4月 - 飛鳥文化研究所・植田記念館を開設。
  • 1976年(昭和51年)4月 - 一般教育等研究センターを開設。
  • 1978年(昭和53年)
    • 2月 - 文学部新聞学科を廃止。
    • 4月 - 文学部史学科を史学・地理学科に改組。
    • 11月 - 第1回総合関関戦を開催。
  • 1981年(昭和56年)5月 - 大学院ホール内に国際交流室を設置。
  • 1982年(昭和57年)4月 - 情報処理センターを開設(電子計算機室を改組改称)。第4グラウンド開設。
  • 1983年(昭和58年)2月 - 自動車・バイクでの通学禁止。
  • 1985年(昭和60年)
    • 4月 - 総合図書館および情報処理センターの開館式を挙行。
    • 6月 - 部落問題研究室を人権問題研究室に改組。
  • 1986年(昭和61年)
    • 4月 - 教職課程研究センターを開設。
    • 11月 - 創立100周年記念式典を挙行。
  • 1987年(昭和62年)4月 - 法学研究所を開設[19]
  • 1989年(昭和64年/平成元年)
    • 10月 - 国際交流センターを開設。
    • 11月 - 100周年記念会館竣工。
  • 1990年(平成2年)4月 - 工学部に生物工学科を増設、金属工学科を材料工学科と改称。
  • 1991年(平成3年)4月 - 工学部機械工学第二学科を機械システム工学科と改称。
  • 1994年(平成6年)
  • 1995年(平成7年)4月 - 高槻キャンパスにスチューデントハウスとリサーチハウスを開設。
  • 1996年(平成8年)10月 - 新関西大学会館竣工。
  • 1997年(平成9年)
    • 4月 - エクステンションリードセンターを開設。
    • 6月 - 白馬栂池高原ロッジ竣工。
  • 1999年(平成11年)6月 - サテライトステーションを開設。
  • 2000年(平成12年)
    • 4月 - 外国語教育研究機構を設置。
    • 7月 - 尚文館(大学院校舎)竣工。
  • 2001年(平成13年)
    • 4月 - 副学長制・学長補佐制を導入。
    • 9月 - 新凱風館竣工。
  • 2002年(平成14年)4月 - 先端科学技術推進機構、ソシオネットワーク戦略研究センターを開設。外国語教育学研究科(博士前期課程・後期課程)を開設。
 
以文館(千里山キャンパス)
 
高槻ミューズキャンパス
 
梅田キャンパス
  • 2003年(平成15年)
    • 4月 - 工学部材料工学科を先端マテリアル工学科、土木工学科を都市環境工学科と改称。第二部を廃止し、フレックス(昼夜開講制)を導入。
    • 7月 - 東京センターを開設。
    • 11月 - 以文館竣工。
  • 2004年(平成16年)
  • 2006年(平成18年)
    • 3月 - 凛風館を開館。
    • 4月 - 会計専門職大学院を設置。社会学部産業社会学専攻を心理学専攻に改称。
    • 7月 - アイスアリーナ開設。
    • 文学部で昼夜開講制を廃止。
  • 2007年(平成19年) - 法学部・経済学部・商学部で昼夜開講制を導入。政策創造学部を新設。工学部をシステム理工学部・環境都市工学部・化学生命工学部へ再編。東京センターを東京駅八重洲口のサピアタワー内へ規模を拡充の上で移転。
  • 2008年(平成20年) - 法学部の法律学科と政治学科を統合し、新たに「法学政治学科」を設置。大学院心理学研究科を設置。早稲田大学と学術交流協定締結。大阪市立大学大阪府立大学と包括連携協定締結。
  • 2009年(平成21年)
  • 2010年(平成22年)
    • 4月 - 「堺キャンパス」を開設し、人間健康学部を新設。「高槻ミューズキャンパス」を開設し、社会安全学部および大学院社会安全研究科を設置。
    • 12月 - 関西大学福島学舎記念碑を建立。
  • 2011年(平成23年) - 大学院東アジア文化研究科、ガバナンス研究科を設置。
  • 2012年(平成24年) - 留学生別科(日本語・日本文化教育プログラム進学コース)を開設。南千里国際プラザを開設(留学生宿舎と留学生別科用教育施設)[20]
  • 2014年(平成26年)9月 - 天六キャンパスを売却。
  • 2016年(平成28年)
    • 8月 - 千里山キャンパスに、関大前駅北口前と第3学舎間を結ぶエスカレーターを備えた「西門」が完成。
    • 10月 - 大阪市北区鶴野町に「梅田キャンパス」を開設[21]
  • 2018年(平成30年)3月 - 東体育館竣工。
  • 2022年(令和4年)6月 - 大学昇格100年記念式典を開催[22]。千里山キャンパスが開設100周年を迎える[23]
  • 2023年(令和5年)10月 - 「吹田みらいキャンパス」を開設[24]

基礎データ

所在地

 
総合学生会館 凜風館
 
イノベーション創成センター

象徴

スクールカラーは  紫紺である[25]

校章

風雨に晒されながらも力強く生い茂っていく淀川の葉をイメージしている[26]

ロゴマーク

校章を「SIGILLUM・UNIVERSITATIS・KANSAIENSIS・MDCCCLXXXVI」(印章・関西大学・1886年〈ラテン語〉)で囲んでいる。

1886年は同学の創立年である。第17代学長を務めた岩崎卯一が1915年(大正4年)に第1回海外留学生としてコロンビア大学に留学しているが、校章をラテン語で囲むのはアイビー・リーグの印章に因んだデザインとされ、当時の留学団が使用した印章のデザインである。

KUマーク

関西大学は2009年度から2013年度までコミュニケーション・マーク「Global 'KU'」とタグライン「THINK × ACT」(スィンク・バイ・アクト)を使用していた。コミュニケーションマークは、"Kansai University" の「K」と「U」の2文字を重ねて地球の形にデザインし、色はスクールカラーである紫紺を用いていた。2014年(平成26年)度にロゴマークが導入されたことにより大学では使用中止となったが、コミュニケーションマークについては関西大学初等部・中等部・高等部のマークとして、引き続き使用されることになった。

学歌・応援歌

学歌
 
服部嘉香
関西大学では大学歌のことを「校歌」と呼ばずに「学歌」と呼ぶ。
「自然の秀麗 人の親和…」で始まる学歌は、1922年(大正11年)9月に関西大学が大学令による大学に昇格した後に制定された。
大正初期から「遥に高き生駒山…」で始まる校歌(池辺義象作詞、弘田龍太郎作曲)はあったが[27]、時の総理事山岡順太郎が提唱する「学の実化」を受けて、新時代の学歌が待望されていた。
学歌は、同学教授であった服部嘉香が作詞し、服部の知人で作曲界の異才山田耕筰が作曲した。作詞に際して服部は山岡邸で総理事山岡および専務理事宮島綱男と3度にわたって協議を重ねた。校歌を学歌と呼ぶように注文をつけたのは山岡である[28]
山田耕筰は服部の歌詞を一読して「法学博士が二、三人寄って作り上げたような歌だな」との感想をもらしたが、内容的に硬い歌詞を作曲によってうまく補った[29]
その後、山田は歌唱上の制約から第3節の「自由の訓練 自治の発揮」を「自由の尊重 自治の訓練」と、第2節の「実化」を「じつげ」と歌うように指導し、それ以来、今日に至るまでその歌詞で歌われている。
応援歌
応援歌に「応援歌」「王者関大」「関大マグマ」などがある。いずれも関西大学応援団の団員たちが制作した歌、あるいは一般公募の中から選ばれた歌で[30]総合関関戦や大学祭の後夜祭などで学生たちによって歌われる。
なお、関大マグマは『マグマ大使』の主題歌の替え歌である。
その他
他にも「学生歌」「関西大学讃歌」「逍遥歌」などがある。

マスコットキャラクター

フクロウギリシア神話ローマ神話で学問・技芸・知恵を司る女神の使者、知の象徴とされている鳥。若者たちに学生生活の中で自分を見つめ直し、物事を自らの目と耳で感じ取り、創造力を育んでほしいという願いを大きな目と耳(羽角)を持つこの鳥に喩えた[31]

組織構成

附属機関

学生生活

学園祭

学園祭は「関西大学統一学園祭」と称し(略称は「学祭」)、例年11月上旬の4日間に渡り開催される。研究発表やミスター&ミスキャンパスコンテスト、学外から著名人を招聘しての講演会やコンサートなど、様々な企画が催されている。また、サークルや学科などの有志学生は、模擬店での軽食の販売やパフォーマンスの披露を行う。大学当局は学生の主催であり大学の公式行事ではないという立場を取っている。2018年(平成30年)の統一学園祭には約10万人が来場した[43]


学食はかつたまやトルティーヤがうまいで有名。

学術研究会

学術研究会
学術研究会名
該当学部・専修
法学会
法学部、政策創造学部
文学会
文学部
映像文化学会
文学部映像文化専修
英文学会
文学部英語英文学専修
国文学会
文学部国語国文学専修
独文学会
文学部ドイツ語ドイツ文学専修
フランス語フランス文学会
文学部フランス語フランス文学専修
哲学会
文学部哲学・倫理学専修、比較宗教学専修、芸術学美術史専修
史学・地理学会
文学部歴史学専修、地理学・地域環境学専修
中国文学会
文学部中国語・中国学専修
教育学会
文学部教育学専修
文学部心理学会
文学部心理学専修
経済学会
経済学部
商学会
商学部
外国語教育学会
大学院外国語教育学研究科
理工学会
環境都市工学部、化学生命工学部、システム理工学部、工学部

学部によっては学生と教員により組織される学術研究会がある。各々活動内容は異なるが、会報や学術誌の発行、過去問の配布などが主である。

法学会や経済学会では懸賞論文を募集しており、優秀とされる者については賞状と賞金を与えられ、うち法学会では、半世紀以上にわたって懸賞論文が行われており、会誌「関西大学法学会誌」において入賞者の氏名・論文名が掲載される。また、優秀賞受賞者については、その全文が掲載され、「法学会誌」が大学紀要としての性質を有していることから、受賞者のデータは国立国会図書館のデータベースに記録される。

受賞者からは、法曹・法学研究者を輩出し、主な受賞者として、大阪高等検察庁検事長中尾巧大阪府公安委員会委員長の栗原宏武(元大阪家庭裁判所所長・関西大学法科大学院名誉教授)らがいる。

スポーツ

同学の応援歌の歌詞にも登場する「カイザー」(KAISER:ドイツ語で「皇帝」の意味)という愛称が、体育会のチーム名や体育会全体の統一名称として用いられている[44]

関関戦

 
関関戦における関西大学野球部と関大応援団(1956年)

関西学院大学との対抗戦は、旧制大学時代から続いており[49]、端艇部(ボート部)、陸上競技部、野球部、サッカー部など様々な運動部で開催されている[50]。両大学では関西大学の「関」と関西学院大学の「関」を取って、関関戦と呼ぶ。また、単に相手校の名を冠して関学戦と呼ぶこともある。1978年(昭和53年)からは総合関関戦も開催されている[51]

その他の対抗戦

  • 関大・法大対抗戦 - 法政大学との対抗戦。1924年(大正13年)から1939年(昭和14年)に中断されるまで、15回にわたって行われた[52]
  • 京関・早慶対抗戦 - 1937年(昭和12年)から1951年(昭和26年)まで行われた京都大学と関西大学の連合軍と、早稲田大学慶應義塾大学の連合軍との東西対抗戦[53]

大学関係者

大学関係者一覧

同窓会組織

関西大学の同窓会・親睦会組織は「関西大学校友会」と称し、関西大学卒業生で構成される。1897年(明治30年)に発足し、1911年(明治44年)に最初の支部となる東京支部が開設されて以降、支部開設が相次ぎ、1941年(昭和16年)の時点で国内26か所、国外11か所(大連台湾朝鮮奉天新京上海等)にまで拡大した[54]。戦後はニューヨークパリサンパウロ等でも発足し[55]、現在では都道府県別や市区町村別の地域支部、海外支部、企業別、業種別の職域会、ゼミOB会など、様々な団体組織が存在する(現在、250団体、会員数約40万人)。

機関誌『關大』

校友会が発行する大学機関誌

1955年(昭和30年)5月に一般紙と同じ新聞形式の月刊紙として創刊以来、1998年(平成10年)3月までは年11回、以降は年6回、更に2004年(平成16年)からはA4判オールカラーの冊子形式に体裁変更し、2015年(平成27年)5月に創刊60周年を迎えた[56]

施設

現在のキャンパス

千里山キャンパス

 
千里山キャンパス

大阪府吹田市山手町に位置し、同一キャンパス内に10学部・大学院11研究科・3専門職大学院が立地している[57]北大阪電気鉄道(現在の阪急電鉄千里線)の開業に合わせ[58]阪神間モダニズムの影響を受けて日本初となる田園都市として、千里山駅の西側一帯で計画的に開発された高級住宅地の千里山住宅地に1922年(大正11年)竣工された[59]太平洋戦争時には帝国陸軍に千里山キャンパスが接収され、軍部の諸施設に転用されたため、学舎はアメリカ海軍艦載機による機銃掃射で損傷を受けた。戦後は、1950年(昭和25年)に千里山遊園跡地を買い受けた他、学舎の多くが建築家村野藤吾により設計され、そのうち簡文館 が2007年(平成19年)7月に登録有形文化財に登録された[60]。キャンパスの南部には名神高速道路が横断しており、その北側にキャンパスの大部分が集中している。

 
以文館(1927年)
  • 使用学部:法学部、文学部、外国語学部、経済学部、商学部、社会学部、政策創造学部、システム理工学部、環境都市工学部、化学生命工学部
  • 使用研究科:法学研究科、文学研究科、経済学研究科、商学研究科、社会学研究科、外国語教育学研究科、理工学研究科、心理学研究科、東アジア文化研究科、ガバナンス研究科、法科大学院(法務研究科)、会計専門職大学院(会計研究科)、臨床心理専門職大学院(心理学研究科心理臨床学専攻)
  • 使用附属施設:エクステンション・リードセンター、関西大学総合図書館[61]関西大学博物館スターバックス[62] 、ファミリーマートなど。
  • 敷地面積:316,968.66㎡
  • 所在地:大阪府吹田市千里山東3丁目10
 
阪急電鉄関大前駅
  • 交通アクセス:

阪急千里線関大前駅下車、駅北口から正門まで徒歩約5分、西門(第3学舎にエスカレーターを経て至近)まですぐ。駅南口から南門まですぐ。

阪急千里線千里山駅下車、駅から北門(第1学舎に至近)まで徒歩約9分。

以文館

1927年(昭和2年)、住友財閥より住友合資会社(大阪府東区北浜)の本社社屋の建物を受贈、移築して大学本館とした[59]。この建物は、現在の三井住友銀行大阪本店ビル(旧 住友ビルディング)南側の敷地にあったもので、建物の寄贈については山岡順太郎総理事や喜多村桂一郎理事の尽力が大きかった[63]。1954年(昭和29年)、老朽化のため解体されたが、2003年(平成15年)に法科大学院の学舎として建築された以文館は、この大学本館をモチーフに建築され、象徴であった八角形ドームのデザインが取り入れられている。(詳細は、「関西大学大学院法務研究科」を参照)

威徳館
 
威徳館(1932年)

1928年(昭和3年)、京都昭和天皇即位の礼が行われ、京都御苑内に白木造りの饗宴場が造営された[64]。即位大礼後に建物はすみやかに解体され、観心寺(大阪府河内長野市)、橿原神宮奈良県 橿原市)と共に関西大学へ下賜され、1932年(昭和7年)2月、大学本館の北側に講堂兼武道場の「威徳館」として竣工した。学生1千人を収容でき、入学式や卒業式などのほか柔剣道の演舞場、さらに戦後は大教室としても使われたが、1953年(昭和28年)末に新学舎建設のため解体された。現在、この場所には第1学舎(法文学舎)が建っている。威徳館の建物は再度移築され、近隣の千里寺の本堂として現存している[65]

高槻キャンパス

 
高槻キャンパス

大阪府高槻市霊仙寺町2丁目1番1号に所在。1993年(平成5年)竣工、テレビスタジオおよび関連設備を有している。国内の大学としては初の国際競技規格の通年型アイスアリーナが創立120周年記念事業の一環として、課外活動振興に伴う環境整備のために建設された。大学行事、正課体育、アイスホッケー部、アイススケート部および第一高等学校課外活動の活動拠点となるとともに、併せて、他大学の練習場として、また、近隣の小・中・高等学校の課外行事での利用などに対しても施設を開放している[66]

  • 使用学部:総合情報学部
  • 使用研究科:総合情報学研究科
  • 使用附属施設:馬場、ゴルフ練習場、スタジオ、関西大学 たかつき アイスアリーナ
  • 敷地面積:477,499.49㎡
  • 所在地:大阪府高槻市霊仙寺町2丁目1-1
  • 交通アクセス:阪急京都本線富田駅JR京都線東海道本線摂津富田駅下車、市営バス「関西大学」「萩谷」「萩谷総合公園」行き約20分。阪急京都本線高槻市駅JR京都線東海道本線高槻駅下車、市営バス「関西大学」行き約25分。

高槻ミューズキャンパス

 
高槻ミューズキャンパス

大阪府高槻市白梅町(JR高槻駅北東地区のユアサコーポレーション工場跡地)に都市再生緊急整備地域の指定に基づくJR高槻駅北東地区開発事業の一環として2010年(平成22年)に竣工。

関西大学初等部・中等部・高等部を併設する。キャンパス名は、ギリシャ神話の学芸の女神「MUSE(ミューズ)」に由来する。

  • 使用学部:社会安全学部
  • 使用研究科:社会安全研究科
  • 使用附属施設:安全ミュージアム、生涯学習センター、エクステンション・リードセンター
  • 敷地面積:17,583.98㎡
  • 所在地:大阪府高槻市白梅町7-1
  • 交通アクセス:高槻駅から徒歩約5分、阪急京都本線高槻市駅から徒歩約10分。

堺キャンパス

 
堺キャンパス

大阪府堺市堺区香ヶ丘町に所在。堺市立商業高等学校跡地に2010年(平成22年)竣工。

  • 使用学部:人間健康学部
  • 使用研究科:人間健康研究科
  • 使用附属施設:体育館
  • 敷地面積:30,305.72㎡
  • 所在地:大阪府堺市堺区香ヶ丘町1丁11番1号
  • 交通アクセス:南海高野線浅香山駅下車、徒歩約5分。

吹田みらいキャンパス

大阪府吹田市山田南に所在。武田薬品工業が研修施設として所有していた建物を利用。

  • 使用学部:ビジネスデータサイエンス学部(仮称・2025年4月開設予定)
  • 使用附属施設:国際学生寮など。
  • 敷地面積:約75,000㎡
  • 所在地:大阪府吹田市山田南50-2
  • 交通アクセス:JR京都線東海道本線岸辺駅で下車、徒歩約18分。

梅田キャンパス

大阪府大阪市北区鶴野町に所在。2016年(平成28年)竣工したサテライトキャンパス

閉鎖されたキャンパス

 
1930年頃の新京阪鉄道天神橋駅。1929年(昭和4年)、天神橋筋六丁目(通称:天六 )にあった駅の北東(写真の右奥)に天六学舎が建設された。
江戸堀学舎

大阪府大阪市西区江戸堀に1903年(明治36年)竣工。1906年(明治39年)、大阪市電敷設のため校地を大阪市へ売却。福島学舎へ移転。

福島学舎

大阪府大阪市北区上福島に1906年(明治39年)竣工。江戸堀校舎の建物を移築。1929年(昭和4年)、鉄道省より東海道本線拡幅高架化を受けて閉鎖。天六学舎へ移転。

天六学舎
 
天六学舎の旧大学本部(1935年竣工、5階は戦後の増築)

大阪府大阪市東淀川区北長柄町(のち北区長柄西1)に1929年(昭和4年)竣工。福島学舎より専門部関西甲種商業学校、第二商業学校がそれぞれ移転し、夜間のみであった専門部に加え昼間部が開設された。1935年(昭和10年)から1965年(昭和40年)までは大学本部があった。

1993年(平成5年)までは法学部や商学部などの第2部(夜間部)が置かれ、都心のキャンパスとして利用されていたが、第2部は全国的な夜間学部の人気低迷とともに1994年(平成6年)には千里山キャンパスに移転[68]。その後は、サテライト授業、公開講座などを実施していた。2014年(平成26年)9月に閉鎖。

学生寮

  • 学生国際交流館・秀麗寮(男子専用寮)
  • ドミトリー月が丘(女子専用寮)
  • 千里凱風寮(スポーツ競技成績が優れた男子専用寮)

セミナーハウス

施設一覧[69]

対外関係

他大学との協定

  • 大阪医科薬科大学
    • 大学教育充実のための戦略的大学連携支援プログラムの共同実施に関する協定
    • 3大学教育研究連携事業に関する協定[注 13]
    • 学術交流に関する協定
  • 大阪公立大学
    • 包括連携協定
  • 大阪大学
    • 国際化推進に向けたネットワーク形成に関する協定
    • 単位の相互認定に関する協定
    • 学術交流に関する協定
  • 関西学院大学
    • 国際化推進に向けたネットワーク形成に関する協定
    • 関関連携による技術セミナー
    • 関西四大学大学院学生の単位互換に関する協定
  • 同志社大学立命館大学
    • 関西四大学大学院学生の単位互換に関する協定
  • 京都大学
    • 相互単位互換に関する協定
    • 特別研究学生交流に関する協定
  • 神戸親和大学
    • 通信教育部科目等履修に関する協定
  • 千葉大学
    • 連携協力に関する協定
  • 津田塾大学
    • 包括連携協定
    • 大学間連携共同教育推進事業「<考え、表現し、発信する力>を培うライティング/キャリア支援」の共同実施に関する協定
  • 法政大学明治大学
    • 三大学(法政大学・明治大学・関西大学)包括連携協定
  • 武庫川女子大学
    • 包括連携協定
  • 早稲田大学
    • 連携協力に関する協定

研究機関との連携

多機関連携

連携の名称 連携機関
「関西大学 アジア・オープン・リサーチセンター」(KU-ORCAS) 東アジア関連資料を研究する協定により、世界各地の機関と連携し、自大学のリソースだけでなく関連する世界中の資料の研究を目的とする。
「関西大学 データサイエンス研究センター」(DSLAB Kansai University Data Science Laboratory) データサイエンスを中心とする基礎技術分野と多彩なビジネス分野の学際研究を実施。
関西大学総合図書館 学術交流及び連携協定」

系列校

関西大学の各教育機関は大学を頂点とする附属学校」ではなく、同一法人の下で平等の取り扱いを受ける独立した併設学校という形態をとっている。

高等学校
中学校
小学校
幼稚園
  • 関西大学幼稚園

連携校

過去に学校法人関西大学との連携校だった学校がある。

その後2012年2月、入学枠について協議中であったにもかかわらず中学校側が必ず関西大学に進学できるといって生徒を募集していたことから連携を解消することとなり、生徒保護の観点から一定の偏差値に達した者を1学年あたり30名を上限として一定期間に限って受け入れる方針となった[71]

海外協定大学

主な協定校にケンブリッジ大学ロンドン大学ペンシルベニア大学パリ大学 の他、アジア圏では、中国の北京大学復旦大学、韓国の慶北大学校と交流をもつ。研究機関ではハーバード燕京研究所バチカン図書館台湾国家図書館など、各地域の研究機関との連携体制の構築している[72]

社会との関わり

高等文官試験

1894年(明治27年)~1948年(昭和23年)まで行政科・司法科・外交科に分かれて実施されていた高等文官試験の出身学校別合格者数おいて、行政科合格者数では第15位[73] であったが、司法科合格者数では東京帝国大学中央大学などに次いで第5位の順位であり、 法曹関係者が多いことで知られていた[74]

職業会計人養成

公認会計士・監査審査会が行う公認会計士試験合格者数は、会計専門職大学院の設置や専門講師の増員で増加傾向にあり、2015年(平成27年)度には出身大学別合格者数で全国第6位である[75]

学生運動

学園紛争の煽りを受けて、1969年(昭和44年)に関西大学でも大学紛争が発生し[76]、同6月20日、全共闘大衆団交を要求して大学会館を封鎖した。封鎖は7月5日、大阪府警機動隊により一旦解除されたが、約半年間は紛争状態で授業もほとんど休講になり、小さな衝突が頻繁に起きたことから機動隊が学内に常駐した[77]

大阪マラソン協賛スポンサー

関西大学は、地元大阪に本拠を置く大学として、大阪マラソンの協賛スポンサーとなっており、同大会運営への協力や、マラソンや大阪の魅力を紹介する一般市民向け公開講座、スポーツ教室、通訳ボランティア、給水ボランティア、海外協定大学を通じた大会広報などの取り組みを行っている[78]

脚注

注釈

  1. ^ 開校日とされた11月4日の時点では司法省の許可が届かず、司法官の講師らが出講できなかったため、最初の講義は校主の吉田一士が行った(『関西大学百年史』 人物編、54頁)。
  2. ^ 大学令による関西大学の昇格が実現しないことに業を煮やした関大予科生5、60名が修学旅行先の奈良血判状を作成し、昇格の早期実現を強く求めたもの(『関西大学百年史』 通史編上巻、360-365頁)。
  3. ^ 同講座は1927年11月まで33回開催され、犬養毅後藤新平山田耕筰などの著名人が講演を行った(関西大学百年史編纂委員会 『関西大学百年史』 通史編上巻、1986年、410-412頁)。
  4. ^ 主専攻言語に加え、「プラスワン外国語」としてドイツ語フランス語スペイン語ロシア語朝鮮語、英語(中国語を主専攻言語とした場合)、中国語(英語を主専攻言語とした場合)のいずれかを選んで学ぶ。また、2年次には海外の提携大学への留学が義務づけられているが、主専攻言語が英語の学生が韓国または台湾の大学を選択する場合、朝鮮語または中国語を副専攻言語として時間割数を増やして学ぶことになる。
  5. ^ 2016年入学生用の大学案内によると、情報学の専門分野を体系的に学習するための指針として、メディア情報系、コンピューティング系、社会情報システム系がある。基礎科目、展開科目、実習科目は一部を除き、系で分類されている(複数の系にまたがる科目もある)。一つの系を集中して学ぶことも、系を複合させて学ぶことも可能。
  6. ^ 2014年入学生用の大学院履修要覧 [1] によると、選択した領域の科目を一定単位履修しなければならない。
  7. ^ 2015年度入学生用の大学院案内 [2] によると、教員はこれら「東アジアの言語と表象」、「東アジアの思想と構造」、「東アジアの歴史と動態」の3領域を分担。大学院要覧(2014年入学生用)[3] によると、必修科目である演習は、前期課程でも後期課程でも、これら3領域に分かれている。
  8. ^ 2015年度入学生用の大学院案内では「研究領域」という言葉を用いていないが、分野等の構成は理工学研究科のサイトにある「教員紹介・研究内容」と同じ。
  9. ^ a b 建築学分野、都市システム工学分野共通
  10. ^ 理工学研究科のサイトにある「教員紹介・研究内容」(数学分野、物理・応用物理学分野、機械工学分野、電気電子情報工学分野、建築学分野、都市システム工学分野、エネルギー・環境工学分野、化学・物質工学分野、生命・生物工学分野)
  11. ^ 1964年の第40回大会に出場した立命館大学・福岡大学はオープン参加扱いで参考記録となっているため、関東以外の大学で箱根駅伝の記録が公式に残っているのは、関西大学が唯一となっている。箱根駅伝過去の記録(該当の開催年をクリックすると順位が確認できる)
  12. ^ 2008年に発足したファカルティ・ディベロップメント(Faculty Development、通称:FD)に関する日本で初の私立大学連携協定。
  13. ^ 3大学とは、大阪医科大学大阪薬科大学・関西大学を指しているが、2021年に大阪医科大学と大阪薬科大学は統合している。

出典

  1. ^ a b 関西大学百年史編纂委員会 『関西大学百年史』 通史編上巻、403-404頁
  2. ^ 関西大学編『関西大学創立五十年史』関西大学、1936年、p.7 名誉校員となったことから、胸像の設置など、今日の関西大学では事実上の創立者に準じる存在として仰がれている。
  3. ^ 大学執行部リレーコラム|関西大学学長室 2019年4月8日閲覧
  4. ^ 上原洋允 『大学改革の道-未来を見据えた 生きた教育を-』 関西大学出版部、2017年、45頁より引用。
  5. ^ 『関西大学百二十年史』 7頁
  6. ^ 関西大学の理念・目的|データで見る関西大学(教育情報の公開) 2019年10月22日閲覧
  7. ^ 1903年の第5回内国勧業博覧会で美術館として使用され、1906年頃は空き家となっていた(『関西大学百二十年史』 18-19頁)。
  8. ^ a b c 学部案内|学部概要|関西大学 経済学部・経済学研究科
  9. ^ 『早稲田大学百年史 第二巻/第五編 第十五章
  10. ^ 関西大学と日本の近代化 ―千里山キャンパスの誕生―|KANDAI HEADLINES ~ 関西大学の「今」”. www.kansai-u.ac.jp. 2023年8月27日閲覧。
  11. ^ 『官報』 1924年5月22日
  12. ^ 朝日新聞社 『運動年鑑 昭和七年度』 1932年、40頁
  13. ^ 『関西大学百年史』 通史編上巻、617頁
  14. ^ 『毎日新聞』 1943年11月16日夕刊
  15. ^ 『関西大学百年史』 通史編上巻、916-917頁
  16. ^ 『関西大学百年史』 通史編下巻、7頁
  17. ^ 『関西大学百年史』 通史編下巻、89-118頁
  18. ^ 6月23日の全学集会では学生側が機動隊導入を決議、要望するという異例の事態が起きた(『関西大学百二十年史』 72頁)。
  19. ^ 関西大学のあゆみ(年表)
  20. ^ 関西大学 留学生別科(日本語・日本文化教育プログラム進学コース)”. 関西大学. 2011年7月4日閲覧。
  21. ^ ◼梅田で学びの高度化・多様化を追求!◼ 天六キャンパスを売却し、梅田に新拠点を開設 〜 地域・社会人・大学がともに発展できる新たなハブ機能として〜』(PDF)(プレスリリース)関西大学、2014年7月16日http://www.kansai-u.ac.jp/global/guide/pressrelease/2014/No15.pdf2016年11月22日閲覧 
  22. ^ 関西大学 大学昇格100年記念特設サイト
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  24. ^ 新たな学びのフィールド「吹田みらいキャンパス」を開設|トピックス|関西大学について|関西大学 2024年8月6日閲覧。
  25. ^ 校章・スクールカラー・学歌”. 関西大学. 2016年8月2日閲覧。
  26. ^ 『HAND BOOK (大学要覧)』、関西大学、毎年発行。 
  27. ^ 『関西大学百年史』 通史編上巻、289-291頁
  28. ^ 『関西大学百年史』 資料編、306頁
  29. ^ 『関西大学百年史』 通史編上巻、427-428頁
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  31. ^ 『大学 KANSAI UNIVERSITY 1993 (大学要覧)』、関西大学、1993年、裏表紙。 『INFORMATION 1993 大学案内』、関西大学、1993年、99頁。 
  32. ^ 履修モデルは、学部ホームページ [4]
  33. ^ 理工学研究科のサイトにある「教員紹介・研究内容」
  34. ^ 理工学研究科のサイトにある「教員紹介・研究内容」
  35. ^ 理工学研究科のサイトにある「教員紹介・研究内容」
  36. ^ 理工学研究科のサイトの教員紹介・研究内容
  37. ^ 理工学研究科のサイトにある「教員紹介・研究内容」
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  42. ^ 出版部の歴史と沿革 関西大学出版部、2019年9月2日閲覧。
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関連文献

Wiki関係他プロジェクトリンク

関連項目

外部リンク