カール・ヨハン・アレクシス・エンケル(Carl Johan Alexis Enckell、1876年6月7日 - 1959年3月26日)は、フィンランド政治家外交官

カール・ヨハン・アレクシス・エンケル
Carl Johan Alexis Enckell
生年月日 (1876-06-07) 1876年6月7日
出生地 ロシア帝国
サンクト・ペテルブルク県 サンクト・ペテルブルク
没年月日 (1959-03-26) 1959年3月26日(82歳没)
死没地  フィンランド
ウーシマー州 ヘルシンキ

フィンランドの旗 初代 外務大臣
在任期間 1918年 - 1919年
大統領 カールロ・ユホ・ストールベリ
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人物 編集

フィンランド独立後、初代駐露外交代表となり、1918年から1919年まで初代外務相を務めた。スウェーデンとの間に発生したオーランド諸島の帰属問題では、スウェーデンの政治家カール・ヤルマール・ブランティングの働きにより国際連盟による裁定を求められ、エンケルは国連大使として交渉に当たった。オーランド諸島がフィンランドの自治領に帰したのは、国連事務次官であった新渡戸稲造による「新渡戸裁定」によるところが大きい。1922年と1924年に外務相を務める。ソ・フィン関係の強化を支持し、対ソ参戦には反対していた。