キャロライン・マンロー
キャロライン・マンロー(Caroline Munro、1950年1月16日 - )は、イギリスの女優。ハマー・フィルム製作映画の出演で知られる。
キャロライン・マンロー Caroline Munro | |
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1974年撮影 | |
生年月日 | 1950年1月16日(74歳) |
出生地 |
イギリス バークシャー |
ジャンル | 女優 |
配偶者 |
Judd Hamilton (1974年 - 1986年) George Dugdale (1990年 - ) |
主な作品 | |
シンドバッド黄金の航海 007 私を愛したスパイ |
来歴
編集ロンドンでモデルとなり、母親が写真をイブニング・ニュース紙に送ったところ、フェース・オブ・ザ・イヤーに選ばれる。17歳までヴォーグでモデルをする[1]。その後、映画界に入り、エキストラ出演[2]を経て、1969年の『西部野郎奮戦記』で本格デビュー。
彼女のラム酒製品 (Lamb's Navy Rum) のポスターがハマー・フィルムの創業者ジェームズ・カレラスの目に留まったことから、ハマーと契約を結び、『ドラキュラ'72』に出演[1]。1974年の『シンドバッド黄金の航海』や、1976年の『地底王国』ではヒロイン役となる。1977年には『007 私を愛したスパイ』にも出演している。
主な出演作品
編集公開年 | 邦題 原題 |
役名 | 備考 |
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1967 | 007/カジノ・ロワイヤル Casino Royale |
クレジットなし | |
1969 | 西部野郎奮戦記 A Talent for Loving |
エヴァリナ | |
1971 | 怪人ドクター・ファイブス The Abominable Dr. Phibes |
ヴィクトリア・レジーナ・ファイブス | クレジットなし |
1972 | ドラキュラ'72 Dracula A.D. 1972 |
ローラ・ベロウズ | |
怪人ドクター・ファイブスの復活 Dr. Phibes Rises Again |
ヴィクトリア・レジーナ・ファイブス | クレジットなし | |
1974 | シンドバッド黄金の航海 The Golden Voyage of Sinbad |
マルギアナ | |
吸血鬼ハンター Captain Kronos - Vampire Hunter |
カーラ | ||
1975 | ベビー・ゾンビ/鮮血の産ぶ声 I Don't Want to Be Born |
マンディ | |
1976 | 地底王国 At the Earth's Core |
ディア | |
1977 | 007 私を愛したスパイ The spy Who Loved Me |
ナオミ | |
1978 | スタークラッシュ Starcrash |
ステラ・スター | |
1980 | マニアック Maniac |
アンナ・ダントニ | |
1982 | 新マニアック The Last Horror Film |
ジャナ・ベイツ | |
1986 | ブラッド・エイプリル・フール Slaughter High |
キャロル | |
1988 | フェイスレス Faceless |
バーバラ | |
1989 | デモンズ6/最終戦 Il gatto nero |
ノラ | |
2003 | フレッシュ・フォー・ザ・ビースト
Flesh for the Beast |
カーラ・ザ・ジプシー | |
2006 | バイオクリーチャー・ライジング The Absence of Lighting |
アビー・チャーチ |
脚注
編集- ^ a b c Redfield, Mark (2009年1月14日). “The Caroline Munro Interview 2007” (英語). Redfield Arts.com. 2008年5月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年8月1日閲覧。
- ^ マンローはエキストラ時代、番外編007映画の『007 カジノ・ロワイヤル』に、コントロールルームの女性役で出演(クレジットはされず)していたが、後年『007 私を愛したスパイ』では、晴れてボンドガールとなった。役柄は敵側のヘリコプター・パイロットである。