キ82 (航空機)
概要
編集1940年(昭和15年)、同年の陸軍航空本部研究方針によって[1][2]従来型の「重爆甲」(のちの四式重爆撃機に相当)と並ぶ速度を重視した重爆撃機「重爆乙」[2][3]としてキ82の計画が立てられ[1][2]、同年5月に中島飛行機に対して試作指示がなされた[3]。陸軍が示した基礎設計要項にある性能は、エンジンは双発または3発、最大速度が670 km/h、常用高度が5,000 - 8,000 m、行動半径が最大1,500 km + 2時間というものだった[3]。当初は1942年(昭和17年)11月に試作機を完成、翌1943年(昭和18年)7月に審査を完了させる予定だった[3]。
これを受けた中島では[3]、中島「ハ45」[1][2][3][4]または「ハ145」空冷星型18気筒エンジンを搭載する第1案[3][4]「キ82甲」[4]と、中島で試作されていた「ハ39」液冷W型18気筒エンジン(離昇2,100 hp)を搭載し[1][2][3][4]、翼面冷却を採用する第2案[1][2][3]「キ82乙」[4]、三菱重工業が試作した「ハ203」液冷H型24気筒エンジン(離昇2,600 hp)を搭載する案などが計画された[5]。キ82甲は最大速度650 km/h(ハ145搭載時)[1][3][4]、キ82乙は最大速度650 - 670 km/h(翼面冷却不採用の場合には610 - 630 km/h)[1][3]、ハ203搭載案は最大速度642 km/hを発揮すると計算されていた[3]。
各案が検討された後、試作機のエンジンはハ45、もしくはハ45をメタノール噴射式にした「ハ45M」を、増加試作機および整備機のエンジンはハ145を用いるものとされ[3]、キ82甲が選ばれた形になった[4]。1942年3月の時点では、1943年6月よりハ45装備の実験機3機を、1944年(昭和19年)3月よりハ145装備の試作機3機と増加試作機5機を順次製作し、1944年12月に審査完了とする予定だったが[3]、四式重爆の開発が順調に進み高速機となる目処がたったため[1][2]、実大模型が製作されたのみで[4]試作は中止された[1][2][3]。
また、三菱「ハ211」空冷星型18気筒エンジン(離昇2,200 hp)を装備して最大速度670 km/hを発揮する「キ82性能向上型」の計画もあったが、こちらも実現していない[5]。
諸元(キ82甲・計画値)
編集出典:『日本陸軍試作機大鑑』 78頁、『日本航空学術史(1910-1945)』 417頁。
脚注
編集参考文献
編集- 歴史群像編集部 編『決定版 日本の陸軍機』学研パブリッシング、2011年、65頁。ISBN 978-4-05-606220-5。
- 佐原晃『日本陸軍の試作・計画機 1943〜1945』イカロス出版、2006年、128頁。ISBN 978-4-87149-801-2。
- 秋本実『日本陸軍試作機大鑑』酣燈社、2008年、78,238頁。ISBN 978-4-87357-233-8。
- 粟野誠一ほか編『日本航空学術史(1910-1945)』日本航空学術史編集委員会、1990年、417頁。全国書誌番号:90036751。