ギヨーム6世 (アキテーヌ公)

ギヨーム6世・ダキテーヌGuillaume VI d'Aquitaine,1004年 - 1038年12月15日)は1030年~1038年迄のアキテーヌ公であり、同時期にポワティエ伯ギヨーム4世であった。ル・グロle Gros,肥満公)と称された。

ギヨーム6世
Guillaume VI d'Aquitaine
アキテーヌ公
ポワティエ伯
在位 1030年 - 1038年

出生 1004年
死去 1038年12月15日
ポワチエ
配偶者 ウスターシー・ド・モントルイユ=ベレ
家名 ポワティエ家
父親 アキテーヌ公ギヨーム5世
母親 アダルモード・ド・リモージュ
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XI世紀初頭のフランス

家族編集

ギヨーム5世と初婚の妃アダルモード・ド・リモージュの息子。父ギヨーム5世の第一子長男に当たる。

異母弟にアキテーヌ公・ポワティエ伯となったギヨーム7世ウードギヨーム8世、異母妹にアルマニャック伯ジェロー1世妃アダライス、神聖ローマ皇后アニェスがいる。

経歴編集

1030年1月31日に父ギヨーム5世が亡くなった直後、ギヨーム6世がポワティエ伯位を継いだ後、おそらくモントルイユ=ベレの低位貴族であったとされるウスターシーという名の女性と結婚した。

すると、アキテーヌ公領内で主な側近であった家臣達が君主夫婦の近辺から失踪する事件が起きており、この事件は家臣達にギヨーム6世への援助手段がないことだけでなく、潜在的な不満があったことも反映している。

ギヨーム6世は1032年ポワティエに総督(:prévôt )(フランス語版)を任命し、行政の端緒を開いた。

翌年1033年9月20日にサン=ジュアン=ド=マルヌ近辺で、ギヨーム6世はアンジュー伯ジョフロワ2世マルテル (フルク3世の息子) に襲撃され、捕えられ、捕虜として連行された。しかし、わずか3年後に保釈金を支払ったため釈放された。

そして1036年にギヨームは直ちに戦闘に復帰したが、再びジョフロワ2世に撃退され、アンジュー伯にオレロン島を譲渡することになった。

ギヨーム6世は治世中に亡父ギヨーム5世の3人目の妃で、父との死別後にアンジュー伯ジョフロワ2世と再婚した継母アニェス・ド・ブルゴーニュとの対立に直面することとなった。

1038年12月15日にギヨーム6世は子女なく死去した。 異母弟ウード(父ギヨーム5世の2人目の妃ブリスク・ド・ガスコーニュフランス語版の息子)は, ポワティエ伯位及びアキテーヌ公位を継承した。

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