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グエン・ゴク・ロアンベトナム語: Nguyễn Ngọc Loan / 阮玉鸞, 1930年12月11日 - 1998年7月14日)は、ベトナム共和国(南ベトナム)の軍人。ベトナム戦争中、ベトナム共和国国家警察英語版総監(Tổng Giám Đốc Cảnh Sát Quốc Gia)を務めた。

グエン・ゴク・ロアン
Nguyễn Ngọc Loan
生誕 1930年12月11日
Flag of Colonial Annam.svg フランス領インドシナ連邦(現 ベトナム)、フエ
死没 1998年7月14日(1998-07-14)(67歳)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国ヴァージニア州バーク
所属組織 ベトナム共和国空軍
ベトナム共和国国家警察英語版
最終階級 少将
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1968年、テト攻勢の最中、ロアンが南ベトナム解放民族戦線(ベトコン)の士官を路上で処刑する様子が写真家エディ・アダムズ英語版によって撮影された。この写真は『サイゴンでの処刑』と題され、反戦のアイコンとなった。

経歴編集

1930年、フエの中産階級家庭にて、11人兄弟の1人として生を受ける。大学では薬学について学んだ。1951年にベトナム国軍英語版に入隊。間もなくして推薦を受けて士官候補生学校に進み、モロッコにてパイロットとしての教育を受けた。1955年に帰国し、その後の10年間は空軍にて戦闘機パイロットとして勤務した[1]

後にグエン・カオ・キ副大統領の側近となり、警察総監を務めた。任官中のベトナム戦争中に起きたテト攻勢の際に、サイゴン捕虜を射殺した映像は世界的に配信された。

ベトナムにおける民族主義を強く支持していたことに加え、アメリカ人に対する優遇措置を拒否したことなどから、アメリカ側の高官にはロアンを疎む者も少なくなかった。アメリカ側からの圧力を受けたベトナム共和国議会の意向によって一時解任されたこともある[2]

捕虜の処刑から数か月後、ロアンは機関銃による銃撃により右脚の切断に至る重傷を負う。1969年、脚の治療のためにアメリカのウォルター・リード陸軍病院英語版に入院するが、これが一部のアメリカ市民からの批判を招いた。民主党所属の元上院議員スティーブン・M・ヤング英語版は、ロアンを「残虐な殺人鬼」(brutal murderer)と批難し、彼がアメリカで治療を受けていることを「不名誉な物語の不名誉な結末だ」と述べた[2]

1975年4月のサイゴン陥落とともに、グエン・ゴク・ロアンは南ベトナムからアメリカへ亡命した。1978年、ロアンの国外追放が試みられた。民主党所属の下院議員エリザベス・ホルツマン英語版は、当時のインタビューの中で「ロアン将軍は冷血にも他の人間を射殺してみせた」、「あらゆる基準において、彼の行いは不道徳だ」と述べた[2]。ホルツマンはロアンの住所を突き止め、「戦争犯罪者の疑いのある外国人の一覧」の一部として移民・帰化局英語版(INS)へと提出し、永住権取り消しに向けたINSの調査が始まった。しかし、この際に撮影者のエディ・アダムズ英語版がロアンを弁護する証言を行ったことで、INSはロアンに同情的な立場を取るようになった。最終的に、ジミー・カーター大統領が「こうした歴史修正主義は馬鹿げている」と述べて介入したことで、国外追放は回避された[1]

その後アメリカ政府からの資金援助を受けてワシントンD.C.郊外バージニア州バークのローリング・バレー・モールにてピザレストランを開業した。

しかし1991年に、過去が公に明かにされると仕事は廃業した。アダムズは、ロアンのピザショップを訪れた際、そのトイレの壁には、「お前が誰かは分かっているんだ、くそったれ(We know who you are, fucker)」という落書きを見たと回想している[3]

ロアンはチュオン・マイという女性と結婚し、5人の子供がいた。1998年7月14日、バージニア州バークで、のため死去した。

捕虜の射殺編集

画像外部リンク
サイゴンでの処刑
  General Nguyen Ngoc Loan Executing a Viet Cong Prisoner in Saigon[4].
 
『サイゴンでの処刑』のパネルを持つエディ・アダムズ(1969年)

『サイゴンでの処刑』 (Saigon Execution) と題されたこの写真は、1968年2月1日AP通信エディ・アダムズ英語版によって撮影された。テト攻勢の最中のサイゴンで、グエン・ゴク・ロアンが南ベトナム解放民族戦線(ベトコン)の士官を路上で処刑している様子を写している。この様子はNBCニュースのカメラにも映像として撮影されたが、アダムズの写真は決定的な印象を残した。

この射殺された士官が何者であるかについてはいまだに議論があり、グエン・ヴァン・レム(阮文歛)もしくはレ・コン・ナベトナム語版であるとされている。両者ともテト攻勢下のサイゴンで戦死したベトコンのメンバーで、双方の遺族とも、各々がこの写真の人物に酷似しており、断定はできないと証言した。

捕えられた士官はロアンの前に引き出され、ロアンは個人所有していた回転式拳銃S&W M38[5]を引き抜き、その場で彼の頭部を銃撃、士官はすぐさま血を吹き出しながら倒れ込んだ。その光景は、目の前にいたAP通信カメラマンのエディ・アダムズ及びNBCニュースのテレビカメラマンらによって撮影された。写真と映像は全世界に配信され、反戦運動に勢いを与え、ベトナム戦争への介入に対するアメリカ世論に多大な影響を与えることになった[6]。 エディ・アダムズはこの写真で1969年度のピュリッツァー賞を獲得した。写真を見たオーストラリア出身の従軍記者パット・バージェスは再び戦場へと戻ったという[7]

南ベトナム側の発表によると、レムはその日に南ベトナムの警察官やその家族を殺害したベトコンの死の部隊の指揮官であり、レムが逮捕されたのは、34体もの縛られ射殺された警察官とその親族の遺体が放置された溝の付近であったという。しかもそれらの犠牲者には、ロアンが名付けた子6名など、ロアンの副官と親友の家族たちも含まれていたということだった。カメラマンのアダムズは南ベトナム側の説明を確認したが、彼は処刑のために居合わせただけだった。レムの未亡人は、夫がベトコンのメンバーであり、テト攻勢が始まってから夫の姿を見ていないことを認めた。処刑の直後、処刑に立ち会わなかった南ベトナム政府高官は、レムはただの政治的スパイだったと発言した[8]

撮影の直後、ロアンはアダムズに対し、「奴らはおれの同胞とあんたがたの同胞を山ほど殺したんだ。仏様も許してくれるだろう」("They killed many of our people and many of yours. I think Buddha will forgive me.")と語った[1]。後年のインタビューによれば、撮影の時点でアダムズはこの写真を特別なものとは考えておらず、泥沼化しつつあったベトナムでの戦争、それも共産軍による一大攻勢の最中において、単に誰かが誰かを殺しただけの「ありふれた一日の出来事」のように捉えていたという[2]

『サイゴンでの処刑』について、ボブ・シーファーは「戦争全体を要約したものだ」と評価したほか、ビル・エプリッジ英語版は「彼の写真こそ戦争が変わった瞬間だと思う」と評価している。後にホワイトハウス主任写真家を務めたデイヴィッド・ヒューム・ケナリー英語版は、第二次世界大戦中の有名な戦場写真『硫黄島の星条旗』と比較し、ジョー・ローゼンタールの作品がヒロイズム、愛国心、戦場での勇敢といったものを表現した一方、アダムズの作品はその正反対にある「戦争の本当の姿」を表現したのだと評した[2]

アダムズはこの写真(『サイゴンでの処刑』)で1969年度ピューリッツァー賞 ニュース速報写真部門を受賞したが、にも関わらずアダムズは後にその引き起こした衝撃を後悔していると語った。この写真は反戦のアイコンとなった。ロアンと有名になってしまった自身の写真について、アダムズは後にタイム誌に寄せたロアンへの追悼文の中で、以下のように述べている。

将軍はベトコンを殺した。私はカメラで将軍を殺した。スチール写真は世界で最も強力な武器だ。人々はそれを信じるが、たとえ手を加えてなどいなくても、写真は嘘をつく。写っているのは真実の半面だけだ。あの写真はこうは言わなかった。「あの暑い日のあの時あの場所で、あなたが将軍ならどうしただろう? 捕まえたのはいわゆる悪党で、奴は一人か二人か三人の米兵をぶっ殺した後だった。」

The general killed the Viet Cong; I killed the general with my camera. Still photographs are the most powerful weapon in the world. People believe them, but photographs do lie, even without manipulation. They are only half-truths. What the photograph didn't say was, "What would you do if you were the general at that time and place on that hot day, and you caught the so-called bad guy after he blew away one, two or three American soldiers?"[9]

アダムズは同じ追悼文の中で、「ロアン将軍は本物の戦士だった」、「彼のしたことが正しかったとは言わないが、誰しも彼の立場に立って考えるべきだ。彼は私を決して批難しなかった。『君が撮らなくても、誰かが撮っただろう』と。それでも、私は彼や彼の家族に対して、長らく罪悪感を抱いてきた」とも語った[2]

その後アダムズは、自身の写真によってロアンの世評を傷つけたことをロアンとその家族に直接謝罪した。また、その死に際しアダムズは彼を次のように称賛した。

その男は英雄であった。アメリカは涙を流すべきだ。私は人々が彼について何も知らないまま、彼が死にゆくのを見たくはない。

The guy was a hero. America should be crying. I just hate to see him go this way, without people knowing anything about him.[10][11]

出典編集

  1. ^ a b c The Photograph that Lost a War”. GunsAmerica Digest. 2019年9月5日閲覧。
  2. ^ a b c d e f A grisly photo of a Saigon execution 50 years ago shocked the world and helped end the war”. The Washington Post. 2019年9月5日閲覧。
  3. ^ Adams, in documentary en:An Unlikely Weapon (2009), dir. en:Susan Morgan Cooper
  4. ^ Cuộc chiến Việt Nam”. BBC. 2011年4月25日閲覧。
  5. '^ Buckley, Tom. "Portrait of an Aging Despot", Harpers magazine April 1972, Page 69
  6. ^ “Nguyen Ngoc Loan, 67, Dies; Executed Viet Cong Prisoner”. New York Times. (1998年7月16日). http://www.nytimes.com/1998/07/16/world/nguyen-ngoc-loan-67-dies-executed-viet-cong-prisoner.html 2009年5月7日閲覧. "But when Brig. Gen. Nguyen Ngoc Loan raised his pistol on Feb. 1, 1968, extended his arm and fired a bullet through the head of the prisoner, who stood with his hands tied behind his back, the general did so in full view of an NBC cameraman and an Associated Press photographer." 
  7. ^ Lucas, Dean (2007年2月17日). “Famous Pictures Magazine - Vietnam Execution (HTML)”. Famous Pictures Magazine. 2007年7月21日閲覧。
  8. ^ Vietnam Studies: Law at War: Vietnam 1964-1973, Major General George S. Prugh, , , US Army Center of Military History, 1975
  9. ^ Adams, Eddie (1998年7月27日). “Eulogy”. Time Magazine. http://www.time.com/time/magazine/article/0,9171,988783,00.html 2009年5月7日閲覧。 
  10. ^ Image Canon - Historic Images
  11. ^ http://www.time.com/time/magazine/article/0,9171,988783,00.html

外部リンク編集