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グスタフ・ジモン(Gustav Simon, 1900年8月2日 - 1945年12月18日)は、ドイツの政治家。国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)の大管区指導者(ガウライター)の一人。戦時中はルクセンブルクの民政長官をしていた。

経歴編集

現在のザールブリュッケンに鉄道関係の公務員の息子として生まれる。両親はフンスリュック (Hunsrück) に小さな土地を持っていた。ザールブリュッケンの国民学校 (Volksschule) を卒業したあと、アビトゥーア合格証明書を偽造して教職訓練を受けたが、偽装が判明して教師資格を得ることはできなかった。その後、鉄道業務や税関で少し働いたのち、アビトゥーアに合格してフランクフルト大学に入学し、経済学を学んだ。1923年頃には大学で国家社会主義運動を行うようになる。1925年にナチ党に入党。1927年にフェルクリンゲンで教師となる。しかしその年のうちに教師をやめてナチ党の仕事に専念した。党内で素早く昇進した。1928年にトリーアビルケンフェルト地区の地区指導者 (Bezirksleiter) となる。1929年にはコブレンツ・トリーア地区指導者となるとともにラインラントの地方議会議員となる。1930年には国会 (Reichstag) 議員となる。1931年に党首アドルフ・ヒトラーよりコブレンツ・トリーア大管区指導者に任じられた。ジモンは他の多くの大管区指導者と異なり、親衛隊突撃隊に入らなかった。しかし国家社会主義自動車軍団 (NSKK) には入団しており、国家社会主義自動車軍団上級集団指導者(NSKK大将)となっている。

ルクセンブルク侵攻後の1940年7月25日にはルクセンブルクの民政長官となり、1944年まで務めた。ドイツ敗戦後の1945年12月10日にイギリス軍により逮捕され、パーダーボルン刑務所で収監された。そこで自殺したとされている。しかしその死には様々な疑惑がある。