グリゴリー・フェドートフ

グリゴリー・イヴァーノヴィチ・フェドートフロシア語: Григорий Иванович Федотов1916年4月11日 - 1957年12月8日)は、ロシア帝国出身の元サッカー選手。息子のウラジーミル・フェドートフ(Владимир Федотов、1943年1月18日 -2009年3月29日)もサッカー選手であった。

グリゴリー・フェドートフ
名前
本名 グリゴリー・イヴァーノヴィチ・フェドートフ
ロシア語 Григорий Иванович Федотов
基本情報
国籍 ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦
生年月日 (1916-04-11) 1916年4月11日
出身地 ロシアの旗ロシア帝国
没年月日 (1957-12-08) 1957年12月8日(41歳没)
身長 174cm
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

経歴

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1934年、Серп и молот(鎌と槌)でキャリアを始め1937年まで在籍をした。1938年にCDKA(現在のPFC CSKAモスクワ)に入団して、1939年のソビエト連邦サッカーリーグにて21得点を挙げ得点王を獲得した。翌年の40年にも21得点を挙げ2季連続となる得点王を獲得。

引退後は1928-1951CDKA 1951-1957CDSAでコーチとして働いた。1957年インフルエンザで体調を崩し、12月8日に風呂場で倒れているのが発見された。医師の到着後、死亡が確認されノヴォデヴィチ墓地に埋葬された。

没後、グリゴリー・フェドートフ・クラブ(100ゴールを挙げた選手に贈られる賞)が雑誌"フットボール"により創設された。

所属クラブ

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参考文献

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