グワーリヤル城(グワーリヤルじょう、ヒンディー語: ग्वालियर क़िला、Gwalior Fort)は、インドマディヤ・プラデーシュ州グワーリヤル県の都市グワーリヤルに存在する城。

グワーリヤル城
グワーリヤル城の城門
城内
ジャイナ教ティールタンカラの像

歴史編集

この城の歴史は古く、6世紀ごろからその存在が知られている。

1023年ガズナ朝マフムードがこの城を攻撃したが失敗した。

1196年以降、クトゥブッディーン・アイバクの軍勢により包囲され、これは1211年まで続いた。

1231年シャムスッディーン・イルトゥトゥミシュにより占領される。

1398年トーマラ朝の創始者により占拠され、デリー・スルターン朝の支配から離れる。

グワーリヤル城には15世紀に作られたジャイナ教の彫像が多数残る。約1500の像があり、その大部分はトーマラ朝のドゥーンガラシンハとその子のキールティシンハの治世(1440-1473年)に作られた。これらの像はディガンバラ派ジャイナ教徒の宮廷詩人ライドゥーによって奉献された[1]

1519年ローディー朝の君主イブラーヒーム・ローディーによって占拠される。

1553年から1556年にかけて、スール朝ヒンドゥー武将ヘームーの管理下にあった。

1576年ムガル帝国の皇帝アクバルに占拠され、帝国の支配下に入った。

1740年ジャート族の支配下に置かれ[2]、その後シンディア家マハーダージー・シンディアの支配下に入った。

1858年インド大反乱における指導者であるラクシュミー・バーイーが立て籠もり、激戦地の一つとなった。大軍を出撃させたイギリス軍に対し、6月18日に迎撃に出陣したラクシュミーは前線で指揮中に狙撃されて戦死し、20日にグワーリヤル城は陥落した。

脚注編集

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  1. ^ Phyllis Granoff (2009). “Mountains of Eternity: Raidhū and the Colossal Jinas of Gwalior”. Rivista di Studi Sudasiatici 4: 31. doi:10.13128/RISS-2455. 
  2. ^ Tyagi V. P. "Martial races of undivided India." Gyan Publishing House, 2009 ISBN 8178357755, 9788178357751. p75. Accessed at Google Books 1 December 2013.

関連項目編集

外部リンク編集

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