コラール・ド・ラン (Colart de Laon, 活動期1377–1411年、1417年5月27日以前に没)[1]国際ゴシック様式で絵画を制作したフランスの画家である[2]

コラール・ド・ランに帰属『寄進者オルレアン公ルイ1世のいるゲツセマネの祈り』、プラド美術館 (マドリード)

コラール・ド・ランは、1377年にフィリップ2世 (ブルゴーニュ公) のために仕事をしていたと最初に記録されており、後の1391年からルイ1世 (オルレアン公) の侍従となり、さらに後には少なくとも1411年までルイの息子シャルル (オルレアン公) の侍従となった。確実にコラール・ド・ランに帰属される現存作品はまったくないものの、何点かの板絵がおそらく彼が制作したものと見なされている。当時の文献に記されている作品の中には、1395年にフィリップ2世のために制作され、シャルトル大聖堂に掛けれた数々の大作、1396年にルイ1世のためにパリの教会用に制作された『聖ヨハネと三位一体』、1397年に女王イザボー・ド・バヴィエールのための聖遺物箱、ルートヴィヒ1世 (フランク王)トゥールーズのルイ英語版を表す板絵が含まれる。1406年に、コラール・ド・ランはフランス議会のために大きな板絵を手掛けていた[3]

この時期の宮廷画家には典型的なことであるが、コラール・ド・ランの活動は板絵の制作に限定されたものではなく、祭典用の装飾、タペストリーのための下絵の創作者としても言及されている[1]

マドリードプラド美術館は、2012年に三連祭壇画の中央パネルであったと思われる『寄進者オルレアン公ルイ1世のいるゲツセマネの祈り』を購入した[2]。この作品は、当時のルイ1世を描いていることで知られる唯一の作品である[4]

三連祭壇画の右翼パネルである『受胎告知』 (ラン美術館) は「ピエール・ド・ヴィッサン (Pierre de Wissant) の祭壇画の画家」に帰属されているが、コラール・ド・ランのもう1つの作品である可能性がある[5]

ギャラリー 編集

脚注 編集

  1. ^ a b Maroto (2012年). “Colart de Laon”. Museo del Prado. 2017年1月20日閲覧。
  2. ^ a b プラド美術館ガイドブック 2016年、388頁参照。
  3. ^ Hourihane, Colum (2012). The Grove Encyclopedia of Medieval Art and Architecture, Volume 2. OUP USA. p. 164. ISBN 9780195395365. https://books.google.com/books?id=FtlMAgAAQBAJ&dq=colart+de+Laon&pg=RA3-PA19 
  4. ^ Rykner (2012年2月11日). “A 15th century French Panel Acquired by the Prado”. The Art Tribune. 2017年1月20日閲覧。
  5. ^ Villela-Petit, Inès (2003). “L'ange au chanoine. Fragment d'un retable laonnois du XVe siècle”. Monuments et mémoires de la Fondation Eugène Piot 82 (1): 173–212. doi:10.3406/piot.2003.1418. 

参考文献 編集