コルホーン (DD-801)

フレッチャー級駆逐艦

コルホーン (USS Colhoun, DD-801) は、アメリカ海軍駆逐艦フレッチャー級駆逐艦の一隻。艦名はエドマンド・コルホーン英語版海軍少将に因む。その名を持つ艦としては2隻目。

コルホーン
基本情報
建造所 ワシントン州シアトルトッド・パシフィック造船所
運用者 アメリカ合衆国の旗 アメリカ海軍
艦種 駆逐艦
級名 フレッチャー級
艦歴
起工 1943年8月3日
進水 1944年4月10日
就役 1944年7月8日
最期 1945年4月6日、伊平屋島北東28km沖にて戦没
要目
排水量 2,050 トン
全長 376フィート6インチ (114.76 m)
最大幅 39フィート8インチ (12.09 m)
吃水 17フィート9インチ (5.41 m)
主缶 石油燃焼ボイラー×4基
主機 ギアードタービン×2基
出力 6,000馬力 (4,500 kW)
推進器 スクリュープロペラ×2軸
最大速力 35ノット (65 km/h)
航続距離 6,500海里 (12,000 km)/15ノット
乗員 士官・兵員273名
兵装
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艦歴 編集

「コルホーン」は1943年8月3日にワシントン州シアトルトッド・パシフィック造船所で起工した。1944年4月10日にK・K・ジョンソン大尉(陸軍婦人部隊)によって命名、進水し、1944年7月8日に艦長G・R・ウィルソン中佐の指揮下就役した。

1944年10月10日に真珠湾に到着、訓練および偵察任務に従事する。1945年2月19日、硫黄島沖に到着し、「コルホーン」は輸送船の護衛としてレーダーピケット任務、硫黄島への支援砲撃を担当した。3月1日、沿岸砲台からの砲撃が命中し、1名が死亡、16名が負傷した。サイパンでの修理後、沖縄に向けて出航し、3月31日に到着、レーダーピケット任務に就く。

沖縄戦最中の1945年4月6日、15時30分に「コルホーン」は駆逐艦「ブッシュ (USS Bush, DD-529) 」からの支援要請を受け取り、現場へ急行する。損傷を受けた「ブッシュ」と特攻機の間に対して砲撃を行い、「コルホーン」は3機を撃墜したが、特攻機は40mm砲座に突入し弾薬庫後部に爆弾を投下、爆発した。「コルホーン」は動力を保持したまま緊急操舵を行い、次の3機の攻撃に対して備え、最初の2機を撃墜したものの3機目が右舷に突入した。

特攻機の爆弾が爆発し、破壊された竜骨が両方の機関を貫通し、水線下に穴が開き油と電気系統からの火災が生じた。残された砲は手動で操作された。乗組員は新たな攻撃に直面し3機の内1機を撃墜、もう1機を破壊したが、3機目が艦の後部に突入した。この機の爆弾は艦の外に弾んで爆発したが、船体にはさらなる穴が開き、浸水が激しくなった。「コルホーン」の乗組員は浮力を保とうと努力したものの、最後の特攻機が炎上する艦橋に突入した。18時、「LCS-48」が基幹要員を除く乗組員を救助し、「コルホーン」を沖縄に曳航しようとしたが、艦の傾斜は激しく、大量の浸水と火災のため放棄が決定され、北緯 27° 16'、東経127°48' で駆逐艦「カッシン・ヤング (USS Cassin Young, DD-793) 」の砲撃により海没処分された。「コルホーン」の乗組員は32名が戦死し23名が負傷、そのうち2名がその後死亡した。

「コルホーン」は第二次世界大戦の戦功で1個の従軍星章を受章した。

関連項目 編集

外部リンク 編集