ゴア準男爵(ゴアじゅんだんしゃく、: Gore baronets)は、準男爵位。アイルランドの準男爵位として3度創設され、すべて現存する。

(マグヘラベッグの)ゴア準男爵(1622年)

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ロンドン市長ジョン・ゴア英語版(?–1636)の弟ポール・ゴア英語版(?–1629)はアイルランドで騎兵部隊の指揮を委ねられ、1602年にロリー・オドンネル英語版アスローンに護送した功績により領地を与えられ、1610年に領地をドニゴール県マグヘラベッグ(Magherabeg)と交換した[1]。彼は1613年から1615年までアイルランド庶民院議員を務めたのち、1622年2月2日にアイルランドにおける準男爵に叙された[1]

その長男である2代準男爵ラルフ・ゴア英語版(?–c.1661)もアイルランド庶民院議員を務めた[1]。彼は1641年アイルランド反乱英語版の鎮圧の功績により連隊長に任命された[1]

その息子である3代準男爵ウィリアム・ゴア英語版(bef.1657–c.1703)はアイルランド庶民院議員、ファーマナ県長官英語版ドニゴール県長官英語版を務めた[2]

その息子である4代準男爵ラルフ・ゴア(1675?–1733)リートリム県長官英語版を務めたほか、アイルランド庶民院議員を30年間務め、在任中にアイルランド財務大臣英語版アイルランド庶民院議長英語版を兼任したこともあった[2]

その息子である5代準男爵セント・ジョージ・ゴア(1722–1746)と6代準男爵ラルフ・ゴア(1725–1802)も相次いでアイルランド庶民院議員を務めた[2]。5代準男爵は1726年に母方の祖父の名前「セント・ジョージ」を姓に加えたが、男子をもうけないまま死去した[2]。6代準男爵は陸軍の軍人であり、1745年のフォントノワの戦い、1747年のラウフフェルトの戦いに参戦した[2]。彼は1764年6月30日にアイルランド貴族であるドニゴール県マナー・ゴアにおけるゴア男爵、1768年8月25日にファーマナ県ベルイルにおけるベルイル子爵、1772年1月4日にファーマナ県におけるロス伯爵に叙されたが、息子が早世したため、爵位は1代で廃絶した[2]。準男爵位については弟の息子にあたるラルフ・ゴア(1758–1842)が継承した[2]

2022年に7代準男爵の弟の来孫にあたる15代準男爵ヒュー・フレデリック・コーベット・ゴア(1934–2022)が死去した[3]。2024年現在の当主はその息子に当たる16代準男爵ティモシー・ミルトン・コーベット・ゴア(1969–)である[4][5]。彼は2009年に宮崎県出身の女性と結婚した[6]

  • 初代準男爵サー・ポール・ゴア英語版(1629年没)
  • 第2代準男爵サー・ラルフ・ゴア英語版(1661年ごろ没)
  • 第3代準男爵サー・ウィリアム・ゴア英語版(1657年以前 – 1703年ごろ)
  • 第4代準男爵サー・ラルフ・ゴア(1675年? – 1733年)
  • 第5代準男爵サー・セント・ジョージ・ゴア=セント・ジョージ(1722年 – 1746年)
  • 第6代準男爵サー・ラルフ・ゴア(1725年 – 1802年)
    • 1764年、ゴア男爵に叙爵。1768年、ベルイル子爵に叙爵。1772年、ロス伯爵に叙爵。1802年、準男爵位以外の爵位が廃絶
  • 第7代準男爵サー・ラルフ・ゴア(1758年 – 1842年)
  • 第8代準男爵サー・セント・ジョージ・ゴア(1811年 – 1878年)
  • 第9代準男爵サー・セント・ジョージ・ラルフ・ゴア(1841年 – 1887年)
  • 第10代準男爵サー・ラルフ・セント・ジョージ・クロード・ゴア(1877年 – 1961年)
  • 第11代準男爵サー・ラルフ・セント・ジョージ・ブライアン・ゴア(1908年 – 1973年)
  • 第12代準男爵サー・セント・ジョージ・ラルフ・ゴア(1914年 – 1973年)
  • 第13代準男爵サー・リチャード・ラルフ・セント・ジョージ・ゴア(1954年 – 1993年)
  • 第14代準男爵サー・ナイジェル・ヒュー・セント・ジョージ・ゴア(1922年 – 2008年)
  • 第15代準男爵サー・ヒュー・フレデリック・コーベット・ゴア(1934年 – 2022年)
  • 第16代準男爵サー・ティモシー・ミルトン・コーベット・ゴア(1969年 – )

爵位の推定相続人は現当主の遠戚(高祖父の弟の玄孫)にあたるウィリアム・ラルフ・セント・ジョン・ゴア(1952年 – )で、その法定推定相続人は息子ラルフ・セント・ジョン・エドマンド・ゴア(1985年 – )である。

(ニュータウンの)ゴア準男爵(1662年)

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前述の初代準男爵ポール・ゴア英語版の次男で2代準男爵の弟にあたるアーサー・ゴア英語版(c.1640–1697)アイルランド庶民院議員を務め、1662年4月10日にアイルランドにおける準男爵に叙された[7]

その孫、曽孫にあたる2代準男爵アーサー・ゴア英語版(c.1685–1742)、3代準男爵アーサー・ゴア(1703–1773)もアイルランド庶民院を長年にわたり務めた[8]。3代準男爵は1758年8月15日にアイルランド貴族であるメイヨー県キャッスル・ゴアにおけるサッドリー子爵ウェックスフォード県ディープスにおけるサンダース男爵に、1762年4月12日にゴールウェイ県アラン諸島におけるアラン伯爵に叙され、以降準男爵位はアラン伯爵位の従属爵位となった[8]

初代準男爵の四男の息子にあたるジョン・ゴア(1718–1784)ヘンリー・ゴア(1728–1793)はそれぞれ1766年、1789年にアナリー男爵に叙されたが、2人ともに男子をもうけず、爵位が1代で廃絶している[9]

(アーターマンの)ゴア、のちゴア=ブース準男爵(1760年)

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前述の初代準男爵ポール・ゴア英語版の四男の曽孫[10]スライゴ県の地主ブース・ゴア(1712–1773)は1742年にリートリム県長官英語版を務めたのち、1760年8月30日にアイルランドにおける準男爵に叙された[11]。彼は1771年にスライゴ県長官英語版も務めた[11]

その息子である3代準男爵ロバート・ニューコメン・ゴア(?–1814)は爵位継承から2か月後の1804年8月に「ブース」を姓に加えた[11]。3代準男爵はスライゴ県長官英語版を務めた[11]

その息子である4代準男爵ロバート・ゴア=ブース英語版(1805–1876)連合王国庶民院議員、スライゴ統監を務めた[12]

2024年現在の当主は4代準男爵の玄孫にあたる9代準男爵ジョスリン・ヘンリー・ロバート・ゴア=ブース(1950–)である[4][6]

  • 初代準男爵サー・ブース・ゴア(1712年 – 1773年)
  • 第2代準男爵サー・ブース・ゴア(1804年没)
  • 第3代準男爵サー・ロバート・ニューコメン・ゴア=ブース(1814年没)
  • 第4代準男爵サー・ロバート・ゴア=ブース英語版(1805年 – 1876年)
  • 第5代準男爵サー・ヘンリー・ウィリアム・ゴア=ブース英語版(1843年 – 1900年)
  • 第6代準男爵サー・ジョスリン・オーガスタス・リチャード・ゴア=ブース(1869年 – 1944年)
  • 第7代準男爵サー・マイケル・サヴィル・ゴア=ブース(1908年 – 1987年)
  • 第8代準男爵サー・アンガス・ジョスリン・ゴア=ブース(1920年 – 1996年)
  • 第9代準男爵サー・ジョスリン・ヘンリー・ロバート・ゴア=ブース(1950年 – )

爵位の推定相続人は現当主の祖父の弟の曽孫にあたるポール・ワイアット・ジュリアン・ゴア=ブース(1968年 – )であり、その法定推定相続人は息子のドミニク・ピーター・ゴア=ブース(2004年 – )である。

出典

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  1. ^ a b c d Cokayne 1900, p. 233.
  2. ^ a b c d e f g Cokayne 1900, p. 234.
  3. ^ "Sir Hugh Frederick Corbet Gore". The Sydney Morning Herald (英語). 15 October 2022. 2024年5月24日閲覧
  4. ^ a b "Official Roll of the Baronetage". Standing Council of the Baronetage (英語). 17 May 2024. 2024年5月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年5月24日閲覧
  5. ^ Morris, Bosberry-Scott & Belfield 2019, p. 8157.
  6. ^ a b Morris, Bosberry-Scott & Belfield 2019, p. 7073.
  7. ^ Cokayne 1903, p. 316.
  8. ^ a b Cokayne 1903, p. 317.
  9. ^ Cokayne & Gibbs 1910, pp. 163–164.
  10. ^ Burke 1934, p. 324.
  11. ^ a b c d Cokayne 1906, p. 365.
  12. ^ Cokayne 1906, p. 366.

参考文献

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関連項目

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