ゴッド・スピード・ユー! BLACK EMPEROR

日本のドキュメンタリー映画

ゴッド・スピード・ユー! BLACK EMPEROR』(ゴッド・スピード・ユー ブラック・エンペラー)は、1976年に公開された日本映画で、柳町光男監督の第1作である。

ゴッド・スピード・ユー!
BLACK EMPEROR
Godspeed You! Black Emperor
監督 柳町光男
製作 柳町光男
出演者 ブラックエンペラー(新宿支部)
撮影 岩永勝敏
横山吉文
杉浦誠
明石太郎
編集 大島ともよ
制作会社 プロダクション群狼
配給 東映
公開 日本の旗 1976年7月1日
上映時間 91分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
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概要 編集

実在した[注 1]暴走族である「ブラックエンペラー」新宿支部のメンバーである少年や、その家族、周囲の人々を取材した映像によるドキュメンタリー[1][2][3]ナレーションはほとんど入っておらず、主に登場人物の生活を淡々と撮影し続けた映像で構成される。撮影される場面は少年らによる暴走行為や集会の他、両親や先輩、友人との会話のシーンも含まれている。

スタッフ 編集

  • 製作:プロダクション群狼[注 2]
  • 監督:柳町光男
  • 撮影:岩永勝敏、横山吉文、塚本公雄、杉浦誠、明石太郎

キャストには「ブラックエンペラー」とのみ表記されている。

製作 編集

柳町光男は東映教育映画の契約助監督として1970年9月から1974年秋まで、12、3本の短編教育映画製作に関わった[4]。1974年夏に製作された霊友会のPR映画で大和屋竺監督『発見への旅立ち』[5]の助監督と務めた際、暴走族を登場させるシーンがあり、これが縁で彼らと接触を持つうち、暴走族のドキュメンタリーを作りたいという思いに駆られた[4][6]。これは原一男監督の『極私的エロス 恋歌1974』に影響されたことが大きいという[4]。1974年秋、東映教育映画を辞め、プロダクション群狼を設立し[4]、最初からどこへ企画を出しても、お金を出してくれる人はいないだろうと自身で400~500万円を集めて自主製作した[6]

興行 編集

柳町自身がホールと交渉し、安田生命ホール(現・明治安田生命ホール)での小規模公開から始まったが、評判を呼び、同ホールを皮切りに中野公会堂などで自主上映[6]。観客はほとんどが暴走族の若者で、上映されたホールには本物の暴走族が大集結した[6]。これが大きな反響を呼び、これに目を付けた柳町の古巣・東映16mmで撮影された本作を劇場公開用の35mmブロー・アップし半年間だけ買い上げ[6]、東映系で三本立てで公開した。

同時上映 編集

暴走の季節

暴力教室

影響 編集

出演者の中で最も俳優向きの顔だな、と柳町が思っていた本間優二とその後も遊び仲間であった。次作『十九歳の地図』を製作する際、新人俳優を探したが、イメージにピタッとくる役者が見つからず、本間を説得して主演に起用した[6]

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 公開当時の宣伝および2006年に発売されたDVDでは「実在した暴走族」とされている。『週刊朝日』1976年5月7日号のブラックエンペラーを取り上げた記事には、その名が生まれて8年にもなったと書かれている[1]
  2. ^ 現代映像センターとするものもある[4]

出典 編集

  1. ^ a b 「お先まっ暗の助監督が一年かけて作った暴走族映画」『週刊朝日』1976年5月7日号、朝日新聞社、44 - 45頁。 
  2. ^ NONSTOP!! 暴走列島70's/ラピュタ阿佐ケ谷
  3. ^ プログラム|カナザワ映画祭2017 フィルマゲドンⅢ|かなざわ映画の会
  4. ^ a b c d e 松田政男「日本映画批評 ゴッド・スピード・ユー! BLACK EMPEROR」『キネマ旬報』1976年6月下旬号 162頁、キネマ旬報社 
  5. ^ 3 - 映画の國 || コラム ||コラム 『日本映画の玉(ギョク)』 「母に捧げるバラード」のこと Text by 木全公彦
  6. ^ a b c d e f 藤木TDC「柳町光男インタビュー」『映画秘宝』2015年12月号 70–71頁、洋泉社 

外部リンク 編集