サニーランド蛇の島(サニーランドじゃのしま)は、岩手県盛岡市上堂にかつて存在した遊園地である。

北上川に架かる北大橋の上流にある中州「蛇ノ島」に、1967年6月17日(昭和42年)に開園した。オープン当初は賑わいを見せたが、わずか3年で閉園した。現在は私有地で、立ち入ることは出来ない。

閉業3年後の1973年昭和48年)に盛岡市環境保護地区の第一号に指定された。

当時は島に2本の橋と国道4号線沿い(運動公園東口交差点近くの「運動公園口」バス停辺り)の斜面に存在したケーブルカーで入園出来た。

歴史 編集

1967年(昭和42年)、開園。1970年(昭和45年)、閉園。

開設当初、十和振興株式会社(代表取締社長 村井佑吉)が関わり、のちに株式会社蛇の島スポーツセンター(取締役社長 藤原哲夫)という会社組織が運営していた。

当時の入場料は大人100円、子ども70円。象の乗り物のほかに、ジェットコースター、トンネルをくぐる汽車があった様子。また、園内に猿もいたようである(『あおやま 昭和44年度文集』青山小学校 1970年)

僅か3年の短期間での閉園の理由は不明だが、1968年(昭和43年)に北上川の上流に四十四田ダムが建設され、大雨時の緊急放流等による河川の増水・氾濫時に孤立・水没するなどの危険な恐れがある為に、営業が困難となった可能性もある。 また、閉園にまつわる噂として児童の死亡事故がデマ情報で流されているが、当時の岩手日報の新聞記事に事故報道が記載されていない事からも、その様な事実は無い。

直接の関係は無いが、閉園2年後の1972年(昭和47年)に岩山パークランド(平和観光開発株式会社)が開園し現在も営業が続いている。

跡地・建物 編集

現在も廃墟のように残されている洋館は、1911年明治44年)、盛岡市内丸に「日本赤十字社岩手県支部」として建てられたものを、開園時に移築したものである。サニーランド蛇の島のシンボルマークである「太陽」を象った紋章が遺されている。その他、遊園地当時の残骸が今なお多く遺されている。

土地管理者が存在している私有地である。また、盛岡市の環境保護地区に指定されている為、市の許可無く開発・現状変更は出来なくなっている。

立地 編集

「蛇ノ島(じゃのしま)」は、盛岡市環境保護地区(1973年(昭和48年)指定)である。名称はその名の通り、昭和時代まで多くの(へび)が棲んでいたことに由来する。北上川の巨大な中洲で、草木の根につながれ、大きな河の氾濫があっても決して沈まない浮島である、という言い伝えがある。旧下厨川村側(北西部)の川岸は絶壁となっており、川の流れが緩やかで、上堂地内から橋によって結ばれている。厨川柵嫗戸柵擬定地の上流にあり、対岸には源義家ゆかりの手掛けの松など旧跡が点在している。平安時代、当地で起きた前九年の役において、安倍貞任の軍船の隠し場所だったという伝説がある。

この地に伝わる昔話に、蛇にまつわる「蛇ノ島弁天」がある。

参考文献 編集

  • 盛岡タイムス
    • 昭和42年5月7日 「蛇の島に子供遊園地 オープンは六月十日頃」
    • 昭和42年5月21日 「サニーランド6月17日開園」(広告)
    • 昭和42年6月4日 「蛇の島へ招ばれた子供らの感想“ほんとうに面白かった”サニーランドまる一日楽しく遊べる」
  • 『もりおか思い出散歩』(1989年 岩手日報社 盛内 政志 著)
  • 『てくり創刊号』「橋をわたって、川をこえて。知っていますか? 川沿いの楽園サニーランド蛇ノ島」(2005年 まちの編集室 新世代ミニコミ誌・てくり)