サモリ・トゥーレ
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サモリ・トゥーレ(Samori Ture/Samory Touré/Samori ibn Lafiya Ture、1830年頃 - 1900年6月2日)は、サモリ帝国(1878年 - 1898年)の創始者である。サモリ帝国は西アフリカのイスラム軍事政権として1882年からフランスの支配に抵抗したが、1898年にフランスに屈した。
生涯編集
1830年頃、ギニア南東部でジュラ族の商人の家に生まれた。サモリが成長した時代は、ヨーロッパとの交易などを通じた接触によって、西アフリカの変容が進んだ時期と重なっていた。西アフリカの一部の国家に銃器がもたらされたことは、従来までの戦争の姿を変えることになった。元々は現地の宗教を信仰していたが、比較的早い時期にイスラム教へ改宗した。
1883年から1898年にかけて、勢力を拡大していたフランスと3度にわたって戦った(マンディンゴ戦争を参照)。
1898年にフランスと同盟を結んでいたコング帝国へ侵攻し、首都コングを焼き払ったが、フランスに撃退されて捕えられ、ガボンに追放された。2年後に軟禁先のンジョレで肺炎のため没した。
曾孫のセク・トゥーレはギニア共和国初代大統領となり、1982年に完成したコナクリのグランドモスクにサモリの遺体を改葬した。