サン=フルールSaint-Flourオック語:Sant Flor)は、フランスオーヴェルニュ=ローヌ=アルプ地域圏カンタル県コミューン

Saint-Flour


行政
フランスの旗 フランス
地域圏 (Région) オーヴェルニュ=ローヌ=アルプ地域圏
(département) カンタル県
(arrondissement) サン=フルール郡
小郡 (canton) 小郡庁所在地
INSEEコード 15187
郵便番号 15100
市長任期 ピエール・ジャルリエ
2014年-2020年
自治体間連合 (fr) fr:Communauté de communes du Pays de Saint-Flour
人口動態
人口 6665人
2011年
人口密度 246人/km2
住民の呼称 Sanflorain, Sainfloraine
地理
座標 北緯45度02分04秒 東経3度05分37秒 / 北緯45.0344444度 東経3.09361111度 / 45.0344444; 3.09361111座標: 北緯45度02分04秒 東経3度05分37秒 / 北緯45.0344444度 東経3.09361111度 / 45.0344444; 3.09361111
標高 平均:m
最低:757m
最高:1040 m
面積 27.14km2 (2 714ha)
Saint-Flourの位置(フランス内)
Saint-Flour
Saint-Flour
公式サイト www.ville-saint-flour.fr
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地理

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サン=フルールのまちは、ヴィル=オート(高地の市街)とヴィル=バス(低地の市街)の2つの地区に分かれている。ヴィル=オートは、火山性の玄武岩上の台地である標高900mのプラネーズ上にある。ヴィル=バスはアンデル川沿いに広がる。

サン=フルールは、古い国道9号線と、A75パリベジエ間を走る)が通る。

歴史

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青銅器時代にさかのぼってサン=フルールの地には最古の仕事の痕跡が見つかっている。多くのドルメンも見つかっている。

現在の考古学の証拠により、ガリアの時代に限られた人の存在が見つかっている。しかし領土はその後ガロ=ローマやローマ帝国によって占領された(鉄道駅の近くに中規模のヴィッラや、アウグストゥス帝時代の小さなヴィッラが見つかっている)[1]。当時のサン=フルールの名はIndiciacumであり、これはIndiciacusという男性名に由来していた。この時代のIndiciacはローマの小さなまちを意味するウィクス(fr)であったと考えられている。ウィクスは、主要道沿いにある第2のまちを指していた。

5世紀、司教フロルスは現在のサン=フルールの流域を伝道した。彼の名が現在のコミューン名のもととなった。しかしまちが栄えたのは1000年以降である。フランス革命時代、コミューンの名はフォール=カンタル(Fort-Cantal)、フォール=リーブル(Fort-Libre)、モン=フルール(Mont-Flour)そしてサン=フルールの名に1793年に落ち着いた。コミューンの面積が変わることはなかった。

人口統計

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1962年 1968年 1975年 1982年 1990年 1999年 2006年
5 846 5 997 7 272 7 950 7 417 6 625 6 663

source=cassini.ehess.fr

史跡

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  • サン=ピエール教会 - 15世紀のゴシック建築。オート=オーヴェルニュ地方の宗教中心地たるサン=フルールの象徴。黒いキリスト像、聖フロルスの一生を描いたステンドグラス、地獄と煉獄を描いたフレスコ画、オルガンが知られる[2]。1906年以来歴史的建造物に指定されている[3]

姉妹都市

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脚注

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