シェラド (Cheylade)は、フランスオーヴェルニュ=ローヌ=アルプ地域圏カンタル県コミューン

Cheylade
行政
フランスの旗 フランス
地域圏 (Région) オーヴェルニュ=ローヌ=アルプ地域圏
(département) カンタル県
(arrondissement) サン=フルール郡
小郡 (canton) ミュラ小郡
INSEEコード 15049
郵便番号 15400
市長任期 クリストフ・レナル[1]
2014年 - 2020年
自治体間連合 (fr) fr:Communauté de communes du Pays de Gentiane
人口動態
人口 261人
2011年
人口密度 8人/km2
地理
座標 北緯45度12分59秒 東経2度43分00秒 / 北緯45.2163度 東経2.7167度 / 45.2163; 2.7167座標: 北緯45度12分59秒 東経2度43分00秒 / 北緯45.2163度 東経2.7167度 / 45.2163; 2.7167
標高 平均:m
最低:914 m
最高:1490 m
面積 32.81km2
Cheyladeの位置(フランス内)
Cheylade
Cheylade
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地理 編集

シェラドはカンタル連山の北麓に広がる高地の中に位置する。そこはプティット・リュ川の谷を見下ろすバルコニーのような村であり、東はプラネーズ川と、西はトリザック川と境界を接している。コミューン内にはプティット・リュ川の支流も流れている。

歴史 編集

中世のシェラドはChaszladaとのつづりがなされ、ノネット領主が所有していた。1029年、教会が建てられてエティエンヌ1世・ド・シェラドによってソージランジュの修道院に寄進された。この教会は聖レジェに捧げられたが、12世紀から新しい建物に場所を譲っている。

12世紀、シェラド領主の子孫は『ヴァルリュのコントゥール』(comptourは高オーヴェルニュの有力男爵家に授けられた)の称号を得た。

黒死病は人口の一部を減少させた。百年戦争ユグノー戦争は地元住民に大きな被害を与えた。

領主権と領地は1592年までクレルモン司教の管轄下にあった。これらはフランス革命で国家資産として没収され、1884年にシェラドの城は完全に破壊された。

人口統計 編集

1962年 1968年 1975年 1982年 1990年 1999年 2006年 2011年
723 610 505 424 360 336 292 261

参照元:1999年までEHESS[2]、2004年以降INSEE[3][4]

史跡 編集

 
教会内部
  • サン・レジェ教会 - 12世紀にロマネスク様式で建てられ、15世紀と17世紀に再建された。流紋岩が使われている。シュヴェは凱旋門を備えて外側に開かれており、アカンサス装飾の施された柱が並ぶ。16世紀後期から描かれた天井画は花、動物、人物、カバラのかたちを描いた多色使いのものである。

脚注 編集