シシュガンビス、又はシシガンビス、(古代ギリシャ語:Σισύγαμβις, 仏語、英語:Sisygambis, ? - 紀元前323年)は、アケメネス朝ペルシアの王アルタクセルクセス2世の娘である。王族のアルサメスと結婚し、アケメネス朝ペルシアの最後の王となるダレイオス3世を生んだ。

シシュガンビス
Σισύγαμβις
Die Familie des Perserkönigs Darius nach der Schlacht bei Issos im Zelt Alexanders des Großen (Le Brun).jpg
『アレクサンドロスの足元にひれ伏すペルシア王妃たち』(シャルル・ルブラン作)。黄色の衣装をまとったシシュガンビスがアレクサンドロスの前でひれ伏している。

死去 紀元前323年
配偶者 アルサメス
子女 ダレイオス3世
オクシュアルテス英語版
父親 ペルシアアルタクセルクセス2世
テンプレートを表示

生涯編集

紀元前333年イッソスの戦いで、ダレイオス3世の軍は敗れ、ダレイオスは、自らの母シシュガンビス、妻のスタテイラ1世英語版と子供達を含む家族を置き去りにして逃走した。アレクサンドロス3世は彼女達を捕虜としたが、丁重に扱った。捕らえられたシシュガンビスらとアレクサンドロスが対面した際、アレクサンドロスは友人ヘファイスティオンを連れていたが、シシュガンビスはアレクサンドロスより体格がよく美しかったヘファイスティオンを王と勘違いしその前にひれ伏した。その後勘違いに気づきアレクサンドロスの前にひれ伏したシシュガンビスに対し、アレクサンドロスは「心配されるな、この者もまたもう一人のアレクサンドロスなのだから」と答えたという[1]。ダレイオスの妃スタテイラ1世は紀元前332年頃に子供を生んで死去したが、この子供はアレクサンドロスの子供であると考えられている[2]

歴史家のクィントゥス・クルティウス・ルフス英語版によると、シシュガンビスはダレイオスを決して許さず、彼の死が伝えられると「私には1人の息子(アレクサンドロス)しかいない。彼は全ペルシアの王だ」と語ったという。彼女は、紀元前324年に孫娘のスタテイラ2世をアレクサンドロスに嫁がせた[3]。同時にスタテイラの妹ドリュペティスヘファイスティオンと結婚している。翌紀元前323年、アレクサンドロスの死を聞くと、シシュガンビスは部屋に閉じこもり、5日後に悲しみと飢えで死んだといわれる[4][5]

マックス・ヴォルフ1916年に発見した小惑星は、彼女の名前に因んでシシガンビスと名付けられた。

脚注編集

  1. ^ ブリアン (1991)、p. 59
  2. ^ 森谷、p. 256
  3. ^ ブリアン (2003)、p. 135
  4. ^ 森谷、p. 253
  5. ^ Waldemar Heckel, Who's Who in the Age of Alexander the Great: Prosopography of Alexander's Empire, John Riley, 2008.

参考文献編集

  • 森谷公俊 『興亡の世界史 アレクサンドロスの征服と神話』 講談社学術文庫、2016年
  • ピエール・ブリアン 『アレクザンダー大王 未完の世界帝国』 創元社、1991年
  • ピエール・ブリアン 『アレクサンドロス大王』 白水社、2003年