ジャヤ・シンハヴァルマン4世

ジャヤ・シンハヴァルマン4世サンスクリット語: जय सिंहवर्मन ४, ラテン文字転写: Jaya Siṃhavarman IV, 1284年[1] - 1313年2月)は、チャンパ王国占城国)第12王朝の後期第5代国王(在位:1307年5月 - 1312年5月)。『大越史記全書』では制至ベトナム語: Chế Chí)および制鷙ベトナム語: Chế Trắc)と記される。

 ジャヤ・シンハヴァルマン4世
जय आनंद ४
チャンパ王
在位 1307年5月 - 1312年5月

出生 1284年
死去 1313年2月
大越
王朝 第12王朝
父親 ジャヤ・シンハヴァルマン3世
母親 バスカラデーヴィー
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生涯編集

ジャヤ・シンハヴァルマン3世の子[1]1307年に父王が死去すると即位したが、陳朝大越から嫁いでいた父王の妃であったパラメーシュヴァリ中国語版がチャンパの風習に反して殉死せず、英宗の意を汲んだ陳克終中国語版の策によって昇龍に戻ったために大越との関係が悪化した。1312年1月26日へ遣使している。

パラメーシュヴァリが嫁いだ際に大越に引き渡したヴヤルベトナム語版ウリクベトナム語版を軍を発して奪還しようとする動きを見せたとして、1311年12月に英宗の親征する大越軍の侵攻を受け[1][2]、翌1312年にチャンパ軍は大敗を喫した。同年5月、ジャヤ・シンハヴァルマン4世は大越軍に捕らわれて[3]連行された後、6月に英宗より効忠王、後に効順王に封じられた。

興隆21年(1313年2月、大越の都昇龍で死去した[1]。遺体はチャンパの風習に基づいて火葬された。

出典編集

  1. ^ a b c d Cœdès, p. 229
  2. ^ 桃木, p. 467
  3. ^ 桜井由躬雄 「南シナ海の世界」 『東南アジア史 I 大陸部』、74頁。 

参考資料編集

  • George Cœdès (May 1, 1968). The Indianized States of South-East Asia. University of Hawaii Press. ISBN 978-0824803681 
  • 『東南アジア史 I 大陸部』石井米雄桜井由躬雄編、山川出版社〈新版 世界各国史 5〉、1999年12月20日。ISBN 978-4634413504
  • 桃木至朗十-十五世紀ベトナム國家の「南」と「西」」『東洋史研究』第51巻第3号、京都大学東洋史研究会、1992年12月31日、 464-497頁。
  • 元史』巻二十四 本紀第二十四 仁宗一
  • 大越史記全書』本紀巻之六 陳紀 英宗皇帝
  • 欽定越史通鑑綱目中国語版』正編巻之九
先代:
ジャヤ・シンハヴァルマン3世
チャンパ王
第12王朝後期第5代:
1307年 - 1312年
次代:
ジャヤ・シンハヴァルマン5世