ジャレJallais)は、フランスペイ・ド・ラ・ロワール地域圏メーヌ=エ=ロワール県のかつて存在したコミューン。現在はボープレオ=アン=モージュの一部である。

Jallais

行政
フランスの旗 フランス
地域圏 (Région) ペイ・ド・ラ・ロワール地域圏
(département) メーヌ=エ=ロワール県
(arrondissement) ショレ郡
小郡 (canton) ボープレオ小郡
INSEEコード 49162
郵便番号 49510
市長任期 ジャン=ロベール・ガシェ[1]
2014年 - 2020年
自治体間連合 (fr) C.C. du Centre-Mauges
人口動態
人口 3 242人
2012年
人口密度 61人/km2
住民の呼称 Jallaisien, Jallaisienne
地理
座標 北緯47度11分52秒 西経0度52分03秒 / 北緯47.1977777778度 西経0.8675度 / 47.1977777778; -0.8675座標: 北緯47度11分52秒 西経0度52分03秒 / 北緯47.1977777778度 西経0.8675度 / 47.1977777778; -0.8675
標高 平均:m
最低:57m
最高:121 m
面積 52.87km2
Jallaisの位置(フランス内)
Jallais
Jallais
公式サイト site de Jallais
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地理

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モージュ地方にあるアンジューのコミューン、ジャレはラ・ジュボディエールの北に位置する。

歴史

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1793年3月12日、アンジューの王党派と共和国軍との間でジャレの戦いが起きた。これはヴァンデ戦争中の戦いの1つである。

人口統計

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1962年 1968年 1975年 1982年 1990年 1999年 2006年 2012年
2803 2918 2977 3095 3207 3153 3167 3242

source=1999年までLdh/EHESS/Cassini[2]、2004年以降INSEE[3][4]

史跡

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シャペロニエールのマノワール
  • シャトー・ド・シャペロニエール - 17世紀から19世紀にかけての純粋なアンジューのシャトー。1832年にベリー公爵夫人が起こした王党派反乱の舞台となり、ここでジャック・カトリノーの子ジャック・ジョゼフが暗殺された。

ゆかりの人物

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姉妹都市

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  •   フェルトキルヒェン・ヴェステルハム、ドイツ

脚注

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