ジャン・ジャック・ルクー
ジャン・ジャック・ルクー(Jean-Jacques Lequeu, 1757年9月4日 - 1826年3月28日)はフランス革命期の建築家。実作はほとんど知られていないが、数多くの図面(建築計画案)を遺した。
ジャン・ジャック・ルクー Jean-Jacques Lequeu | |
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自画像 | |
生誕 |
1757年9月4日 フランス,ルーアン |
死没 |
1826年3月28日 フランス,パリ |
経歴
編集ルーアンに生まれ。パリへ行くための奨学金を手に入れ、1779年、パンテオンの設計で知られるジャック=ジェルマン・スフロ(Jacques-Germain Soufflot)に弟子入りをした。スフロは既に高齢、病身であったが、スフロの紹介でアカデミーに入学し、またスフロの甥とともにアトリエで働いた。その後、イタリア旅行に行ったり、いくつかの建築に携わり、順調に建築家の道を歩いた。
フランス革命後、ルクーは全財産を失い、設計の機会もなくなった。地籍調査局で働き(1793-1801年)、次いで内務省で地図の作成に当たり(1801-1815)、退職後は恩給生活に入った。晩年の作品として、1814年の王立劇場計画案が残っている。
評価
編集エミール・カウフマンの『三人の革命的建築家 ブレ、ルドゥー、ルクー』(Three revolutionary architects 1952年、邦訳は中央公論美術出版)によって20世紀の近代建築の先駆的な存在として評価されるようになった。