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ジョセフ・ベンソン・フォラカー

ジョセフ・ベンソン・フォラカー

ジョセフ・ベンソン・フォラカーJoseph Benson Foraker1846年7月5日 - 1917年5月10日)はアメリカ合衆国オハイオ州共和党の政治家。第37代オハイオ州知事。

伝記編集

フォラカーはオハイオ州ハイランド郡レインズボロ (Rainsboro) 近郊で生まれた。 南北戦争時に北軍で戦った後、フォラカーはそこでファイ・カッパ・サイのメンバーでもあったコーネル大学に通った。 1883年にオハイオ州知事選に出馬して落選するも、2年後に当選し、1886年から1890年まで2期4年を務めた。 フォラカーは1896年に連邦上院議員に当選し1897年から1909年まで2期を務めた。 その間に、フォラカー法として知られる、アメリカが新たに獲得したプエルトリコ島に民政府 (civil government) を設立する1900年の基本法 (the Organic Act of 1900) を提案した。 フォラカーは1908年の3選はならず、同年の大統領選挙の共和党の指名の候補者のうちの一人となった。 レインズボロのおよそ10マイル西のハイランド郡郡庁所在地ヒルズボロの通りの "Governor Foraker Place" は彼から名づけられたものである。

南北戦争編集

フォラカーは第96オハイオ歩兵連隊のA中隊の兵卒であった。 19歳の時には既に13の主要な戦いに参加して来ており、中尉と名誉大尉 (Brevet Captain) に昇進した(The Centennial History of the Phi Kappa Psi Fraternity による)。

外部リンク編集