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スロバキア民主キリスト教連合・民主党

スロバキア民主キリスト教連合・民主党(スロバキアみんしゅキリストきょうれんごう・みんしゅとう、スロバキア語: Slovenská demokratická a kresťanská únia - Demokratická strana : SDKÚ-DS, : Slovak Democratic and Christian Union – Democratic Party)は、キリスト教民主主義に立脚したスロバキア共和国における中道右派政党

スロバキアの旗 スロバキア共和国の政党
スロバキア民主キリスト教連合・民主党
SDKÚ-DS(Slovenská demokratická a kresťanská únia - Demokratická strana)
党首 パヴォル・フレショ
成立年月日 1998年3月10日
国民議会
0 / 150   (0%)
(2016年3月5日)
政治的思想・立場 中道右派[1]
キリスト教民主主義
公式サイト SDKÚ-DS
国際組織 中道民主インターナショナル
欧州人民党
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2000年1月に結成されたスロバキア民主・キリスト教連合(SDKÚ)を前身とし、06年1月に民主党が合流して現在の党名となった。本稿では前身となるスロバキア民主連立(SDK : Slovenská demokratická koalícia)についても述べる。

目次

スロバキア民主連立(SDK)編集

ヴラジミール・メチアル首相の強権的な政権運営に反対する民主連合(DÚ : Demokratická únia Slovenska)、キリスト教民主運動(KDH : Kresťansko-demokratické hnutie)、民主党(DS : Demokratická strana)、スロバキア社会民主党(SDSS : Sociálnodemokratická strana Slovenska)、スロバキア緑の党(SZS : Strana zelených na Slovensku)の5政党が結集して1997年11月に結成した政党である。当初は政党連合として結成されたが、メチアル政権が選挙法を改正して政党連合の結成を事実上不可能としたため、それぞれの政党組織を存続させたままKDH出身のミクラーシュ・ズリンダMikuláš Dzurinda)を党首に新党として結成した(政党登録は1998年3月10日)。

1998年国民議会選挙では26.33%の得票率で42議席を獲得、ポピュリスト政党の民主スロバキア運動HZDS : Hnutie za demokratické Slovensko)に次ぐ第2党となった。選挙後、SDKは民主左翼党SDĽ : Strana demokratickej ľavice)、市民合意党SOP : Strana občianskeho porozumenia)、ハンガリー人連立党SMK/MKP : Strana maďarskej koalície-Magyar Koalíció Pártja)と共に連立を組み、第1次ミクラーシュ政権を発足させた。しかし選挙後、SDKを構成する諸政党が独自の動きを始めたため、危機感を抱いたズリンダが新たにSDKÚを発足させ、SDKは事実上の解党状態となった(組織自体は2002年議会選挙の直前まで存続)。

SDKÚ-DS結成以降編集

首相でSDK党首のズリンダが、SDKを構成する中道右派諸政党の議員と一部閣僚によって2000年1月に結成した(政党登録は2000年2月18日)。政治的立場はキリスト教民主主義に立脚しているが、キリスト教保守主義の色彩が強いKDHよりも世俗的で、経済政策では自由競争を重視する立場である。

2002年国民議会選挙では、選挙参加を撤回したDSの協力も受け、SDKÚは得票15.09%で28議席を獲得してHZDSに次ぐ第二党となり、他の中道右派政党と連立して第2次ミクラーシュ政権を発足させた。2006年1月にはDSが正式にSDKÚへ合流し、現在のSDKÚ-DSとなった(政党登録は2006年2月13日)。

2006年国民議会選挙では、前回選挙を上回る18.35%の得票を得て31議席を獲得したが、第一党となった中道左派政党のスメル(方向)・社会民主SMER-SD : SMER-sociálna demokracia)が民族主義政党のスロバキア国民党SNS : Slovenská národná strana)および人民党・民主スロバキア運動ĽS-HZDS : Ľudová strana - Hnutie za demokratické Slovensko)の連立で政権を発足させたため、野党に転じた。

2010年国民議会選挙では、政治資金疑惑の責任を取ってズリンダが選挙への立候補を見送り、副党首で2009年大統領選候補のイヴェタ・ラジチョヴァーが選挙対策本部長として事実上の党首代行を務めた。得票率は15.42%で改選前より3議席少ない28議席にとどまったものの第二党の座を維持し、SNSとĽS-HZDSの惨敗でフィツォ連立政権が過半数割れしたことにともない、同じ中道右派の自由と連帯SaS : Sloboda a Solidarita)、キリスト教民主運動KDH : Kresťanskodemokratické hnutie)およびハンガリー人政党のモスト(橋、MOST-HÍD)による連立政権を組閣。ラジチョヴァーがスロバキア初の女性首相となり、ズリンダが外相に就任した。

2012年3月、国民議会の任期を前倒しして行われた国民議会選挙では、前年10月の政変(ラジチョヴァー政権崩壊)や政治スキャンダル報道が影響した結果、得票と議席を大幅に減らして惨敗した。政権下野後の5月20日、党首選挙が行われ、ブラチスラバ県知事で国会議員も兼ねているパヴォル・フレッショを新党首に選出した。

2013年11月に行われた統一地方選挙(9日と23日投票)では、県議会選挙で32議席(前回2009年選挙は58議席)を獲得、ブラチスラバ県でフレッショ党首が再選を果たして知事の座を維持する結果となった[2]

2016年3月の国民議会選挙では、得票率が5%を下回ったため、国民議会における議席をすべて失う結果となった[3]

脚注編集

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  1. ^ Haughton, Tim; Rybář, Marek (2006), “All Right Now? Explaining the Successes and Failures of the Slovak Centre-Right”, Centre-Right Parties in Post-Communist East-Central Europe (Routledge): p. 115, https://books.google.com/books?id=512cxC7eT1IC&pg=PA115 
  2. ^ 在スロバキア日本国大使館 政治・経済月報(2013年11月) (PDF)”. 在スロバキア日本国大使館 (2013年11月). 2014年4月11日閲覧。
  3. ^ 在スロバキア日本国大使館 スロバキア政治・経済月報(2016年3月) (PDF)”. 在スロバキア日本国大使館 (2016年3月). 2016年9月20日閲覧。

参考文献編集

関連項目編集